フランツ・ベールヴァルド「交響曲第1番」ト短調《厳粛な》 | クラシックばっか 時空間

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今日 7月23日(金)は、フランツ・ベールヴァルド(ベルヴァルド)の誕生日です。


フランツ・アドルフ・ベールヴァルド(1796年7月23日 スウェーデン ストックホルム - 1868年4月3日 同左)は、スウェーデンのヴァイオリン奏者であり、ドイツの作曲家です。


■「交響曲第1番」ト短調《厳粛な》
ーーー(約30分)ーーーーーーーーーー

 

 

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音楽史の上ではドイツ前期ロマン派に分類される作曲家です。

4代にわたる音楽家の家系に生まれた彼は、幼児期から宮廷歌劇場ヴァイオリン奏者の父親にヴァイオリンの手ほどきを受け、9歳から各地で演奏会を開きます。

1812年よりスウェーデン国王カール13世ヨハン(グスタフ3世の弟)の宮廷礼拝堂に勤め、宮廷楽団や宮廷歌劇場でヴァイオリンを演奏したり、独学ながら作曲を試みたりするようになりました。

 

中輪系のガーベラさんたちです。やはり暑さはつらいですよね。

 


1825年に父親が亡くなると、実家の経済状況が急に悪化したため、王室から奨学金を得てベルリンに留学し、懸命にオペラの創作に取り組みました。
しかし、チャンスには恵まれませんでした。

生計を立てるために、ベールヴァルドは一旦音楽を止め、1835年にベルリンに整形外科と理学療法の診療所を開業します。その後、1841年にウィーンに転居し、結婚しました。


いつもの東の空の風景



その翌年の1842年、ウィーン・レドゥーテンザールの演奏会で自作の「交響詩」を取り上げられ絶賛されたため、彼はその後 3年以上の歳月を費やして、4つの交響曲を書き上げました。

ベールヴァルドは1849年にスウェーデンに帰国し、今度はガラス工房を経営します。その間彼は、室内楽曲を中心に作曲に取り組みました。

1867年、ストックホルム音楽院は、きわめて独自性の強い彼の作品を死の直前になってようやく認め、ベールヴァルドを作曲家教授に任命します。(作品には、オペラや4つの交響曲を始め、管弦楽曲、室内楽曲などがあります。)


刻々と変化している空。


今日ご紹介する「交響曲第1番」ト短調は、フランツ・ベールヴァルドが1842年にウィーンで作曲した交響曲です。表題は《セリューズ》と付けられ、フランス語で「厳粛な」を意味します。

初演は1843年、ストックホルム王立歌劇場にて宮廷管弦楽団により、従兄弟(いとこ)であるヨハン・ベルワルドの指揮で行われました。
生前、作曲者が初演に立ち会った唯一の交響曲であり、出版は作曲者が亡くなった後の1885年に刊行されました。

玉扇(ぎょくせん) 「玉雲」(ぎょくうん)

 

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今日は草むしりをしました。

仕事が遅いので予定していたことまで手が回りませんでしたが、安全に注意して取り組めました。よしっlっと。

 


つねに 自分の持っている能力を最大限に発揮したいものです。


フランツ・ベールヴァルド