走るおっさんライダーのブログ -3ページ目
(その1)
http://ameblo.jp/part-one/entry-11946667195.html

(その2)
http://ameblo.jp/part-one/entry-11948548871.html

(その3)
唐突だが、「ヘイトスピーチは規制されるべき」なのだろうか?
・・・もちろんその前に、「それでは、ヘイトスピーチとは何か?」を定義しなければならないのだが・・・。
そもそも、ヘイトスピーチの意味自体なんとなく漠然としている。
Wikipediaによると以下の通りである
とりあえず、少しでもイメージしやすいように、暫定的にヘイトスピーチを【差別的憎悪表現】として述べていきたい。

さて、意味として捉えることはできるが、これを規制するかどうかとなると難しい。
『表現の自由』との兼ね合いがあるからだ。これには慎重になるべきだろう。

まず、法で規制するかどうか以前に、ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)が倫理的、道徳的に・・・、社会の価値観としての視点から考えて、歓迎されるべきではない事は統一見解ではないかと思う。
(もし反論があれば、この記事を最後まで読んだ上でコメントを残していただきたい。)
そうであれば問題となるのは、何が表現として差別的憎悪となるのか?
そしてそれを、法律による規制の対象とするのか?・・・という点ではないかと思う。


確かに、ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)の規制議論は、日本人によるデモ活動の一部をきっかけに盛り上がった。
しかし、法律となれば国内に於いては日本人だけではなく、当然、国内の外国籍の者にも適用される。
ところが、ヘイトスピーチに反対する者の中には、
「日本人がそのような事を主張するのは、その前に国外における日本(人)へのヘイトスピーチがあったからだ。」
「国外の日本(人)に対するヘイトスピーチはどうなんだ。」という者がいるようだ。

そもそも、今回の問題で言えば、国外で日本(人)へのヘイトスピーチがあったからと言って、日本人が国内の韓国・朝鮮籍の者にヘイトスピーチをして良いという理屈は成り立たないだろう。
これでは応報にもならない。
日本国内で、韓国・朝鮮籍の外国人による犯罪率が高くても、生活保護を受けている率が高くても、その事とヘイトスピーチの是非とに関連はない。憂慮すべきではあるが別の問題だ。
これを関連付けてしまうのは、先入観によるものではないだろうか・・・。

国外の日本に対するヘイトスピーチは、法律でも日本の倫理観でもどうしようもない。
不十分とは思うが、日本政府によって【遺憾の意】を表明する程度だろう。
もし、何らかの制裁などによる圧力で、それらを規制するように求めてしまえば、内政干渉であり、まさに言論弾圧とも言えそうだ。
彼らが自主的にそれに対して何も対処しないのなら、そのような国であると世界が評価し、それに相応しい位置付けをする。
「日本人として怒りはないのか?」という声も聞くが・・・、
しかし、怒りはあっても、だからと言って、同じレベルの言動で返すべきだという理由になるとも思えない。


日本の一部のいわゆる右翼団体や、これらに賛同する側が、ことさらヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)の規制に反対したり、ヘイトスピーチ自体を正当化しようとする論は、不思議でならない。
規制に関してなら、右も左も関係ない筈であるし、そもそも、単純にヘイトスピーチ以外の言葉で、適切な対象に向けて主張をすればいいだけだ。

そして、国外における日本(人)へのヘイトスピーチと思われるものは、さらに広く世界に知らせれば良いのではないだろうか?
そして同時に「彼らはこのように主張しているが、○○の記録や資料によれば、我々の認識としては□□である。」と。

同じレベルで、汚い表現をする必要などない。むしろ避けるべきだと思う。
誇り高い日本人として、冷静で論理的な主張や反論をして欲しいものだと、“走るおっさんライダー”は思うのだ。

(つづく)
『侮日論』 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか
呉 善花(オ ソンファ)著 2014年1月20日発行

著者は1956年に韓国済州島で生まれ、志願による4年間の軍隊生活を経て1983年に来日され、1998年に日本に帰化されたそうだ。
そのような経歴から、どのようにして韓国人が反日思想を持つに至るかや、来日した際に直面する文化の違いと、その違いが解釈する視点によって、違う印象を持つ事などを紹介している。
また、歴史的経緯から朝鮮人が日本人に対して、どのような認識を、更にそれがなぜ持つに至るかを解説している。

以下は著者の公演の様子


さらに、戦前の日本による朝鮮併合は植民地であるとしながら、しかし、植民地化自体が絶対的な悪であるという定義に異論を唱えている。
日本国内では、朝鮮半島の併合に対して、「植民地支配ではない。」と言う意見が、いわゆる“保守派”の主張となっている。
一方、いわゆる“左翼”や、伝え聞く韓国側の主張では、「過酷な植民地支配であった。」という認識のようだ。

そもそも、おおよそ紛争や戦争というものは、一つには欲望の拡大化があり、その他に価値観の押し付けというものがあるように思う。
欲望の拡大化は、現在の世界情勢の中で、既に善とはされない価値観だろう。
他方、日本が長い歴史の中で存続・発展してきたのは、他文化を柔軟に受け入れてきた寛容さがあるだろう。

日本が自己の価値観を保持しつつ、他文化を受け入れ研鑚してきたのは、他国が隣国の脅威に常に晒され、異文化を拒絶し、競いながら国を守ってきた歴史に比べ、日本は他国の脅威に晒されることが少なかった事で、他国ではなく隣人や同業他者と競い合うことに、そのリソースが使われたからではないかと考えてみた。
この事は、日本と朝鮮の違いと言うだけでなく、日本と日本以外の国との違いと言えるかも知れない。

本書では興味深い例が示されている。
日本では、マナーの一つとして行われている、客の靴を外に向けて揃えるという行為は、韓国では、「早く帰って欲しい。」という意味になるそうだ。
だから日本人のその行動は、韓国人の解釈では、「体をねじ曲げて靴をそろえるのは、心がねじ曲がっているからだ。」となると言う。

他にもいくつか、人間関係における距離感など、朝鮮と日本の違いが示されているが、地理的に近くても、歩んできた歴史から、文化や価値観が大きく、時には、正反対に違う点がある事を知らなければならないだろう。
こう言った文化や価値観の違いは、どちらが正しいかなど決められない。
あえて言うなら、その国や地域に於いて正しいかどうかという事だ。しかもそれも、時代によって変化もするものである。

日本では韓国に対して、日本の価値観で批判する者がいるが、これはとても独善的な行為だと思う。
同時に、韓国が日本に対して行う批判も、韓国の価値観からなされるものは、独善的なものと言える。

一部の日本人は、韓国が世論によって司法が影響を受けることを『人治国家だ。』と批判する者がいるが、例えば『法は人の為にあるもので、法に縛られ過ぎるのは本末転倒だ。』と言う価値観に立てば、不思議ではないように思える。(受け入れる気はないが・・・)
ただ、日本に於いては法が高い優先順位を持つので、許されることではない。

更に言うなら、“走るおっさんライダー”は絶対に嫌だが、共産主義国家や社会主義国家であっても、或いは独裁国家でさえも、必ずしも間違っているとは言えないのである。

他国が『人治国家』であろうが無かろうが、それはその国の自己責任であろう。
勿論、世界が許容できる範囲内での、最低限の人権は守られるべきだが・・・。

それを認識した上で、批難するのではなく、その国や国民と付き合うかどうか、どのように対応するかを、国や企業や個人がそれぞれ決めればいいだけだと思うのだ。
(その1)

(その2)
個人的に思うことだが、直感と言うものは、本来、思考や行動を効率的に行うために、本能的に未来(危険)予測をするようなもの。
普通なら例えば、高所や暗闇に対して<危険>という直感に基づき、警戒したり近づかないようにしたりと、無駄にあれこれ迷うより先に、安全を確保する事に働く。
しかしこれは、時として逆の形で致命的に働く場合がある。『飛んで火に入る夏の虫』が代表例。

一方、先入観は直感よりも経験や学習の影響が強いように思う。
人間社会で言えば『おれおれ詐欺』は、先入観を悪用して人を騙す犯罪だ。
橋下市長と桜井会長の意見交換会は、先入観がそれぞれの心象にどのように影響するかを考える、非常にいい機会だったと思う。

さて、このブログを読まれている(数少ない方々)の中で、
特定の国籍・地域出身者を一括りにして考えている方に、自問していただきたい。

Q:あなたのご両親は、それぞれ同じ主義・主張を持っておられるだろうか?

Q:その両親と、あなた(及び兄弟がおられる方はその兄弟)と、同じ思想・信条を共有されているだろうか?

Q:人は、生まれながらにして、その思想・信条、主義・主張、未来は決まっているのだろうか?

Q:あなたは、あなたの生まれた地域の人たちと、同じ価値観を持っているだろうか?

Q:あなたは、生まれてから現在までに、考え方の変化は無かっただろうか?

Q:政権政党が変わると、その都度国民はすべて政権政党の方針に従うのか?

Q:一様に雪国の人は辛抱強く、南国の人は陽気で、都会の人はクールで、関西人は商魂逞しいだろうか?

Q:ある地域の人は全て、同じ考え方をし、同じ価値観なのだろうか?

Q:範囲が大きいと言うなら、一つの町内は同じ考えの人の集団か?

Q:ある企業の社員は、例外なく同じ価値観を共有しているか?ある自治体の地方公務員なら同じか?教師は同じか?

Q:例えば、日本人はみな同じ人格なのか?朝鮮人はみな同じ人格なのか?

※橋下市長が同和地区出身であるらしい事で、彼の考え方が判断できるとお考えだろうか?

こんなくだらない質問は、普通なら考えるまでもない。

にもかかわらず、国籍や地域を一括りにして、ああだこうだと言う事は正しいのか?
確かに、ある要素ごとに分類し、その集団の傾向を計ることはできるだろう。
しかし、それを根拠に特定の集団の、全員を例外なく評価するのはおかしい。
一部の日本人の、自虐的な先入観を払拭する事には大賛成だが、だからと言って欧米の白人至上主義、ナチスドイツのアーリア人至上主義のように、他国・他民族の人を侮辱していいとは思わない。

ある一定の方針のもとに意思を持って集まった集団なら、全く同じとは言わないまでも近い価値観は共有しているだろう。
マイナーな宗教集団などは、その例と言えるかもしれない。政治政党、政治結社、或いは暴力団や暴走族・・・。
ただ、このような自由意思で集まった集団と、選択の余地なくその地、国籍で生まれた人達とでは、大きな違いがある。
北朝鮮政府が日本人を拉致したら、その国民の全てが誘拐犯なのか?
北朝鮮政府に盾突いて蜂起し、政治を変えさせられない国民に罪があると言うのだろうか?


桜井会長を支持する側は、意見交換会の時の橋下市長の振る舞いを非難する者が多いと思う。
桜井会長はこの時以前から、橋下氏を「ハシシタ」と呼び、実績ではなく、彼の方針(から起こるであろうと勝手に予測する事態)に危機感を主張し、そこに出自や「マルハンが支援」などと真偽不明の風聞を根拠として挙げる。
しかし、2012年の週刊ポストの記事を見ても、何の証拠も挙げられていないどころか関係を否定している。
(以下記事へのリンク)

何の証拠もない週刊誌ネタを根拠に据えている、と言うより歪曲している点では、いわゆる従軍慰安婦問題を信じるよりレベルが低い。

もし、マルハンの橋下氏への支援を信じるのなら、従軍慰安婦の強制性の否定もできない。
しかし、桜井会長を支持する者は、あたかも明確な証拠でもあるかのように一方は信じ込み、もう一方は証拠がない事で否定できると言う、そのダブルスタンダードに気付きもしないのだ。

(つづく)
ネット上では、橋下市長、桜井会長、それぞれを支持する一部の者が、相手方のネガティブキャンペーンに躍起になっているように見える。
互いに相手方の言動を非難したり、どちらが今回の会談を不調に終わらせたかなどを言い争ったりしている。
どちらにも言い分はある。
その言い分のどちらが妥当かは、各人の立ち位置によって違ってくるものだ。

“走るおっさんライダー”としては、あくまでも「市役所にデモで、市長(自分)に対して直接その主張を言ったらいい。」との橋下市長の言葉を、桜井会長が「言いたいことがあるなら直接言え。」と受け取ったことが、そもそものすれ違いの原因だと見ている。

橋下徹 『最近のヘイトスピーチはヒドすぎる!表現の自由の限界!』 動画

(平成26年(2014)7月10日)
※橋下市長は、ヘイトスピーチを定義することは困難ではあるが、選挙で選ばれた自治体の長として、トラブル(裁判)にまでなっている団体の運動に対して、見て見ぬふりをせずに、何らかの対処をしようと模索している。
更に、憲法で保障された言論の自由との関係の難しさも認識している。
発言によれば、橋下市長はあくまでも、ヘイトスピーチの明確な定義や制限が難しい中、その団体の主張を聞くという姿勢で、大阪市役所の外には広いスペースがあるから、実際にそこでデモ活動をしてもらうと言うことだった。
この前提に立てば、桜井会長が会談を申し入れ、冒頭に「・・・についてお伺いしたい。」と切り出したのは主旨が違うだろう。
橋下市長のこれまでの発言を書き出し、その言葉尻をとらえて批判をするような場として設定されたものではない。
あくまでも、団体がどのような主張をしていたのか、どのような要求があるのかを聞き、それに対して橋下市長が意見を返すという場となるはずだったと思う。

※但し、今回の意見交換会の事前調整の時点で、どのようなやり取りがあったかが不明なので、必ずしも上記のような前提のままだったのかは分からない。


“走るおっさんライダー”は、今回の意見交換会での橋下市長の発言について、冷静に評価する方法として、一旦別の仮定による評価をしてみることを提案したい。
橋下市長、桜井会長に対しては、それぞれの支持派が、それなりの思い入れを持って見てしまうだろうと思う。

『在日特権を許さない市民の会』を、今では“走るおっさんライダー”は、いわゆる“保守派”とは見なさない(だからと言って良いとか悪いとかではない)が、支持者にはいわゆる“保守派”を自認する人が多いように感じるので、仮定の例示としては、例えば“保守派”と見られる首長と、沖縄の米軍基地反対運動団体の代表が会談をしたとしてみる。
ご存知の方も多いと思うが、基地反対派(の一部)は基地周辺での危険な妨害行為や、米軍兵の子供を含めた家族も同乗する車に向かって、大声で怒鳴ったりする行為などを続けているようだ。

・・・・・・・・・・
さて、申し出に対して首長が、日常業務や議会のスケジュールで、なかなか日程が調整できないでいると、基地反対派は「逃げた。逃げた。」と騒ぎ、更に支持者を動員して電話やメールで「逃げるな。早くしろ。」と抗議する。
やがて何とか調整して会談となった当日、数分遅れで会談場所に現れた首長。
それを見た“保守派”はどう思うだろうか?
(「忙しい中わざわざ時間を取ってやったんだ。数分の遅れなど遅刻のうちに入らない。」と思わないだろうか?)

基地反対派の代表が、首長に向かって「あんた・・・」と言ったら・・・?「お前ならいいのか?」と怒鳴ったらどう感じるのだろうか?
(「首長に対する口のきき方も知らないのか?まがりなりにも団体の代表のくせに?」と思わないか?)

首長が基地反対派の代表に「あんな反対運動はやめろ。」と言ったとしたら?
(「よく言った!」と賛辞を送りたくならないだろうか?)

そして、基地反対派の代表がいきなり立ち上がって首長に詰め寄り、暴力による勝負を挑んだらどのような感想を持つだろうか?
(「結局暴力か?そんなものに首長が応じるわけない!」「やはり左翼は暴力的だ。」とならないか?)

基地反対派の代表が「政治家なんて世の中で最も醜悪な人種だ。」と言ったら、どのように感じるのだろうか?
(「政治家がいなくて国は回らない。そんなこともわからないのか?」ぐらいの感想を多くの方が持つだろう。)
・・・・・・・・・・

もしこのように設定を変えた時に、橋下市長の態度に関して少しでもその感想が変わるようなら、その人は橋下市長或いは桜井会長だからという先入観で判断しているのであり、単にその態度を評価しているのではない事に気づくだろう。

とは言え、やはり“保守派”としては、「そうは言っても、我々は日本人だ。日本人を第一に考えるのは当然だ。」と思うかもしれない、「保守(?)の団体と、左翼の団体とでは、対応に違いがあって当然だ。」と言うかも知れない。
しかしその考え方は、法やルールに基づかず、イデオロギーによって判断している事であり、と同時にブーメランとなって、隣国の【反日無罪】を肯定することではないだろうか?
これは、法治国家日本を、人治国家に貶める考え方だと“走るおっさんライダー”は思うのだ。

だからこそ、優れた法治国家である(又は目指す)日本として成すべきなのは、必要な立法や法改正をする事だと思う。
市民運動が不要だとは思わない。むしろ重要な場合もあると思う。
しかし語りかけるべきは日本人、有権者に対してであって、例えば在日外国人やある国籍、地域出身の人を一括りにして、悪態を吐くことを正当化できるのだろうか?
もちろんこれは、民主的な方法で政治が行われているという、民主主義が前提での話である。

つづく
※以下は、政治の素人である“走るおっさんライダー”の個人的な意見です。
異論・反論のコメントも歓迎します。

橋下氏を知るための動画紹介


※補足
『たかじんのそこまで言って委員会』(2005年10月23日放送)
映画監督 崔洋一(さいよういち)氏との議論で、靖国参拝問題、戦犯について、慰安婦問題などに言及している。
ちなみに橋下氏は、2007年(平成19年)に大阪府知事選出馬表明(当時38歳)
いわゆる保守派と同じ主張を、政治の世界に入る約2年前から言っていた。
残念ながら、この番組は東京では放送されていないため、この番組での彼の姿勢を知る東京都民は少ないだろう。
この時から政治家になるつもりで、愛国者を装っていたとは思えないのだが・・・。
或いは“反橋下”派は、それでも既に政治家になることを決めていたと言うのかも知れないが・・・。


また、彼の主張はなぜか歪曲されて広まっている面がある。



この動画で見る通り橋下氏は、外国人参政権付与について賛成していない。
行政サービスの一部については、無視できないと言っているのである。
国政や地方行政にまで、在日外国人の政治参加を認めるものではないし、特別永住権制度も廃止する意向である。
しかし、“反橋下”派はどこをどう切り取ったのか、しきりに賛成していると言うのである。
それはあたかも、最近特に非難の声が上がる『朝日新聞』の捏造・歪曲と同じ手法だ。


更に、以下の動画2本を見て頂きたい。



上の動画は、橋下氏を批判する内容である。
その中で(3'50あたり)、なぜか橋下氏と青山氏の対談(2011年4月 アンカー)部分は合成音声によるものとなっている。
下の動画(タイトルがおかしいが)は、そのままの音声を使用しており、上の動画と違う印象を持たれるのではないかと思う。
他の部分の音声はそのままのものを使っていながら、一部を合成音声にしているのは作為的なものを感じる。
これは、愛国者の分断を目論む“反日”勢力の印象操作か、その操作に乗ってしまった愛国者かもしれない。
いずれにしても“反橋下”という結論ありきの視点ではないかと推察する。

また彼が、「政治家には権力がある。」と公言するのはなぜか?
そして“ぶら下がり”と呼ばれる日々の記者会見をするのはなぜか?
橋下氏は「政治家には権力があり、放っておくと暴走する危険性がある。過ちを犯すことがある。だから、メディアを筆頭に国民が政治家の権力を、常にチェックする必要がある。」と訴えているのだと思っている。


彼のこれまでの発言をつぶさに見ると、何事にも、与える権利に対して義務や責任を付帯する姿勢だ。
例えばカジノ法案においては、参入する経営側には経理の透明性を求めている。
単純に現在のパチンコ業界の不透明な金の流れを懸念し、ただただ反対するがために、それらがカジノに参入する(可能性が高い)からと、カジノ法案を進める橋下氏を目の敵にしている論者は、こう言った点を見ていない。

TPPにしても、橋下氏はそれ自体に賛成する発言はしていない。
TPPの【協議参加】に賛成していて、条件が悪ければ拒否するべきだとしていたのだ。
TPP拒否派は、「協議に参加すれば拒否できない。」と言う決め付けから、【協議参加=TPP賛成】という図式を描き、橋下氏を批判していたと思われる。
橋下氏を“反日”だと決めてかかるが故ではないかと思う。


橋下氏は、誰かに気に入られることを目的として、主義・主張を曲げることは無い。
それをすれば、後に自らの主張の整合性がとれなくなることがあると知っているからだろう。
そして彼のロジックは、実は“反橋下”派が思うほど単純ではない。
おおよそ常に、ある問題を考える時、立場が入れ変わる別の問題も想定しているようだ。
言い方は乱暴で単純に見えるが、そこに展開されるロジックは十分熟慮されていると思われる。
反対意見には「この問題についてその理屈で反対するなら、別のあの問題について同じ理屈で反対することはできないよ。」と返す。
ダブルスタンダードを排除する理念があるからだ。


橋下氏の言動を見て“走るおっさんライダー”が感じるのは、民主主義の質を上げ、国際競争力を高め、日本を強くして行こうとする姿勢だ。
政府が国民を守るにしても限度がある。行き過ぎればそれは、個人の自由を奪う社会主義・共産主義となるからだ。
TPP拒否の産業保護にしても、道州制に伴う都市間競争にしても、借金を膨らませるほどの景気対策としての公共事業も・・・。

国家による保護は、国民全体にまんべんなく均等に行うものではなく、弱者に対してより厚く行うべきものだろう。
能力があり努力する者は市場原理の中で評価されるべきであり、それが国の力になるのではないだろうか?
そこから得られる税を、国民への公共サービス、弱者保護に回すのが国家、自治体の役目だ。
政治家や議員を特別なポジション、特権階級とせず、政治や地方行政を身近なものにするのが民主主義だと思うのだ。