4月も半ばの日曜日、ふと思い立って桜の見納めに吉野山へ行ってきました。
吉野山は仏教伝来前の自然崇拝を主とした古神道の聖地であり、古くから蔵王権現の神木とされる桜が植えられ続けている場所です。
標高200mの山裾から800mの山上まで、時間差で開花して行く桜花ですから、上の方はまだ楽しめるでしょう。
七曲り坂から見下ろす下千本 もう完全に葉桜です
黒門付近の中千本 咲いている木もありますが、主役は石楠花に替わっている模様
吉野の中心金峰山寺(中千本)の桜も終わっています
10年前に泊まった竹林院 当時と変わりません
『一目千本!』と称される吉野山の桜ですが、総本数は3万本を超えるそうで、視界に入るだけで千本=無数に有る…という呼称の様です。
開花するタイミングに合わせて、下千本→中千本→上千本→奥千本とエリア分けされています。
上千本の花矢倉展望台までは来た事がありますが、開花情報では満開なのは奥千本のみの様なので、気合を入れなおして未踏の奥千本まで登って行く事とします![]()
下山後の昼食で入った店の観光マップ 最終目的地を奥千本の西行庵とします
登って行く途中の上千本の桜スポットもほぼ散り終わり
ここも良いポイントなのに、時すでに遅し…
花矢倉展望台まで来てやっと三分散りくらい お馴染みのアングルですが、下の中千本はもう緑一色ですね
もう期待する満開の桜が見られない中、私も含め軽登山装備の多くの観光客がゾロゾロと急坂を登って行きます。
吉野は飛鳥時代に修験道の開祖:役小角が金峯山寺を開いて以降、厳しい自然の場で心身を鍛える人々が集まる土地であり、常に安楽を求める一般大衆とは相容れない世界がそこには有った様です。
その事が大海人皇子の隠棲や後醍醐帝の南朝鼎立を可能にした一要因にもなるのでしょうが、圧倒的な桜花の魅力が豊臣秀吉をはじめ多くの大衆を惹きつけ、吉野を観光名所に進化させたのでしょうね。
吉野水分(子守)神社 ここからが奥千本と線引きされている様です
古木の桜が満開でした。 由緒ありげな社殿ですが、豊臣秀吉がここで祈願したので秀頼が産まれ、のちに慶長10年1605)、秀頼の手で再建された社殿だそうです(重文)
奥千本に入ると桜の木が一気に小さくなってしまいます…
辺りは名産の吉野杉の美林が目立ちます
金峰神社周辺の桜も、まだまだ青少年期の佇まい
桜の本数はかつては奥千本が圧倒的に多く、春には見渡す限りのピンクの園だったそうですが、昭和初期に転換政策で杉への植え替えが進められ、一時は昔ながらの木は西行庵周辺などに100本程度残るのみになっていました。
しかし平成に入ってから奥千本再生の機運が高まり、杉の伐採と桜の植樹が徐々に実施され、現在も進行中だそうで、往時の姿を取り戻しつつあります。
金峰神社わきにあった石仏
西行庵への分かれ道 左に行けば、修行道の大峯奥駈道(熊野古道のひとつ)となって熊野の本宮大社まで続きます
峠を越えると、眼前に満開の桜群が飛び込んできます 奥千本ですね。
出会いは奥千本の胸騒ぎ エキゾチックジャパン!…違うか![]()
西行庵に着きました 苔むした4畳半ほどの小庵ですが、近年の作らしく、あまり近くで観ない方が宜しいかと…。
説明看板
西行こと佐藤義清は宮廷の北面の武士を脱サラ・出家した後、この地で2~3年隠棲し、歌人として多くの歌を残しています。
その後は全国を行脚して、多くの足跡を残した西行ですが、第二の人生の出発点の場所だった訳です。
隠棲に際しては、泣き縋る妻子を縁側から蹴落として家を出た…という逸話も残る西行の諸行無常とは、どんなものだったのでしょう?
隠棲を支えた石清水
西行庵周辺の木は大きくて、昔ながらの景観が偲べます
まさに圧巻ですね![]()
向かいの山肌に植樹された木も今後大きくなっていく筈
全域がこんな風に見えるのは、50年後かな?
向かいの山肌の細道を登り、杉の伐採と桜の植樹が進むエリアを巡って金峰神社へと戻って行きます。
道筋には何ヶ所かの削平地が有り、寺院の跡の看板が立っていました。
明治の廃仏毀釈までは吉野山の至る所に寺院堂塔が有った様ですから、西行庵もさほどに辺鄙な寂しい場所でもなかったかも知れませんね。
向かいの山から見下ろす西行庵
植樹活動の様子がよく判ります
金峯山寺の塔頭 安禅寺宝塔院跡あたり


























