明けましておめでとうございます。
新年早々から大きな災害・事故が相次ぎ、先行き不安な幕開けとなりましたが、2024年は政治や経済の面でも世界的に大きな節目の年となりそうですね。
年金暮らしの一庶民に出来る事は極めて些少ですが、ここはシッカリと人と物を見極めて、悔いのない選挙投票と消費活動に努めたいと思います。
さて、穏やかな好天に恵まれた正月の2日、初詣でを兼ねて意識的に残していた熊野古道歩きの最後の6.5㎞を歩いて来ました。
昨年末のゴール地点 紀伊井田駅からリスタートです
井田からの熊野古道(浜街道)は海岸を離れ、内陸の山裾を辿るので少し登って行きます
と言っても、峠道の険しさはなく緩やかに比高差30mほど登れば道は平坦に
おっと、夜間のバイクなどには危険な巨石!
道端の樹木が途切れると、熊野の海が視界一杯に広がります
空の青さに海の青… 昔は雑木林の中の薄暗く寂しい小径だったそうですが、近世のミカン畑の開発に伴って風光明媚な素敵な道になりました
そんな事が説明されています
そういえば古道脇の石垣も、森の中には更にずっと上の方までかつてのミカン畑の石垣が続いています
この実なんの実? 植生が違うので見慣れない樹木や実がやけに目につきます(^^;
何も無いけど、一里塚の標柱がありました 新宮城から一里 の様です
この後に道は一瞬 熊野古道らしい神々しさを見せます
すると現れた横手延命地蔵 子供の疳の虫に効果があり、地元に広く信仰されてる地蔵尊らしく、脇には小さな社務所もあり有人でした
もう少し先にあった導引地蔵(右)と首無し地蔵(左) 由緒書き看板が無く、謂われは判りません
地蔵さんを過ぎると人里になり民家が多数建っていますが… 殆どが新興の住宅に見えます
ここ紀宝町は人口減少地域なのでどうやら、311を契機に海辺を離れた住民の安心安全なニュータウンなのでしょうね 知らんけど。
そんなニュータウンを少し歩くと…
視界が開けて眼下に鵜殿の街が一望できます 紀伊山地の森林資源を活かした製紙工場の町ですね(紀宝町になる前はたしか鵜殿村でしたが) 写真右手には高速道路の建設が進んでいます
高速道路の建設は熊野古道も寸断しており、仮設道路を降りて行きます 南紀州の高速道路は内陸でトンネルを多用していますが、この先は速玉大社や那智大社を避けて海岸沿いに変わる様です。 トンネル掘削で那智の滝の水が涸れるといけませんしね(^^;
しばらく国道42号線に沿って歩きます
左から寄ってきたJR紀勢線に添って旧道に入り、鄙びた市街地を歩いて行くと…
熊野川左岸に出ました ゴールはもう見えています
熊野川を渡るには左側の熊野大橋の歩道が熊野古道となっています 右は自動車専用の新熊野大橋
熊野大橋の架橋は昭和10年との事で、御年90歳 歩道は車道より少し高く設えられており景色は良いのですが、車が通ると微妙に揺れて、吊り橋感覚を味わえます(^^;
下流にはJRの鉄橋と高速道路の橋(工事中)が見えます
新宮城(丹鶴城)の北面 舟入がよく見えるのですが、モロ逆光で写りません
熊野大橋を渡ると和歌山県新宮市に突入です
最初の信号交差点を右折すると速玉大社参道 ちょうど時刻的にも箱根駅伝往路のゴールの景色がダブリます(^^)
やったぁ! 遂に170km踏破のゴールです(^^♪
道中の無事を熊野速玉大神と熊野夫須美大神に感謝して
“旧暦のクリスマス”前の新宮駅から帰路につきました
2018年の6月に伊勢神宮の内宮からスタートし、2年くらいで完歩する積もりでしたが、予想以上に難行苦行の道程とコロナ禍での戒厳風潮なども相俟って、5年半も掛かってしまいました(^^;
しかし、苦行はより古の巡礼者の心境に寄り添えたとも思うし、歩速重視よりもゆっくり歩く事で目に映るものは格段に多かった筈…。
近々にもこの行程で得られたものを整理してみたいと思います。
さぁ、次の目標を探さねば(^^)
熊野古道伊勢路を歩く 完