走るおっさんライダーのブログ -15ページ目
国は借金を抱えている。
今、その借金を“増税”によって返済しようとしているのか?
そうではない!

『借金大国だ!』『破綻する!』と言いながら、そのために増税するように錯覚させて、
増税分を借金返済に充てることにはなっていない。
三党合意で衆議院で決まった増税分の使い道について、この三党は違うことを考えているのだ。
おかしな話だ、増税だけ合意して、どう使うかは決まっていないのだ。

明らかに、政府を操る財務省官僚の利権のために、政治家は手玉に取られている。情けない話しだ。

政治家は、地元選挙区の支持を得て国会議員になれる。
地元選挙区の支持を得るには、地元に利益をもたらさなければならない。
道路や橋梁などの公共事業の他、何らかの補助や支援を地元に持ってきたい。
その査定をするのが財務省となれば、国会議員といえども財務省を敵に回したくない。
だから、財務省の要望を取り入れつつ、交換条件として地元への国の事業を見返りにする。




財務省は自身の力の維持と拡大のために、税収を増やしたい。

政治家は、国会議員であり続けるために、その要望を叶えなければならない。

それによって地元選挙区は、その政治家を支持する。

この悪循環によって、財務省は“増税”を望むのだ。




税収を増やす方法は、“増税”だけでなく、経済成長によっても可能なはずだが、財務省はそれを望まないだろう。
なぜなら、現在の国際情勢を考えると、経済成長を促す方法として考えられるのは、恐らく規制緩和だと思われる。
規制緩和をすれば、成長産業に投資が増える。それによって資金が循環する。

しかし、財務省はそれを望まない。
なぜなら、規制緩和は、官僚の支配力の減少。つまり影響力を削ぐ事になるからだ。
影響力を削ぐとは、利権の及ぶ範囲が狭くなる事であり、天下り先を減らすことになる。

だから官僚にとって経済成長は、国民が勝手に必死で苦労して果たすもので、規制緩和によってはならない。
財務省としては、出来ればもっと規制の範囲を広げたいわけだ。
だから、増税による税収アップを望むのだ。





改革の方法としては、出来れば道州制による地方自治を導入するのが良いかもしれない。
各地域の公共投資やインフラ整備など、補助金や支援などは、国ではなく道州が差配すればいい。
もちろん、中央省庁の官僚は猛反対するだろう。ここまで述べれば理由は明らかな筈だ。
しかし道州制によって、国会議員は地元に“国の金”を持ち帰ってくる存在ではなくなる。
そうなれば、政治家は財務省に頭を下げなくてもよくなる。
政府は税収の地域格差を調整、再分配はするが、各地方の使い道については口を出さない事にする。
国家全体の方針を決める存在の国会議員が、官僚の支配から逃れ、強い指導・管理力を発揮できる。

そうなる事で、政治主導の国家運営が可能となり、
国会議員は、もっと大きな視点で国家の将来を設計出来るだろう。

(この記事は2012/07/01にYahoo!ブログに掲載したものです。)
結局、なんだかんだと言いながら、増税先行となった。茶番だ。

こんな風に例えてみようか・・・。
国家や地方自治体をスケールダウンして、家庭と考えてみよう。
国民である家族のうち、働いて稼いでくる一家の大黒柱は、一般的に“夫”となる。
政府・自治体は、夫が稼いできた給料で、家庭を守る専業“主婦”だ。“主婦”に稼ぎは無い。
家族には、親世代も同居しており、親世代に稼ぎは無い。
そして子供がいる。子供も稼ぎは無い。
“主婦”は、家族に対して、様々な家事をこなさなければならない。
掃除や洗濯や食事の他に、近所づきあいも大切である。家族の健康管理にも気を遣う。
必要に応じて、食材や衣料品などを買い、医薬品なども準備する。
政府・自治体で言えば、道路の管理とかゴミの集積及び処分、電気や水道その他、インフラに関する業務。輸出入の他、外交などの国際的な役割も担う。
親世代や子供の世話のように、年金や高齢者福祉とか医療、或いは教育・研究開発も欠かせない。
徐々に“主婦”は、家族求めに応じて、快適な家庭を実現していく。
“夫”には立派な車を買い、子供には家庭教師をつけた。
高価な健康食品やサプリメントで、健康管理を徹底した。
わがままな親世代には、まだ足腰は丈夫なのに、食事をわざわざ部屋へ運び、口に運んで食べさせる。
最先端の掃除機や洗濯機を買い、大きな画面のテレビも買った。
何かと言うとリフォームを繰り返し、部屋と言わず廊下と言わず、一年中快適になるように家全体にエアコンが取り付けられた。
ただ、毎日家族のために働く“主婦”は、昼食をレストランで取り、
「家族に尽くしている自分に、このぐらいは許されて当たり前。」と言っている。
しかし“夫”の稼ぎは、それらをカバーするには足らない。
家計は慢性的に赤字で、借金をしている。
そして“主婦”はこう言うのだ。
「全て家族のためにしている事だから、無駄な事は一つも無い。家計が赤字なのは“夫”の稼ぎが減ったからで、自分のせいじゃない。
ただ、借金が膨らみ今後が心配だから、“夫”の小遣いを減らして、返済の足しにしたいと思う。」
「他の家庭は誰かを保証人にして借りているけど、我が家の借金は、土地や家を担保にしているので、安心。」
(外国は国債の引き受けを他国に頼っているが、日本の国債は国内で保有しているので安心?・・・ハァ?そんなバカな!)
もちろん外国に較べれば、確かにすぐに破産するわけではないとしても、
何よりも支出を見直すことが先決で、その前に小遣いを減らし(消費税増税)ても問題の解決にはならない。
家計のやりくりが出来ないで、家庭を守っていると言えるのか?
「借金を次の世代に先送りしないために。」と言うのはまやかしだ。
なぜなら、借金が減る見込みが無いからだ。
“歳出を減らす”政治システムこそ、次の世代に引き継ぐべき“財産”だ。
『体制維新―大阪都』橋下 徹 堺屋太一 共著 2011年10月31日刊行

イメージ 1
この本が出版された当時は、橋下大阪府知事だったが、以前(2012年1月)「朝まで生テレビ」に出演した橋下氏は、その約2ヶ月前(2011年11月)に、大阪市長に選ばれ、大阪都構想の実現に向けた、次の段階に着実に進んでいると感じた。

この時、橋下大阪市長1人に対して、反対派は6人。
以前書いた記事は、ここ→ http://blogs.yahoo.co.jp/partone1994/2971873.html
今自分で読み返しても、印象は変わらない。
今回は、書店で見かけたこの本を手に取り、橋下大阪市長の主張の内容の一端を知りたいと思った。
橋下氏を批判する者が、どのような点について反対しているのか?
先ずは、大阪都構想とは一体どういうものか?何を目指しているのか?と言う点だ。
この本には、そのあたりが丁寧に書かれている。
更に、大阪都構想に反対する者の意見と、それに対する反論もある。
実際にこの構想が実現された時、想定した効果が表れるかどうかは不明だ。
しかし、大阪の経済が衰退している現状があるなら、何かを変えなければならない事は同意できる。
そしてその、変えるべき点として、大阪府と大阪市の、「二重行政」「二元行政」に着目したわけだ。
この「二重行政」「二元行政」による弊害が繰り返し説かれている。納得できる内容だ。
さて、“おっさんライダー”は、この本を読み、大阪都構想に異論を挟むべきところが見つからなかった。
が、しかし、“おっさんライダー”としては、これで結論に飛びつきはしない。

一方の立場の意見だけで、全体がわかったつもりになるのは危険だ。
ある立場の側の主張であるから、最大のメリットの評価と、最小のデメリットの評価になっているかもしれない。
手元に、これから読もうと思う『「仮面の騎士」橋下徹 ~独裁支配の野望と罠~』と言う本がある。
“大阪地方自治を考える会”という、まさに橋下市長が再編しようとしている組織に属していた人たちが、著者として名を連ねている。
どのような反論が展開されているのか楽しみだ。

ところで、ある日テレビを見ていると、マ○コ・デ○ックスが、橋下氏を「大っ嫌い」と言っていた。
“おっさんライダー”は、このマ○コ・デ○ックスは、どちらかと言うと好きなタレントだが、この意見には今のところ同意できない。
とは言え一個人が、公人に対して、どのような感情を持つかを述べるのは自由であると思う。
気になるのは、このタレントが好きな視聴者の中には、タレントの好き嫌いと、そのタレントの意見を支持するかどうかを混同する人がいる。
橋下氏の主張の内容を知らずに、タレントの意見に左右され、偏った先入観で橋下氏の大阪都構想を見ることになるのではないかと危惧している。
何にしても、反対派の本を読んで、また記事を書こうと思う。

(この記事は2012/06/14にYahoo!ブログに掲載したものです。)
国会での増税案は、政治家の利権を守る法案である。
表面的に反対しているのは、有権者へのポーズに過ぎないだろう。

本来なら、歳入に見合った歳出だけで、国家政府は運営されなければならない。
もしそれで、国民へのサービスが不足するのなら、国民はそれを受け入れなければならない。

しかし、歳出の多くは国民へのサービスより、官からの仕事を請ける一部の者に流れている。
それを守ることで、官僚の権利を守り、それによって政治家は自らの地位を守る。
それを隠すために、低所得者への“ばら撒き”などをするのだ。

歳出を抑えられないなら、今後、税率はますます上がらざるを得ない。
単純明快な話しだ。

歳入は、我々国民から徴収される税金だ。
“ばら撒き”の原資は、国民から徴収された税金。
国家政府が資金を生み出し、ばら撒くのではない。政府に生産能力は無い。

税率を上げずに税収を上げるためには、経済成長しかない。
「経済成長しないから、税率を上げます。」では無く、
経済成長の障壁になっている規制や制限があれば、それを取り除き、
民間の経済活動の成長を助け、いかに活発になるかを考える事だ。

日本国民は過保護になっている。
国民は、何か問題が起きると、自分で学び、注意するのではなく、国家に規制をしてもらおうとする。
政府や官僚は、規制・監視団体とか、検討委員会だとかを作りたがる。
規制を国家に委ねれば、そこに税金が使われる。
予算が投入されると言う事は、政治家や官僚の利権が形成される。

「国民を守るのは、国家の務めだ。」と国民が考えるのも無理は無い。
しかし、国家に守られ過ぎると、国際競争社会となった現在では通用しなくなる。


自転車を漕ぐ事を考えてみよう。
それには家族と、食料を積んでいる。自転車を漕ぐ人は、その食料を食べ、エネルギーにして前に進む。
目の前に上り坂が現われた。
今の国民は、「上り坂はきついから、誰か手助けしてくれ。」と言う。
手助けをしてもらうには、その誰かに、自転車に積んでいる食料を分けなければならない。

きつくても、自分の体力でがんばれば、食料を分ける必要は無い。
経済が成長している時とは、きつくても国民は自分でがんばり、更に、他人の手助けをして食料を分けてもらい、それを蓄えてきた。

しかし、きついのを嫌がって、自分で漕ぐ事を拒めば、
自分や家族が食べる食料を、どんどん減らしてしまうのだ。
そのうち、上り坂でもないのに、すぐに誰かの手助けを求めるようになる。
今現在、手助けをするのは政府であり、中国を始めとする外国でもある。
政府には、原則として自転車が壊れた時に、修理をしてもらう事と、
年をとって体力が落ち、どうにもならなくなったときにだけ助けてもらえばいいのだ。
今では、政府の方が「この坂はきついぞ。手助けするぞ。」と、積極的にアピールしている。
手助けしてもらう時の、分ける食料の量(政治家や公務員の給与)に文句を言うだけではなく、国民自身が簡単に手助けを求めないようにしなければならない。そうしなければ、政府は太り続け、税金は増えるばかりだ。

税金が増えるのは好ましいことではない。国家に守られ過ぎるからだ。

国家の保護は、無償のサービスではない。常に非効率なのだ。

これから日本は、どの先進国よりも前に進み、政府に頼り過ぎない、民間主導の国民性を獲得すれば、世界的にも強い国になれる。

(この記事は2012/06/16にYahoo!ブログに掲載したものです。)


『略奪大国』 ジェームス・スキナー著 2011年12月出版
副題は -あなたの預金が盗まれている!-

過激なタイトルの通り、内容も攻撃的だ。
しかし、過激なのは言葉の表現上の事であり、言っている内容をしっかり読み込めば、
「なるほど」と思えてくる。とても理に適った(合理的な)主張だ。
そして、多くの日本人に読んでもらいたいと思う。
著者によれば、略奪しているのは・・・もちろん日本政府だ。・・・が、ただそれだけではない。
略奪しているのは、農家であり、漁師であり、高齢者、生活困窮者・・・
つまり政府から助成金や年金、生活保護費を貰っている人たち・・・。
著者が力説している事、それは“政府はお金を持っていない”と言う事。
そして“生産されないものは消費できない”と言う事。
政府に何かの支援をして貰うと言う事は、自分以外の誰かから、お金を貰うと言う事だ。
他にもいくつも主張はあるが、とにかく“おっさんライダー”は、この本を読んで、改めて気づかされることが多々あった。

さて、政府の公共事業への財政出動は、もちろん、経済や国民の生活、弱者保護に役に立つなら構わないが、それが十分役に立たないのなら・・・、要は“費用対効果”が無いなら、無駄遣いだ。
(この場合の効果とは、必ずしも経済面の効果だけではない。公共性や文化・教育なども含まれる。)

“おっさんライダー”は、一時期は「公共事業は景気浮揚に有効だ。」と漠然と思っていた時もあったが、そうではない。
日本の高貯蓄額を挙げて、それを政府の力で無理やり出させようとするのは、
「誰かがお金を溜め込んで使わないから、それを強奪して、俺が替わりに使ってやる。」と言っているようなものだ。
「そうして使う事で、経済活動に寄与している。」とでも言うつもりだろうか?
いや、これは泥棒の論理であり、無茶苦茶な話しだ。
必要な道路などの施設を作るならいいが、「財政出動は、経済波及効果がある。」と言って、利用されない施設を作るのは、負担を増やすだけだ。
逆に、必要な(費用対効果が見込める)施設なら、財政状況に関係なく奨励されるべきなのだ。

政府は経済活動をしない。すれば、民業圧迫と反発される。
つまり、使うお金は全て、国民から徴収(略奪)した税金で賄われる。
国民が(銀行が代行して)国債を買う(政府が借金する)と言う事は、
現在の国民が、自分たちの子孫から金利を貰うと言う事だ。
「国債は利回りが良い。」などと喜んでいるのは、「孫からたくさんお小遣いをもらえる。」と言っているのと変わらない。国債が増えるのは、子孫にツケを回すだけだ。
いや、もっと悪い。有無を言わさず、孫の財布からお金を抜き取っている(強引に負担させている)のだ。
我々は、これまで・・・そして大半の人が今も、政府のお金が自分のお金だと思っていないのではないだろうか?
少なくとも、税金を払う時は自分のお金だと感じていても、公共事業費、助成金、交付金、補償金・・・等に名前を変えると、とたんにその感覚を失っているように思える。
企業が投資をする時、当然の事だが、投資に見合う回収を見込んで行われる。資本を投下する事で経済活動を行い、それによって利益を得る。

言ってみれば、種を植え、手入れをして、収穫する。と言ったところだ。
植えた種(資本)から、果実と種(利益)を収穫して、果実を食べ(人件費他の経費)、また種(剰余金=資本)を撒く(投下する)。だからこそ、国民の生活は豊かになる。
これを国が行うと、種を植え(公共事業)、手入れ(管理運営)をするが、収穫(利益の回収)をしないのだ。
国民から種を取り上げて撒き、悪いことに種を植えた土地を痩せさせ(保護政策などによる企業の競争力の低下)、或いは、痩せた土地を狙って(支援が必要な業界)わざわざ種を撒き、収穫できずに、更に国民に「種をよこせ。」と言うのだ。
もっと別な例で言うなら、奪った種を撒かずに、誰かに食べさせたり、蓄えさせたりして(将来の天下り先に差し出し)、それでも「足りない。足りない。」と言うのだ。
種を撒く人(公務員や政治家)の食費(給与・報酬・各種手当)を抑えても高が知れている。
この者が撒く種(公共事業費、助成金、交付金、補償費・・・)から、無駄なばら撒きを規制し、政府が撒く種は、最小限にしなければならない。
既に一定の経済発展を遂げた日本の、今後の経済成長率を考えれば、過去の高度経済成長期の考え方は通用しない。
国民が種を撒く時、そこには利益が期待できる。
政府には、畑の見張りをしてもらう必要はある。見張りのシフト(立法)を決め、見張り(行政)をして、侵入者を撃退(司法)する。しかし・・・
政府が公共事業をしても、経済に対する影響は、間接的でしかも効率が悪い。
このことを肝に銘じなければ、外国の例を出されただけで、消費税アップに納得させらる、愚かな政府の奴隷となるだろう。

(この記事は2012/06/02にYahoo!ブログに掲載したものです。)
知的複眼思考法 苅谷剛彦 著 1996年9月刊行 2002年5月文庫版発行
―誰でも持っている想像力のスイッチ―
この本は、物事を多面的に捉え思考する事の大切さと、その方法を解説してある。
世間を見渡せば、どこかの“偉い(っぽい)誰かが言った事”を鵜呑みにして、自分自身で検討もせず、そのことに対する質問に、ステレオタイプ的に答える人の、なんと多い事か・・・。
或いは、飛躍した論理展開で、自分の想像の産物と現実を混同する様々な陰謀説論者。

例えば『星座占い』
人類は70億人に達したと言われるが、それがたった12通りに分類できると言っているわけだ。
例えば『ネス湖のネッシー』
最初にとられた写真は、二人の老人のイタズラだと判明したにもかかわらず、今だにいると言う人たち。
例えば『人類の月面着陸捏造説』
発端となった捏造説論者の根拠が全て否定された後になって、日本でその説の番組が放送された。
しかもその番組では、反証された事は伝えられなかった。
例えば『CO2による地球温暖化』
当たり前のように、地球温暖化の原因がCO2だと言う事になっているが、専門家によれば原因として確定できていない。
例えば『社会福祉の為の消費税増税』
社会福祉を口実にしているが、増税分が全て社会福祉に使われるわけではないし、根本的な問題の解決にはならない。
もし仮に、増税分を社会福祉に使ったとしても、景気対策と歳出の見直しをしなければ、今後も赤字財政は続く。

人は、どうも、一度何かを信じた後では、信じるに至った根拠が否定されても、簡単には元に戻らないようだ。
特に新宗教・新新宗教の信者は、それらの代表とも言える。

“おっさんライダー”はある教団の信者と何度も話したことがあるが、その教団の“教え”が正しいと言う根拠は、いくら聞いても見えてこない。にもかかわらず「正しい」と言い張る。
その信者が、教団から“教えられた”事に対する疑問をぶつけると、とたんに返答に窮し、矛盾を指摘すると、
 
「宗教だからと言う偏見があるだ。経験すれば正しい教えだと“実感”出来る。」
などと言う。
通販番組でもよく使われる“実感”と言う言葉は、あたかも“実証”されている事と近いイメージを持つ人が多いように感じるが、どこかの誰かが“感じた”と言っているだけで、ほとんど何の根拠にもなり得ない。
人は多くの錯覚を起こすものだ。
“錯視を利用しただまし絵(トリックアート)”を考えれば、あるはずも無いものが見えることなど、日常茶飯事だとわかる。
この本の著者はあとがきで、執筆中にオウム真理教事件が起こり、複数の視点からものごとをとらえていくことの重要性と、それを広く伝える事の大切さを感じたと述べている。
何かを妄信する事は危険を伴う。
“信じることは美徳である”“全てを疑うことは愚かである”
と”おっさんライダー”は考えない。
これらの言葉自体、何かの明確な根拠があるとは思えないからだ。

“信じる”の反対(対義語)は“疑う”かも知れないが、しかし“信じない”は“疑う”と同じではない。
それまで信じてきたことを覆す新たな説に直面した時、偏り無い立場で検討する事ができるだろうか?
ある一方の説を信じたいあまり、無理なこじつけによってそれに反する説を否定しようとしないだろうか?
常に自分を戒めたい。
その先にものごとの本質が隠れているのではないだろうか?

(この記事は2012/05/26にYahoo!ブログに掲載したものです。)
雑誌Newtonの別冊で『次元とは何か』が出版されていたので、ついつい買ってみた。
多次元世界は、まだ仮説の段階で、その証拠はまだ発見されていない。

我々は『3次元の“空間”』に、時間と言う次元を足した『4次元”時空”』に生きている。
いや、この場合“4次元時空に生きている”と言っていいのか・・・?
“4次元時空しか認識できないで生きている”と言った方が良いのか・・・。
多次元世界を想像できるだろうか・・・?
3次元空間とは、幅(x軸)と奥行き(y軸)と高さ(z軸)の3つの軸がそれぞれ直角に配置される空間だ。
我々の認識する空間では、ある一点を定義するために、この3つの座標を指定する。
多次元世界は、この幅と奥行きと高さの軸に対して、更にまだ直角に軸が存在すると言うわけだ。
時間軸とは別にである。
何とかそれをイメージしたいと以前から思っているが、どうにもそれが出来ない。
どれだけ理屈を並べられても、イメージできない事には納得できない。
納得は出来ないが、間違っているとも思わない。何とか納得したいと思っているのだ。
それがイメージ出来ないのがもどかしい。



そして更に、今、“おっさんライダー”の未熟な頭を悩ませる問題が、ブラックホールである。
ブラックホールはその強力な重力により、宇宙で最速の質量0(ゼロ)の光子でさえも、捉えると逃さない。
宇宙には4つの力があり、それが、重力、弱い力、強い力、電磁気力だそうだ。
それらを構成しているのは素粒子であり、その素粒子がひも状だと言っているのが、『超ひも理論』で、それぞれ、グラビトン(重力)、ウィークボソン(弱い力)、グルーオン(強い力)、フォトン(光子)と呼ばれる。
光は、粒子性と波動性の相反する二つの性質があると証明されているにもかかわらず、“構成要素はフォトンと言う素粒子だ”と言う点が、いまいちピンと来ないが、それさえも落ち込むブラックホールの、その強力な重力を伝えているのもグラビトンと言う素粒子だと言うわけだ。
そこで頭を悩ませる問題なのだが、何もかも引き付けて放さないブラックホールが、どうしてグラビトンと言う重力を伝える素粒子だけは、引き付けておくことが出来ないのだろうか?
とは言っても、天体の観測で間接的に、ブラックホール(らしきもの)は発見されているし、そこに物質が引き込まれ落ち込んでいることは、どうも否定しようがない様だ。
だから、現実として明らかに、ブラックホールの周囲に対して、重力は伝えられている(のだろう)・・・。
う~ん・・・もっと賢い頭脳が欲しかったなぁ・・・orz
まあ、そのおかげで、色んな不思議を考えるのが面白いのかもしれないが・・・

(この記事は2012/05/15にYahoo!ブログに掲載したものです。)
『洗脳~スピリチュアルの妄言と精神世防衛テクニック』 苫米地英人著 2008年6月20日発行

この本で著者は、最近テレビで見かけることが減った、自称スピリチュアル・カウンセラーの江○啓之氏を、はっきりと名指しして批判している。
同書によれば、この江○氏が出演していた番組が、BPO(放送倫理・番組向上機構)で取り上げられたそうである。
著者が、彼やその番組を批判する理由は、スピリチュアル(霊的)の浸透
が、カルト宗教が活動するための素地作りになるという危険性だ。

カルト教団とは、自己の利益の為に反社会的な活動をする団体だと、“おっさんライダー”は認識している。
カルト教団は、自己の主張の為に活動しているのではない。主張の展開はあくまでも手段である。
自己の利益につながるから、主張を展開しているに過ぎないと思う。
そして、スピリチュアル(スピリチュアリストなど)と呼ばれる類の活動をする人たちは、自覚の有る無しに関わらず、言ってみれば反社会的活動(テロリズム)をする(しようとする)者の、尖兵を務めたり、後方支援をしているようなものだ。

このような自覚の無いスピリチュアリストにしてみれば、大いに反感を持たれる事だろう。
しかし、それらの人は霊的な世界を、一度でも立証できた事が有るだろうか?
「実感している。」と言う程度では、何の立証にもならないことを理解しているだろうか?

人間は、錯覚や錯視をする生き物だ。
心霊写真も、見方によって解釈が変わったり、いたずらや技術的な問題の可能性を否定できない以上、証拠とはならない。
錯覚とは言えないが、人間は太古の昔から、例えば夜空の星の配列を、星座として人や動物などの形になぞらえてきた。
人の感覚は、有る部分では精密機械のように敏感だが、一方では簡単に錯覚を引き起こす。



先日、『ほこ×たて』と言う番組で、かの超能力者ユリ・ゲラーと、
高硬度のスプーンが対決し、見事、高硬度のスプーンが勝利した。
物理的な力で曲げられないスプーンを、世界的に有名な(自称)超能力者は、その(自称)超能力で、ほんのわずかも曲げることが出来なかった。



病気を「悪霊のたたりだ。」などとして加持祈祷に頼り、思考停止し、原因の究明をしなかったら、現在のような医学の発展も無かっただろう。

干ばつを「神の怒りだ。」などと言って“雨乞い”だけに頼らず、気象学の研究・発展をさせてこなかったら、現在のような生活も無い。

「科学技術のせいで原発事故が起こったのだ。科学技術偏重に対する天罰だ。」と言う者がいるだろうか?
そもそも、“科学技術”と“科学技術偏重”とは別のものだ。
科学技術が事故を招いたのではなく、原発事故は人災と言えるだろう。

「現代医療が見放した病気を、信仰が治した。だから、信仰は何より尊重すべきだ。」などと言う者がいる。
おかしな話だ。信仰で直せなかった病気を、どれほど現代医療が治してきた事だろう。
そこがすっかり思考から抜け落ちている。

ある者は「科学は万能ではない。科学で解明できない不思議な現象が、現に存在する。」と言う。
「見えるものだけが世界の全てではない。見えない世界にこそ、人智の及ばない霊的な現象の原因がある。」などとうそぶく者もいる。

確かに、現在の科学は万能ではない。だからこそ、今でも様々な分野で研究がされているのだ。科学は完成されていないし、なにより思考停止していない。

そして科学は、見えない世界を否定などしていない。
見えるものなど、科学のほんの一部でしかない。
単純な話し、電波は見えないが、テレビやラジオ、携帯電話はそれを利用している。
磁力は見えないが、様々な所で磁石は活用されている。
天文学や物理学では、目に見えないダークマターやダークエネルギーが、宇宙を満たしていると言う解釈が主流だ。
科学が、地表を満たす目に見えない大気の存在を、否定しているとでも言うのだろうか?

これらの目に見えない世界でも、間接的に“見る”ことで利用しているのが、科学であり物理学だが、スピリチュアリズムやスピリティズムでは、単に畏怖し、誤った解釈や儀式によって、
結局利用できていないのではないか?


もう、スピリチュアリズムやスピリティズムから脱却しよう。洗脳を解いて、思考停止から自由になろう。


釈迦が説いた“教え”では、この世は全て苦である(一切皆苦)と言った。
ただし、この“苦”とは「思い通りにならない」と言う程の意味だそうだ。
何かに祈ろうが、神にすがろうが、思い通りになるとは限らないと言うのだ。とても論理的な主張だ。
しかし、中国・朝鮮を経て、日本に伝わった仏教(大乗仏教)では、それとは間逆の教義になっていた。
仏にすがって、困難を回避・解決しようと言うのである。しかし、仏に願いを叶える力など無いのだ。


アメリカが非難する独裁政権下の国家の国民は、自由を奪われ、人権を無視されていると主張するが、そのアメリカはキリスト教国であり、キリスト教は人間が神の創造物であるとして、その神に無批判に従う事を教える。
これは、人間が神の所有物であると言う、主従の関係を表している。
極端に言うと、神が飼い主で、人間はペットや家畜同然なのだ。
アメリカ国民は、神に対しては自由ではなく、人権も保障されないのだ。
いや、もしかしたら、アメリカの言う人権とは、“飼い主が許す範囲でのみ可能なペットの自由”と同等だと解釈した方がいいのかもしれない。
であれば、自由主義国アメリカと独裁政権下の国家との対立は、一種の宗教対立である。
つまり、独裁者を崇めるのか、キリスト教で言う神を崇めるのかの違いだ。

それを踏まえた上で、アメリカの行動原理を見ることも必要だと思うのだ。
アメリカが主張する、表向きの発表に洗脳され、単純にその大義を鵜呑みにしていいのかを・・・。

(この記事は2012/05/13にYahoo!ブログに掲載したものです。)
『下町ロケット』 池井戸 潤 著 2010年11月29日出版 読了
こういうたぐいの、つまり創作の物語は比較的あまり読まないけど、この作品は面白かった。



もともと創作物では、ミステリ-系、つまり推理小説は、
幼い頃にはよく読んでいたが、最近は読む機会が無く、
ちょっと前に、第11回本格ミステリ大賞と日本推理作家協会賞を受賞したと言う事で、
久しぶりに読んだ『メルカトルかく語りき』 麻耶雄嵩著で、ミステリー小説が、昔とずいぶん変わっている印象を持って、残念な気持ちになっていた。
この作品は、もしかしたらミステリー小説マニアには好まれるのかもしれないが、隠された謎解きの要素を探りながら読み進めたり、主人公の推理の妙を楽しみたい読者には向かないと思った。



『下町ロケット』は、中小企業規模の小型エンジンを製造する町工場“佃製作所”の社長が主人公だ。
この中小企業は、しかし革新的な技術の特許を有している。
時々ニュースなどで、NASAに製品を供給している下町の工場が紹介される事があるが、
ただ、この“佃製作所”にあるのは、製造に関する職人的技術と言うより、構造に関する技術的特許と言ったらいいだろうか・・・。
前半では、この下町の工場が、大口の得意先から取引打ち切りを言い渡され、
更に、降って沸いたような訴訟問題に悩まされる。
このあたりを読んでいると、なぜ、わざわざタイトルに“ロケット”の文字が入っているのか、ちょっと不思議に思えるのだが、読み勧めていくとその意味が徐々に解ってくる。
この物語には、
研究者の側面を持つ経営者としての迷いや悩み、
経営者と社員との意識のずれによるトラブル、
大企業と中小企業の規模の違いによる衝突、・・・様々な要素が盛り込まれ、
個性的な登場人物により、活き活きとした物語になっていると感じた。

(この記事は2012/05/07にYahoo!ブログに掲載したものです。)
先日講演を聴きに行った古賀茂明氏の、『官僚の責任』(2011年7月出版)を読んだ。
イメージ 1 著者は元官僚だから、内部の事情に詳しい。
この本では、官僚がいかに、国民のためでなく自己の利益のために思考し、動いているかが書かれている。

官僚は、どれだけ日本国民を絞り上げても、何とかするもんだと舐めているように感じる。
結局は、国家や国民の未来ではなく、自分の将来が有利になるように働いているわけだ。
例えば、海外旅行者の数や、芸能人、企業の社長とか役員とかの生活ぶりを見て、「まだまだいける。」と思い、
被災者とか、生活困窮者の現状を利用して、「国民から徴収しよう。」と考えているのではないか・・・?
逆の発想も検討してみるべきだと言いたい。
このようなダブルスタンダードな思考は、一般にも多い。
税金を徴収される側に立てば、「税金は国民の血税だ。」と考えるが、補助金など交付を受ける側に立つと、「これは政府の金だ。」となるのではないだろうか?

自分の利益に関係ないと感じると、その見方は厳しくなり、
自分の利益に関係ありそうだと感じると、見方が甘くなる。

治療を受ける立場に立つと、費用の負担額が高いと文句を言い、身内に医師がいたりすると、報酬が少ないと文句を言う。
得をするのは個人の努力のおかげで、損をするのはシステムのせいだと言うわけだろうか。
ある業界が政府に支援を求める時には、その業界内の苦しい経営サンプルを持ち出して窮状を訴え、他の優遇されている業界を探して引き合いに出し、支援を得ようとする。
しかし、支援を受けている業界は、苦しい他業界を見ても、見ぬフリをするだけで、自分たちから「支援を取りやめてもらおう。」とは決して言わない。
政府が支援をする時には、何らかの機関を設置し、その省庁に予算が配分され、
或いはそれが、官僚の天下り先になったりするから、受益者はそれを必死で守ろうとする。
だから、一旦始まった交付金はなかなか減らず、特殊法人も無くならず、事業仕訳の実効力も薄い。
当然税金の支出は膨らみ、減ることが無い。ならば「増税やむなし。」となるのは必然だ。

ダブルスタンダードを戒めなければならない。
公共の保護や支援を求めるなら、公平・公正に、自己の損得ではなく、公(おおやけ)のためと言う立場で判断し、支援するもの、続けるもの、辞めるもの、を検討しなければならない。
例えば、業界の支援や保護を始めたら、一定期間後にその業界からの税収が増えたかどうかを精査し、税収が増えたら支援や保護を終了するが、増えなかった場合は、その結果を担当省庁や官僚の評価に反映させる。

そうすれば、官僚はもっと一所懸命にがんばるのではないだろうか?

(この記事は2012/04/25にYahoo!ブログに掲載したものです。)