こんにちは
全肯定!心理カウンセラーニッチ
振りかえって良く考えてみたら子供が亡くなった時に
1番責めたのは自分自身だったのかもしれない。
悲しみ過ぎてるのを見た夫が
「じゃ、もう欲しいと2度と言うな」と
言った言葉にフォーカスして憎んで
「この人は悲しみを分かってくれない」
「私って不幸」
「じゃ2度あなたと寝ないから」
八つ当たりして悲しみと責任を
転嫁してしまったんだろうな…。
最近Facebookに書いて
全肯定カウンセラーの皆さんに
「辛かったね」と言われて
また夫(元)を許してない部分があったなぁ
と今更思ってたんですが
鬱になるのって”自責”と”人のせいにする”のが
セットになってる事が多かったような気がします。
”こんな可哀想な私に
夫(誰も)が何もしてくれない”
にフォーカスするのではなくて
まず悲しみを味わって
そんな自分自身に
「そうかそうか辛かったね」と
言葉を与える事で人は癒やされる。
死なせてしまって自分責めしてた
私を赦すと夫の言葉も許せる。
愛が”ない”のは自分だった。
ありのままを許せなかったのは自分だった。
私は夫に八つ当たりしてた。
愛が”ない”ような言葉にフォーカスしてた。
いつまでも癒されない想いのひとつ
”責任転嫁”
この言葉をもし誰かから言われたら
悲しみの感情を感じつくす前に
それでも傷付くのが人間です。
世間の”こうであらねば”に傷ついて
誰からも癒してもらえない・・
そう思いこんでいる人は
結構いるのではないでしょうか?
自分を責めて悲しみの”表層の怒り”
に囚われている…
どうしたらいいの?の前に
何を私は辛いと思ってるの?
悲しみを感じ尽くす、実はそれが先なのです。
以前子供が産めなかった友達から
「子供を産んだ人には分からない!
と 八つ当たりされた時に
彼女自身が引きずって傷ついていること
親に孫を産んであげられなかった
世間の常識のような刷り込みで
彼女が自分を責めてること
そのヒントを与えただけで
私は辛くて距離を置いてしまった事で
私自身もしばらく罪悪感の鎖に
捕まっていました。
愛と 人からの
言葉や行動の理想には
得てしてギャップがある。
”すれ違い愛”に気がつくと
”無駄な怒り”でエネルギーの
消耗する事が少なくなり
穏やかになれます。
自分も他人も許せたら楽になるのに・・
私はずっとそう感じていました。
なぜそうなったのか?を感じきったら
自分の罪悪感は薄らいでいくのです。
人への憎悪や拗ねは愛だったと
同時に気付ける
受け容れられるというのは
そういうことなんですね。
あなたの心が何を望んでいるのか
あなたしかわからない。
でも近すぎてわかりにくいものなんですよね・・。
それに寄り添い感じていくお手伝いをするのが
私達心理カウンセラーです。
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生き辛さのブロックを外したいあなた
ニッチとお話することから始めませんか
今日も読んでくださってありがとう。
あなたの心の一日が晴れでありますように
全肯定!カウンセラー*ニッチより
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