『佐脇家:柿城』 三重郡朝日町向陽台3丁目

 

 雨“晴耕雨書”、こうも雨降りが続くと、ブログ更新が捗りますウインク

 

 埋縄城址から1kmばかり東に移動して、続いては佐脇家の柿城址を訪ねます。

佐脇家は資料によっては沢木家、佐沼家と書かれていますが、こうした場合の多くはヒアリングのみの当て字なので、より画数が多く一般的でない“佐脇”で正解なのでしょうね。

佐沼…は崩し字の読み間違いかと。

 

標高50mの丘の上全体を削平して造成されたニュータウン 標高は40m程になりましたが、津波対策は万全ですね♪

 

古絵図と城郭体系の縄張り図を対比します。 本丸のみが作図されていますが、二ノ丸が南から西の斜面に区画され、三ノ丸は調整池に沈み、四ノ丸が山裾に東西に広く配置されていた事が覗えます。

そうすると、左下の神社の小丘の存在が気になります爆  笑あせる

 

先に神社を見ておきます。 無事に調査出来ますように…「以後よろしく!」

 

参道の斜面に横堀が走っていました。ほらね! 古図には無いけど、出丸として機能していた場所でしょう。

 

 

 佐脇家は三河宝飯郡佐脇郷の国人で、室町幕府奉公衆として伊勢に赴任して、柿村を治めた様で“十ヶ所人数”の一人です。

幕府奉公衆とは、将軍の軍事を支える直属の武官(文官は奉行衆)であり、平時は幕府御料所や神宮御厨を管理する傍ら、有事には将軍のもとに馳せ参じる親衛隊です。

畿内を中心に五組編成で計一万人ほどの勢力だった様で、佐脇家は二番組に編成されています。

 

四ノ丸が縄張りされていた辺りか? 後ろは近年の版築で消滅した谷間(二の丸)で、上の森が現存の本丸跡です

下から見る城跡公園(本丸) 震災避難路ですね

 

上に昇り詰めると、住宅街に忽然と土塁!

 

この高さで見渡すと、先ほどの神社地の重要性が良く判ります

 

 

 柿城は柿村を見下ろす北西の丘陵の斜面を削平して造られた城で、ここも近年の宅地開発でその多くが消滅した城址なのですが、主郭と二ノ郭の一部は“柿城跡公園”として保存されています。

JR関西線朝日駅のすぐ北側の、比高20mの位置にあり、今回唯一の形状・景観ともにイメージしやすい城ですね。

 

城跡公園に入り、本丸へと登ります 右手に腰曲輪が付随していますね

 

この小郭も含め、二ノ丸を形成していたのかも知れません

本丸には2mほどの高さの土塁が巻いています

 

郭内は300坪程度の広さで、きちんと削平されています

煙族の好きな“物見櫓”がありました

 

 佐脇宗喜が城主だった弘治3年(1557)、柿城は六角義賢の重臣の小倉三河守実隆により攻められ、落城してしまいます。

この経緯については神戸政房著の『勢州軍記』に詳しいので、記しておきます。

 

 北伊勢に侵攻し、梅戸、千草、春日部家などを傘下にした六角氏は、次なる標的として柿城に攻め寄せました。

この時に佐脇家は河曲郡の神戸氏に臣従しており、すぐに神戸具盛が手勢を率いて駆け付けたため、睨み合いの膠着状態となります。

 一計を謀った小倉実隆は、和睦交渉を進める傍ら神戸氏の留守居家老:佐藤中務丞を篭絡して、謀反=神戸城の乗っ取りをさせます。

焦った神戸具盛は手短に和議をまとめると、慌てて撤兵して行きました。

すると小倉実隆は、神戸勢の去った柿城に一気に攻め掛かり、防戦むなしく落城してしまった…のだそうです。

戦国…ですねぇえー

 

 

植樹林の成長に負けて、眺望はイマイチあせる

 

案内看板より 施工前の詳細調査結果 背後の丘陵とは広い空堀で仕切られていた様です

 

造成・保存工事中写真 当初は保存する計画は無かった様ですが、地元や専門家の熱意で主郭のみ公園保存が決まりました。広い空堀が姿を現していますね

 

背後に有った丘陵はすっかり削られて、住宅地と化しています

 

 

 佐脇家はこの時に滅亡し、柿城も廃城になったものと思われますが、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦の際に、羽柴秀吉(秀長?)が家臣の加藤嘉明に宛てた命令書に、『柿城、縄生城は構えが良いので、すぐに乗っ取り城普請せよ!』と書かれているそうなので、陣城としてはその都度活用されていた様ですね。

 秀吉が手を付けたとなると…相当大規模に改変された可能性も…爆  笑あせる

 

 

猿 柿城に相応しいシンボルツリーが植えてありました かに座

 

 

次は栗田家の縄生城址を訪ねます。

 

 

【追記】

 柿城の後、すぐ近くの朝日町歴史博物館を訪ね、今回の訪城の裏付け資料を漁りました。

朝日町は北西の丘陵の上を大規模に掘り返して開発し、市街地化を進めています。

その為か歴史的な遺構の発見や出土品も多く、縄生廃寺の物を中心に展示も充実しています。

 

他の市町の施設に比べ、より多くの活動を通して貯えられた学術調査の資料、専門書が多く、公共施設にありがちな敷居の高さを感じる事もなく、見応えのある博物館でした。(入館無料、月曜休館)