38.06.2 142.51.6 | 夜に啼く鶯

夜に啼く鶯

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ドクターイエローが引退する。幸せの黄色い新幹線。JR東海が2025年の早い時期に、JR西日本はその数年後に、という事だが、別会社が運用しているなんて全然知らなかった。

初めて、と言うか今の所それが最初で最後だけれど、ドクターイエローを見たのは2000年を少し前後したくらいの時分だ。僕は集中治療室から移された消化器科病棟の病室にいた。夜中に酷い腹痛で緊急搬送されたせいで、その病室にある私の持ち物は剥ぎ取られた私の衣類だけだった。僕は借り物の服を着て、数十年ぶりにおむつをあてられていた。お~、これこれ、懐っつかしいな~、とはならなかった。どの段階で服を脱がされたのかさえ覚えていない。財布も、携帯電話もなく、靴さえない。恐らくは不憫に思った看護師がベッドの脇に「消化器科」とマジックで書かれたスリッパを、とりあえず、という風情で置いてくれていた。

 

私はここにいるんだからね!と尿道で激しく自己主張していた管がぬるりと抜かれ、動脈に管がタコ足配線されているにせよ、歩く事はできるようになった。点滴のシャンデリアをエスコートしながら。

その頃には点滴の速度も常識的なそれになっていた。混濁する意識の中、イタイイタイイタイイタイと口に出してもどうにもならないことは分かっちゃいるけど言わずにゃ居れない救急外来の処置室で目にしたそれは、もはや点じゃなくない?という速度で、冷えた輸液が血管を駆け巡って行くのがわかるほどだった。

そんな状況でできることなんて部屋の窓から外の景色を眺めることくらいしかない。窓の外を見ると、そこには煉瓦を這う蔦の葉が、なくてどこにでもある間違い探しの様な地方都市の風景があった。

病院の数百メートル南には新幹線の高架があった。6階の病室から見るそれはちょうどよい高さというか、画になる位置になる。写真で見るような。

東海道新幹線が過密なダイヤを組まれているとは聞き及んではいたけれど、外を見る度、東へ西へ行き交うそれを見ると、これは確かにすごいなと思った。

病室に移って何日目かの昼、器の底が透けて見えるお粥を飲み下したあと、その日も外の景色を見ていた。いつものように白地にブルーのラインが入った新幹線が行き交う中、唐突に黄色い新幹線が、放たれた矢のように東から西へ通り過ぎて行った。地方都市の風景に、黄色い大きなものってあまりない。病室からは距離があるから疾風迅雷という訳でもないけれど、水平移動する大きな黄色い構造物は、とても際立っていた。

幸運かどうかはともかく、気分が少し高揚することは確かだ。連絡を取りたい人にそうできない苛立ちはあるにせよ、その日はわくわくとまでは全然いかずとも、ふふん、と思い返して少しにやけるくらいの効用はあった。

通勤などで日常的に新幹線を使っている人などはまた別なのだろうけれど、纏まった休みの旅行で使うくらいの私は、齢を重ねた今でも新幹線に乗ればわくわくする。

 

1990年代半ば前、私の町ではムクドリが異常発生して騒音と糞害が問題になっていた。新幹線停車駅の前の街路樹のあたりが特に酷かった。初めてそのあたりを通って街路樹にとまる大群の鳴き声を聞いたとき、それが鳥の鳴き声だとはわからず、雹でも降ってきたのかとあたりを見回したくらいだ。

その日、街路樹から離れた場所にある駐車場に私は車を停め、駅から南へ五分ほど歩いたところにある美容院の扉を開いた。

受付で荷物を預けていると、パーテーションの陰からサル顔のショートヘアの美容師がキャスター付きの丸椅子をがらがらがらと腰を屈めて押しながら現れた。彼女は、はーい、こっちついてきてー、と私の脇を通り過ぎ、そのままぴょこんと椅子に身体を預けてしまう。私は急いでついていき、鏡台の手前で彼女の腕を掴んで止める。特に礼などはない。

どんな経緯でこの店に来るようになったのか覚えていないけれど、彼女に髪を切ってもらうようになって四年くらいは経つ。私が椅子に座るとしゃかしゃかの布を広げ、ん、ん、と腕を通すよう促す。

彼女の腕は頗るいいが、引き換えに何かを差し出してしまったのかも知れない。

さて、早速ですが、左手をご覧ください。椅子に座りなおした彼女はそう言って左手で左手を指した。見ると、年嵩の女性が私と同じくしゃかしゃかの布に包まれ巾着袋になっていた。

あちらにいらっしゃるのは、うちのオーナーの古くからの客です。それはそれはあれなあれです。そしてそのオーナーは今日店に来る途中、そこの駅前の横断歩道で車にはねられてここにはいません。そのことは伝えましたが、あちらのあれはどうしても、今日、今、髪を切ってほしいと言っています。

さて、右手をご覧ください。そう言って彼女は右手で右手を指した。美容師にありがちな荒れた手の先を見ると、そこには近所の久美ちゃんがいた。

あちらにいらっしゃるのは系列店での研修期間を終えて、今日から晴れてお客様の髪を切れるやる気に満ちたぴちぴちちゃんです。初めての男にならない?

冗談めかして言ったが彼女が困っていることはわかったので、いいですよ、と承諾した。彼女はごめんねと言って立ち上がり、来た時のようにがらがらがらとあれのほうに椅子を押して行った。

彼の髪はね、途中で一度止まって振り返り、癖がないようで、癖があるのが曲者なのよ。勉強になるわよ、そう久美ちゃんに言った。

 

1958年にチキンラーメンが発売されて、随分経って私と久美ちゃんはこの世に排泄された。同じ産院の午前と午後。片や素直に、片や渋々、おぎゃあ、と。

私たちはその4年後再会する。

 

1980年まであと少しのある朝、目覚めた布団の中でいつものように背中を丸めてエビっ!エビっ!と海老になっていると祖母に布団を剥ぎ取られる。

お出掛けするからご飯食べて準備しようか。大好きな祖母に言われ、なななななんだよ祖母ちゃん、サプライズかよ、と飛び起き慌てて朝ご飯を掻き込み準備を済ませると祖母は見慣れぬ奇妙な形の服を僕に着せた。

僕の手を引き家を出た祖母に、祖母ちゃん今日はどこに行くの?敬老会?ラドン温泉?と聞く。もっと楽しいところだよ、と祖母が答える。わくわくが加速する。股関節を患って長い距離を歩くと足が痛む祖母が今日は随分と歩く。祖母ちゃん、足大丈夫?と聞くと、あんたは優しいね、大丈夫だよ、と僕の頭をなでる。

三叉路の祠を越えて、神社も越える。ここから先には絶対に行っちゃいけません、と厳しく言われていた川の橋を超え、高い火の見櫓を越え、さらに歩いていくと田んぼの中にぽつんと浮かぶ、フェンスに囲まれた大きな庭のついた大きな建物が見えてきた。

近くまで行くと、庭にはピンクのエプロンを着けた何人かの大人と、それを取り囲む僕と同じ奇妙な形の服を着たたくさんの子供たちがいた。

餌が欲しいのかな?と訝しんでフェンス越しに眺めていると、じゃあ頑張って、と祖母はぽいっと私をそこに放り込み、一度も振り返ることなく帰って行った。足を少し引き摺る祖母の背中がみるみる小さくなっていく。

その日の午前中、言われるがままに訳も分からず見知らぬ子どもと手を繋いで踊ったり歌を歌って過ごした。魂をすり減らし、腹を減らしきった所で昼ご飯となった。アメとムチと言うやつだ。うまく出来てる。

机には食事の入ったいくつかの食器と、空の食器が一つ置いてあった。ピンクのエプロンを着けた大人が、歪な形をした薬缶から、歪な形をした空の器に白く濁った液体を注いでまわる。注がれた液体が不快な匂いの湯気を放ち、表面には膜まで張り始める。

皆が呪文を唱えたあと手を合わせ、いただきまーす、と言って食事を始める。僕は白い液体が気になって食事どころではない。

隣の席を見ると、さっきまで笑ってキャベツのゆかり合えを食べていた女の子が涙を浮かべて、こくこくと白い液体を飲んでいる。

むつかしい事はわからないけれど、これはよくないことが行われているのだ。僕は手つかずの昼ご飯が乗った目の前の机を蹴り飛ばした。驚いた女の子は手を滑らせ、彼女の真新しいスカートは白い液体でびしょ濡れになった。それが久美ちゃんとの再会だった。

 

1980年代半ばの春の土曜日。修学旅行費をかっぱらった先生の先生の都合で社会の授業が自習になる。要はアニメ鑑賞会だ。田舎ではその類の話はあっという間に広がる。予報通りの霹靂にさんざめく教室の後ろの扉がからからと開く。皆がそちらに顔を向けると、ちりちりパーマの頑丈な顔つきをした担任教師が、開けた扉の隙間から硬い表情の顔を覗かせていた。薄紫色をしたレンズのパピヨンメガネの奥の濁った瞳が私の水晶体を射抜く。

彼女は僕の名を断固とした響きで短く呼び、教室は静まり返る。いらっしゃい、と頑丈な顔面をくいっと動かす。三日前にも遅刻のついでに校庭の国旗を半旗にして呼び出されたばかりなのに。

重い足取りで教室を出ると担任はすぐに扉を閉め、歩き出す。僕は仕方なく追いていく。鼓動が早くなる。昨日焼却炉の裏の花壇の裏で恵ちゃんにキスをされた所をベランダの手洗い場でレモン石鹸の補充をしていた久美ちゃんに見られたことを思い出す。鼓動はさらに早まる。

 

担任は理科室の方向に歩いていく。うーん、よくないな。理科室はよくない。

準備室で孤独を体現していた人体模型と骨格標本のフュージョンならセーフだ。今夕掛かってくる電話の後で母は僕をそれほど咎めないだろう。教育者でもある母は僕の好奇心と、成し遂げる意思を褒めてくれるかもしれない。

教師用の大きな机の手洗い場の亀の子束子と中庭の噴水の銭亀の子を入れ替えたのでも多分OKだ。ユーモアを解す母だ。バカじゃないの?と一笑に付されて終わる。

僕の机に彫られたリンガとヨーニのパドドゥならアウトだ。半旗の国旗の傷も癒えぬ修道女の心を持つ母は膝から崩れ落ち、僕は夜中に父と対峙することになる。

担任は何故か僕も一つ持っているマスターキーで理科室の扉の鍵を開いて灯りを点けると、体をこちらに向け、貴方の席に座りなさい、と厳しい口調で言った。母の膝蓋骨が割れる音が聞こえる。

 

1990年を少し過ぎた年、その日一コマだけある講義が休講になって失意の大学からの帰り道、途中の駅で一回り小さくなったちりちりパーマと私は再会することになる。あ~、と彼女が私を呼び止め懐かしむが、私にはカタルシスもカタストロフも一切訪れず、さいならと別れた。

 

土曜日は集団下校の日だ。学年順に整列した分団を前にお立ち台に立った校長がありがたい話をする。校長の後ろの掲揚台で半旗でない国旗がはためく。副団長の私は列の二番目に立ち、僕の前には団長の久美ちゃんがいる。久美ちゃんは集団下校の日は必ず白いシャツを着て、スカートを穿いていた。ちゃんとしているのだ。

僕は先頭に立つ全ての団長のヘルメットを見渡す。久美ちゃんのヘルメットが一等奇麗だ。顎ひももちゃんと締めている。ちゃんとしているのだ。

そんな団長を誇らしく思い、いつものように久美ちゃんのランドセルの錠前をかちゃりと外す。久美ちゃんは振り返って「やめて」と怒る。いつものように。

 

校長の長い話が終わると、僕と久美ちゃんは混沌を引き連れ、帰途に就く。校門を出てすぐの所にある交通量の多い道路に差し掛かると久美ちゃんは「はーい、止まってー」と分団旗を水平に差し出す。久美ちゃんがそうすると、無秩序を体現していた子供たちも、過積載の暴走軽トラックも、すっと静止した。それはとても美しい光景で、神託を受けた巫女の祈りの様だった。いまでもありありと思い出せる。

 

僕たちの家は校区の端にあった。学校から一番離れた場所に住む僕たちは最後の団員が帰ってから家までの道を二人で歩いた。

最後の団員が去ると、久美ちゃんの雰囲気は少し変わる。役割を終えたのだ。

今日はなんだったの?分団旗の旗をくるくると棒に巻き付け、首元で髪を結っていた紫色のヘアバンドで止めながら聞いてくる。僕は畔のカラスノエンドウを旗竿で薙ぎ払いながら事の顛末を話す。彼女の分団旗は切り出したばかりの白木のように無垢で、僕のはあらゆる液体が染み込んで鈍色に光っていた。

あれもそうでしょ?彼女は通学路の途中にある火の見櫓の根元のコンクリートに刻まれたヨーニと、大きな犬の足跡の事を指摘する。

足跡は僕じゃない、僕は言った。

ふうん、と息を漏らして僕を見つめる。恵ちゃんが机の事を先生に言ったのよ。久美ちゃんはそう言って、驚いている僕に、じゃあね、と小さな祠のある三叉路の角を彼女の家の方に曲がって帰って行った。僕はしばらくの間祠の前に立ち、バトンのようにくるくると分団旗を回す久美ちゃんの後ろ姿を眺めていた。

 

1990年の二年前の夏休み二日目の夜。僕たちは村の神社の集会所にいた。集会所には村の各世代の代表者が集まっていた。久美ちゃんが我々世代の代表で、僕が副代表だった。

来るべき盆祭りに向けて、各世代への連絡事項が印刷されたプリントが渡され、その説明があった。屋台はどうで、櫓組みはこうで、そんな事だ。

僕は早めに神社に来て境内で捕まえたカブトムシの短い方の角を持って、前に座る久美ちゃんの腕に這わせた。鋭い爪が皮膚に食い込み、久美ちゃんは振り返って「やめて」と怒った。

あらかた説明も終わり、忙しい中大変だとは思いますがよろしくお願いします、と総代が締めの言葉を述べたあと、あ、あともう一点、と続けた。

ご存じの方もおるかと思うが、最近放し飼いの猫が消えとるという話がある。猫はあれやし大げさにはしたないが、そういう話があるにはある。一応、気に留めといてください。

そう言って、参加賞のお茶を配り始めた。

僕は久美ちゃんの後に続いて集会所を出ると、すぐにお茶の蓋を開けて、ごくごくと飲んだ。冷たくも甘くもしゅわしゅわもしていない生温いお茶なんて好きじゃなかったけれど喉が渇いて仕方がなかったのだ。

飲む?と差し出すと彼女もごくごくと飲んだ。

猫の話なんて知ってた?彼女が差し出すお茶を受け取りながら聞くと、即座に、知らない、と短く答えた。僕たちは祠に向かって歩き始めた。

祠の三叉路で僕がじゃあね、と帰ろうとすると、久美ちゃんが、ねえ、と僕の名を呼び腕を掴んだ。

夏休みに塾に行こうと思うの。僕の手を掴んだまま久美ちゃんが話し始める。それで自分で見つけても来たんだけど、その塾がね、よい話も聞くんだけど、そうでない話も聞くの。悪い話というか、変わってる、という話。

うん、と僕は頷く。

そこは体験入塾みたいなことをやっていてね、それは友達と参加してもいいのよ。それが明後日なんだけど。

少し考えて、僕がついていけばいいの?そう聞くと、彼女は街灯の灯りの下で頷いた。

どうすればいい?そう聞く僕に、明後日、朝9時にここに来て、と久美ちゃんは答えた。

二日後の朝、鞄に筆記用具だけ入れて家を出た。家のすぐ前の寺の石垣に這い出てきたカタツムリが何匹もいて触覚をつついて遊ぶ。祠のある東に向かうと雨上がりの濡れた道路が朝の光を反射して光っている。すぐに祠に着くがまだ久美ちゃんは来ていない。いつも閉まっている祠の扉が今日は開いていて、中を覗き込むと歪な台の上にじゃがいものような石が置かれていて、その奥の壁には何かが書かれた紙が貼ってある。

祠の脇には鬼灯が一本生えていた。勝手に生えてくるのか誰かが植えているのか、いつもここで大きな赤い実を幾つも付けている。僕は透けた葉の裏にいたニジュウヤホシテントウを中指で弾き飛ばして、赤い実を一つちぎり取る。

久美ちゃんがまだ団長になる前、ここの鬼灯で風船を作っていた。久美ちゃんは魔法使いなのだ。袋を割くと中には大きな赤い実がついていた。

確か揉むんだったよな、と指先でこねこねと揉む。掌に押し付け、ぐりぐりと揉む。少しずつ柔らくなってきたところで、実の根元が割けて青臭い汁が飛び出す。僕は魔法が使えないのだ。

鬼灯を畔に捨てて、手についた汁を祠の石に敷かれていた布で拭う。久美ちゃんが来ない。

祠から南へすぐの彼女の家に行って玄関のチャイムを押してみたが、応答はなかった。彼女の家の庭には土壁の大きな納屋があった。そこは強い油粕の匂いがして、何に使うのかわからないセミエビの形をした農機具がいつも置いてあった。今日は扉が閉まっている。扉があるなんて知らなかった。

 

その夏、放し飼いの猫が次々と消えて、神社の賽銭箱が二度壊された。

久美ちゃんの三歳年上の兄が土壁の納屋で椅子に乗り、半分だけ降りて、揺れた。

僕たちは一度だけセックスをし、彼女は血を流した。

 

2000年代の半ば、僕はいつもの美容院で髪を切ってもらっていた。

本棚と椅子を買ったのよ。髪を切る手を止めることなく美容師が言った。

本棚には本が置けるし、椅子には座ることができる。ガラス越しに、道を挟んだ向かいの寺の鐘楼を見ながら僕は答えた。

本棚は組み立てられたんだけど、椅子が組み立てられないの。椅子が組み立てられないの。

僕は本棚と椅子を頭に思い浮かべる。椅子はキャスター付き?そう聞くと、彼女は、付いてる、と答えた。

確かに椅子の方が難しそうだ、と同意する。

今日はさっぱり予約が入らなくて、貴方で最後だからもうお店閉めるの。お店閉めるの。美容師が続けて言う。

僕は鐘楼から本堂の屋根の避雷針に目をやり、椅子を組み立ててほしいの?と聞いた。

ご飯くらい作るから、いいでしょ?何か苦手なものはある?りんごとさつまいもを煮たやつ以外に。

屋根の避雷針から鏡の中の久美ちゃんに視線を移す。

何で知ってるんだよ、そんな事。僕は驚いて聞いた。

給食の時間が終わって、掃除が始まっても教室の後ろに寄せられた机で貴方が涙を浮かべてりんごをぶすぶす箸で突いていたのを覚えてる。私はすごく腹を立てたのに、貴方がしてくれたように机を蹴飛ばすことができなかった。彼女も鏡の中の私を見ながら言った。

君は分団長だったのに。僕はふてくされる。

私は分団長だったのに。久美ちゃんが笑う。

じゃあ、レバニラ炒めのレバー抜きで。僕はそう言った。

それって、野菜炒めよね?

癖がないようで、癖のある厄介な私の髪を手懐けた久美ちゃんの仕事はとても早い。これでいい?と聞く彼女に、後頭部が映った鏡の中の鏡を碌に見もしないで、いいよ、と答える。ちゃんとしているに決まっている。

受付で金を払い、お店片付けてから行くから駅の本屋で待っててくれる?隣のスーパーで買い出ししたいの、そう言う久美ちゃんに、わかった、と受け取った釣銭をしまいながら答える。

じゃあ後で、そう言って僕は扉を開き、外に出た。

 

私と、私の周りで起きた事。

私の住む、二万人に満たない人口の、小さな町での出来事。取るに足らない、小さな物語。

 

2011年3月11日、この町の人口と同じだけの、小さな物語が終わってしまった。