6月8日 東京文化会館。

 

前回に引き続き今回は白鳥です。

 

ボリショイの白鳥は前に一回見てますが、何度見ても新しいのがバレエのいいところ。今回も堪能しました。

まずはロヂキン。第一幕のパ・ド・トロワでは躍動感を見せながらもやや抑制した感じです。そこがかえって端正さを感じさせて、いかにも「この人はいいウチで大事に育てられたんだなぁ」と思わせるところがあり、王子のキャラが良く出てました。また、この後のオデットやオディールとの踊りと比べると、ジークフリートの心境の変化が良く分かります。

そのPDTの相方の女の子のうちのひとりが良かったです。技術的なことは分かりませんが王子の誕生パーティーで王子と踊れて舞い上がってる女の子感が良く出てました。道化の人もちゃんと見せ場が用意されていて良かったです。私個人としては道化はもっと活躍していいと思うんですが、演出ですから仕方ありません。

 

今日はコール・ド・バレエも良かったです。白鳥たちの身長がピタッとそろっているのはボリショイの層の厚さを感じました。フォーメーションもきれいでしたし、紗を使った登場シーンも特徴的かつ幻想的でした。プログラムにも書いてありましたが、このバレエでは現実世界と心象世界が連続してつながるところに意味があるらしく、その点は良く表現されていたと思います。またロットバルトの登場シーンでは王子にぴったり寄り添い同じ動きをその背後で踊るあたりに、ロットバルトの正体が暗示されているようでした。

第二幕のパーティーシーンではロシアの踊りを踊った人が気になりました。この人の踊りは何か人をひきつけるものがありますね。そういえばロシアの踊りってあまり見る機会がないんですがこの版には入ってるんですね。

 

個々に見ていけば良かったと思う人はけっこういたし、普段ならあの人が良かったとかこの踊りが良かったとかもっと印象に残ると思うんですが、彼らにとってある意味残念なのはザハロワの前ではみんなふっ飛んでしまいます。

ザハロワは前回来日の時に比べるとやや年取った感はありましたが、やはり圧倒的な美しさは変わりません。この人の作るポーズの美しさ、動きの美しさはまるで絵に描いたようです。絵に描くときは画家が一番美しく見えるように実際のモデルを修正するわけですが、この人はそれを生身で表現するところがすごい。単にプロポーションの問題ではありません。計算された正確な動き、正確な位置取りができてこそでしょう。

またダンサーによってオデットが良く見える人とオディールが良く見える人がいますが、この人はオデットの方がいいかな?オディールは技術とスピードがあればある程度表現できると思うんですが、(あと表情)、オデットの方はゆっくりしたテンポの中で情感を表現しないといけないんで、高い芸術性が要求されると思うんですよ。彼女のオデットは見ている間全ての一挙一動に魂が吸い取られるようでした。彼女が踊ると何か会場の空気が変わるんですよね。

 

今回も早めのスタンディングオベージョンで、カーテンコールも何度したことか。彼女が手を振ると会場の人も手を振って、なんかアイドルのコンサートのようでしたが、それを素直に喜んでる彼女の姿にスが出てて、そこはなんかかわいらしかったです。踊っている時とは違う一面が見られました。

 

次回はいよいよ最後。「パリの炎」見てきます。

 

 

6月4日、東京文化会館。

行ってきました。スベトラーナ・ザハロワのジゼル。

会場に着くとなぜか開場30分前なのにもう人だかりが・・・

今回の公演はロシアン・シーズンというもっと大きなイベントの一部らしくて、関係者によるテープカットの式典がありました。特筆すべきはそこに生の(ステージで見ても生ですが)エフゲーニャ・オブラスツォーワさんがいたんですよ。

ラッキー!

オフステージでもきれいな人でした。

 

中に入ってからも今度はロシアのなんとかって言う人の挨拶と、会場に来てた安倍首相の挨拶があって、いつもとは雰囲気が違います。

私の席は招待席に近かったんですが、SPが眼光鋭くあたりを見渡してるんで、目を付けられないように何気なくプログラムを見てるふりをしたり、いろいろ変に気を使ってしまいました。

いや、別にやましいことはないんですけどね。ほんとに目つきが鋭いんですよ、ああいう人たちは。

 

そんな前置きはどうでもいいんですが、本編はすばらしかったです。まさにオーラです!特に二幕に入ってからは神がかってるとしか言いようがなかったです。一幕も良かったんですが、彼女は気品があるせいか(あるいはメイクのせいか)、あまり村娘っぽくはなかったです。でもウィリになると、村娘のキャラは薄まってしまうので、彼女にはあってました。特にアルブレヒトとのPDDはもう見てる私もなんか意識が舞台に入ってしまって、多分その間幽体離脱してたと思います。

 

ほかには踊りでは一幕で村人のPDDを踊ったマルガリータ・シュナイネルがよかったなぁ。安定した踊りで躍動感があって、見せ場も心得てる感じでした。パートナーのムクルトチャンはバリエーションの時にやや不安定なところがあって、ジャンプした後着地で少しぶれるところがありました。代役だから本調子じゃなっかったのかな?アルブレヒト役のデニス・ロヂキンもいかにも王子さまっぽい風貌で踊りの技術はもちろん、表現力もあってなかなか良かったです。

今回の振り付けで面白いと思ったのは、ハンス(ヒラリオンのことですがこの版ではハンスだそうです)がミルタに操られて自分の意思に関係なく手足が勝手に踊ってしまう感じが分かりやすく表現されていた点と、ジゼルがアルブレヒトを守ろうと前に立ちふさがった時、ミルタの刺し挙げた花の枝が折れて垂れ下がることで、ジゼルの愛の強さが表現されている点でした。一瞬アクシデントかと思いましたが演出でしょう。

そして全てが終わって最後のシーン。生き残ったアルブレヒトがひとり残されたたずむ姿に、思わず身震いしてしまいました。何度も見たバレエでストーリーが分かってても、やっぱり感動するなぁ。

 

終わった後はいつもより早めのスタンディングオベージョン。いつまでも拍手がやまないので、何度もカーテンコールがありました。

 

今度は白鳥!!

もう一度幽体離脱してきます!

 

久しぶりに映画の話です。先日「メッセージ」(原題 Arrival)と言う映画を見てきました。原作の「あなたの人生の物語」がなかなかの秀作で、どんな風に映画化されたのか、楽しみでもあり、不安でもあり。結論から言うと、不安的中、でもまぁこれはこれでいいか、と言った感じです。

以下ネタバレ

 

原作の方は異星人の宇宙船が突然地球軌道上に現れて、地上にルッキンググラスと呼ばれる一種のコミュニケーションツールを置くんですが、誰も会話ができない。そこで言語学者のルイーズ(主人公)が軍に呼ばれて異星人の言語の解読に挑戦する話です。

この小説の肝は2点。

ひとつは言語の習得で人間の認識の仕方や能力が変わるという点。

これは実際外国語を習得した人は、その言葉で話す時には思考そのものもその言葉に影響されることを経験してると思います。

この異星人の言語は「前後左右」とか「過去現在未来」と言う概念はなく、全ての内容を並列的に同時に表現します。

そしてルイーズは彼らの言語を習得するうちに過去も未来も一度に認識する能力を得ます。そして語られるのは自分の娘の生まれてから死ぬまでの一生で、しかもその娘はまだこの時点では生まれていません。

 

もうひとつは変分原理。

全ての物理現象は何らかの最大値、あるいは最小値を取るようになっているという考え方で、従来の因果律に基づいた物理学とは違い、物理現象の「目的」が最初から織り込まれている点がかなり異質です。作中では異星人の言語構造の説明として、光の屈折を例に光は発射された瞬間にどこへ向かうか、また途中に何があるか知っている必要があると、と説明されています。

しかし一方で、この考え方を押し進めると、人生で起こることには全て意味があり、最終目的に向かって最大値、あるいは最小値を取るようになっている、と言うようにも取れます。むしろ作者の意図はそちらにあったんではないでしょうか?

人は不幸に直面すると「なぜ?」と問いますが、因果律的にその答えを追求すると、ユダヤ・キリスト教的には原罪に行き着いてしまいます。古代イスラエル民族は、戦争に負けたり天災にあったりすると、それは自分たちが神との契約を守っていないからだと考え、律法の遵守を強化しました。それでも災いが続くと、これは自分たちの中にもともと原罪があるからに違いないと考えるようになりました。これが今でもユダヤ・キリスト教のベースになっています。しかしこの考え方では人間の存在そのものが最初からネガティブなものになってしまいます。ところが、変分原理で考えれば、人生には意味があり、その中で起こることにも全て意味があることになります。

小説の方は「三世の書」や人間の自由意志の問題も絡めながら、「人生の意味とは何か?」を問う秀作になっています。

結局この話は作者が娘を亡くした母親に「たとえ不幸な出来事でもこれには意味があるんだよ。娘さんの人生も短かったとはいえ、きっと意味あるものだったに違いない。いや、あなたと過ごした全ての瞬間がお互いにとってかけがえのないものだったんだよ」と言いたいために、異星人やら言語学やら変分原理やらを持ち出してSF小説に仕立てたとも取れます。

 

で、今度は映画の方です。細かい点の違いは置いといて、決定的に違うのは「変分原理」が出てこないこと。ルイーズが言語の習得により未来を見渡す能力を得たことにフォーカスされています。しかも原作にはない中国軍と異星人との一発触発の状態とか、結局最後は「アメリカが世界の危機を救う」といういつものパターンに落ち着いてしまいました。なんだかタイムトラベルもののバリエーションのような感じです。

あの原作の持つ哲学的思考実験はどこへ行ったんだ?変分原理が出てこなければ、ルイーズがなぜ娘の将来を知りながらそれでも生むのか、説明がつかないじゃないか。

まぁ娯楽映画ですからしょうがないです。しかし映画は映画で別物として見れば、それはそれでおもしろかったです。異星人の文字のヴィジュアライズもなるほどそう来たかと納得させるものがありました。どことなく前衛水墨画に見えるのは、アメリカ人から見た異質な文字は、結局東洋的なものになるんでしょう。

 

ちなみに映画の原題はArrivalですが、私は「メッセージ」の方が原作の雰囲気を良く伝えてると思います。まさに異星人からのメッセージでもあり、作者からのメッセージでもあります。日本の配給会社の担当の方、ブラボーです。

DVDが出たらもう一度見たいと思います。

 

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