走るおっさんライダーのブログ -14ページ目
『この国で起きている本当のこと』辛坊治郎著 2012年4月30日発行
著者は関東では放送されていないらしい関西発の番組、『たかじんのそこまで言って委員会』で進行役をされている。


実はこの本の前に、「モンスターU子の嘘」越智月子著 2012年1月30日発行
という小説を読んでいた。
書店で見かけたときに、帯の紹介文が絶賛していた(当然と言えば当然だが・・・)ので、
読んでみたのだが、残念ながら“走るおっさんライダー”は、全く嵌らなかった。
 
それよりも、並行して漫画『闇金ウシジマくん』真鍋昌平 も読んでいたのだが、
これはとても興味深かった。
もちろんフィクションでありデフォルメしてあると思うのだが、リアリティを感じた。
人間の・・・或いは社会の・・・“裏”とか“闇”の部分が描かれていて、
一般人から見れば非日常的ではあるが、一歩踏み外せば、簡単に陥る可能性がある世界だろう。
そして、現に似たような状況で生きている人がいるに違いない。
そういった人たちも含めて、現在の社会は構成されている事を忘れてはいけないと思った。

『たかじんのそこまで言って委員会』は、政治・経済に関して刺激的な発言の多い討論バラエティ番組で、“走るおっさんライダー”は、いつも楽しみに見ている。
本書を書店で見て、目次を開いてみた。
 
第1章 年金の恐ろしい真実
第2章 検証「3.11原発敗戦」
第3章 これから原発をどうすべきか
第4章 日本の財政はもう「詰み」なのか
第5章 国は「農」から腐る
第6章 「橋下徹」という爆弾
第7章 不思議の国・日本の情景
 
となっていて“走るおっさんライダー”が特に気になったのは第6章だった。
第6章 「橋下徹」という爆弾 の賞の中は、こうなっている。
○役人の論理を突破する「暴論」
●「大阪秋の陣」の裏舞台
○大阪の今日は、日本の明日
である。これを見て、著者は橋下徹大阪市長(日本維新の会代表)に対し、否定的に見ているのかと思い気になったのだが、早速購入して読んでみると、そうではなかった。(詳細は本書を読んで欲しい。)
 
それよりも、やはり年金に対する問題定義は、詳細なデータと併せて鋭い指摘がされている。
とは言え、この問題に関しては、常に“今の状況がこのまま続くとすると・・・”が前提になっている。
そしてその上で、将来の破綻が確実視され、その解決の為の財源をどうするかの問題に終始する。
シミュレーションとしては正しいのだろうが、しかし“走るおっさんライダー”は、このような前提での年金の財源確保は困難だと思う。
問題は「少子高齢化による高齢者の扶養」ではなく、少子高齢化自体を解決しなければならないのだ。
「少子高齢化で将来の若者は、2人で1人の高齢者を養わなければならない。」とばかり言っていてもしょうがない。
というより、問題の解決から離れていくだけだ。
こんなことを言われたら、愛情ある親ならそんな未来に、我が子をたくさん残したいと思うだろうか?
できることなら最小限にしたいと考えるのではないだろうか?だから少子化に拍車がかかるのだ。
 
『どこ(誰)から、いかに多く税を徴収するか』の議論は「もういい加減にしてくれ!」と言う気になる。
暗い未来を連想させてばかりでは何も解決しない。
もちろんだからと言って、根拠も対策も無く「希望を持て」と言う訳にはいかない。
前にも似たようなことを言ったが、危機感を煽って金を搾り取るのはイカサマ宗教と同じだ。
 
少子化対策の為に、希望の持てる未来を期待できる対策が急務なのだ。
“走るおっさんライダー”は、このことを後回しにする政府は、増税が最優先目的だからとしか考えられないのだ。
最近、韓流アイドルが、日本を始めアジア圏で人気を博し、
それによってアジア諸国では、韓国に対する親近感も増しているようだ。
今後日本は、アジア圏及び世界に於いて、本当にその存在感を失っていくのだろうか・・・?
 
竹島の問題は、
日本から、韓国のイメージダウンになる事を覚悟の上での行為なのか?
 
それと引き換えにしてでも、竹島とその周辺は価値が高いと言う事だろうか?
 
或いは、「日本は押せば引く、押し切れば折れる。」と思っての事だろうか?
 
自国韓国が、世界に於ける存在感を増しているという印象があり、世界は日本よりも、韓国の方につくと読んでの事か?
 
単に、次期選挙を控え、親族の汚職スキャンダルを跳ね返そうとしたパフォーマンスなのか?
 
韓国領土を誇示する石碑を建て、突然竹島に上陸してそれをアピールし、日本の首相からの新書を送り返し、国際司法裁判所への提訴は「竹島に領土問題は存在しない」といって拒否する・・・。
 
 
しかし“走るおっさんライダー”は考える。
ただ『粛々と・・・』事に当たっていて、本当にそれでいいのか?と・・・
 
“走るおっさんライダー”は前回、『解決をあせる問題ではない。』と書いたのだが、
だからと言って、こんなにゆる~い対応ではどうにもならない。
もちろん、相手と同じレベルに下がって、領有権をアピールする事が得策だとは思わない。
ましてや、小競り合いや戦争まがいのところまで刺激しあう事など、言語道断だと思う。
 
韓国は現時点では、国際司法裁判所に提訴しても勝ち目は無いとわかっているのだろう。
日本はそれを承知で、“大人の対応”を見せ、余裕を見せているつもりかもしれない。
 
しかし・・・
彼らは、実効支配という形で、既成事実を積み上げているのだ。
これは言ってみれば、ウサギとカメの、カメの戦法である。
余裕をかましているウサギは、いつの間にか寝首をかかれ、最後にはカメにゴールを奪われる。
 
“走るおっさんライダー”が主張したいのは、間抜けなウサギにはなるなと言う事だ。
そこで必要なのは、相手に対する行動やアピールではないと思う。
 
それは、世界に向けてのアピールだ。
とは言え、世界は必ずしも正義に味方するわけではないことは、歴史の事実。
だから竹島や尖閣諸島について、日本が領有権を主張している根拠を示すだけでは不十分だ。
 
世界が日本に味方する方が得だと思ってもらう、根回しや工作が必要なのだ。
今後も、いつまでも韓国が、国際司法裁判所への提訴を拒否せざるを得ない状況にし続ける事を、心がけなければならない。
 
余裕をかましてそれを怠れば、日本は間抜けなウサギになってしまうだろう。

Yahoo!ブログにも同時投稿
http://blogs.yahoo.co.jp/partone1994/7011901.html
最近ちょっと忙しくて、読んでいる本があまり進まない・・・。
このブログも少し間が空いてしまったけど、やはり書きたいことがある。
 
イギリスBBC放送が実施しているアンケート調査
「世界に良い影響を与えている国」で、日本は最も高く評価されているそうだ。
 
以前にも紹介した
「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」 竹田恒泰著(旧皇族・竹田家) にあり、
最近なにかのテレビ番組でも放送されていた。
 
ちなみにこの設問で、調査したほとんどの国で日本は高い評価だったにもかかわらず、
日本に対する肯定的評価よりも、否定的評価が上回った国が2カ国あったと言う。
 
長く反日教育を実施し、最近領土問題で騒ぎ始めた国、韓国と中国である。
 
オリンピックで世界が盛り上がっている丁度その時に・・・・・。
一体どうしたのだろうか・・・と考えてみた。
 
もちろん領土が欲しいのだろう。しかし、土地が欲しいだけではないのは誰でもわかっている。
その海域の海洋資源や天然資源は、高い価値があると思う。
 
「この時期に・・・」と言うのは、終戦記念日の時期であることも一つだと思う。
反日教育をしているこの2カ国では、日本バッシングは国民をまとめるツールになる。
自民党政権下だったら、何もしなくても「靖国参拝問題」の様子を見てから事を起こしても遅くは無い。
しかし、民主党では靖国の参拝をする可能性が低いと踏んで、行動を起こしたとも考えられる。
 
なんにしても、このような刺激的な行動を取るには、それなりの理由があるはずだ。
一番の理由は、恐らく国内問題だと思う。その矛先を変えたいからではないだろうか。
 
韓国では大統領の親族の汚職問題。
中国では経済危機と、格差に不満を持つ大衆への対応。
 
彼らは共に、領土問題の決着が目的なのではない。話題になることが目的なのだ。
友好関係を固めてしまえば、何かあった時に責任転嫁ができない。
その為には、韓国なら仮に竹島問題が決着しても、慰安婦問題をアピールしてくるだろう。
仮に、それが解決(これは解決するはずは無いが)したとしても、別の何かが出てくるはずだ。
 
中国にしても、尖閣諸島が決着しても、いつまでも南京のことを言い続けるだろう。
 
日本人の中には、領土問題が決着すれば友好関係が築けると思っている人も居る様だが、顕在化した“表”の問題と、そこに隠れた“裏”の目的を考えなければ対応を誤ると思う。
 
ましてや一つ要求を呑めば『軒先貸して母屋取られる』になる。
この二国の要求は、いつまでも拒否し続ける事である。
解決をあせる問題ではない。
数日前、テレビでとんでもない事を言っている議員がいた。
ながら見だったので正確ではないが、主旨としてはこうだ。
「増税か?社会保障か?といなれば、社会保障を無視できない。」
 
なんと言う恐ろしいことを言うのだろう・・・。イカサマ宗教と同レベルだ。
誰が、こんな二者択一の選択肢しかないと言うのだろうか?
 
増税しなければ、社会保障は現行の問題をクリアできないと言っているわけだ。
しかも消費税増税をしても、税収は増えないと誰もが言っている。
そして、来年の秋ごろに景気が回復していなければ、増税はしない事になっているそうだ。
それなら、景気が回復していなければ、社会保障は改善できないと言う意味になる。
 
少子高齢化という本質的な問題の解決をしようとせず、対症療法に追われているだけだ。
なんと先を見ない政治かと嘆かわしくなる。
 
そしてそこに、財政改革の問題は出てきていない。
もし増税して、それを社会保障に充てるなら、国の借金は増えることはあっても減ることは無い。
 
こう言うと「増税分を社会保障に充てる事で、財政再建にもなる」と言うあきれた事を言う者がいる。
現在社会保障費に、一般会計から充当されている分が減るからと言いたいのなら、本末転倒だ。
法案では、税収が万が一上がったとしても・・・、と言うか、税収の総額は上がらないとしても、消費税としての税収は上がる可能性はあるわけだが、その使い道はあいまいで、実際にどう使われるか解らない。
 
第一、その屁理屈を受け入れるとしたら、「増税か?社会保障か?」と言う言葉はまやかしであることは明らかだ。
「総額として歳入が足りず、歳出は減らしたくないので増税します。」と正直に言うと、誰も納得しないので、社会保障という印籠を出し、批判をかわそうという姑息な手段だ。
 
「増税は政治生命を賭けてやる」と総理は言う。
しかし一方で“議員定数削減や議員報酬カット”は「法案を出している」に過ぎない。
政治生命を賭けるのは、商品の値上げだけで、経費削減などの企業努力は後回し。
そんな経営者の企業は潰れます。
 
“走るおっさんライダー”は、企業なら株主(国民=有権者)と言う立場で、赤字経営の責任を取って、社長(総理)・役員(議員)の報酬カットや、社員(官僚)の報酬カットをたいして強く要求する気は無い。
経費の削減、無駄な外注費の見直しの方が、効果的だと思っている。
うわべだけの仕訳など、くだらないパフォーマンスだ。
 
支持者の顔色を伺い、その為に特定業界や地元への予算の配分を求めるが故、官僚を指揮できない政治家は要らない。
優れた経営者に、きちんと先を見据えた組織運営(政治体質の改善)をやってもらいたいものだ。
いつも、物理学関係の本を読む時は時間がかかってしまう。
それは予備知識がないためだ。
内容を咀嚼するのに、何度も途中で休憩し、文章を自分なりに理解できるイメージに置き換える作業をする。
もともとあまり頭は良くないので、学生の時に興味はあったが、このような方面の勉強はしてこなかった。
小学校の時には、『宇宙のひみつ』と言うタイトルの本を読んで、胸を躍らせた記憶がある。
 
今回読んだのは、
『重力とは何か』大栗博司著 幻冬社 2012年5月30日発行
副題にはこうある。~アインシュタインから超弦理論へ、、宇宙の謎に迫る~
 
他の本を読んでも、よく、どの本にも書いてあるような理論の説明があるが、
”走るおっさんライダー”が読むのは、入門書的なものばかりなので当然と言えば当然だ。
ニュートンの万有引力、アインシュタインの相対性理論、それに量子理論や超弦理論(超ひも理論)・・・
現在の理論物理学を、ズブの素人が簡単に説明する事など無理な話しだが、
自分なりに置き換えたイメージを語るぐらいはできる。
 
前回、超弦理論では、我々が感覚的に理解している3次元+時間の4次元時空だけでなく、
小さく折りたたまれた多次元世界があると言われている。これをイメージするのが難しいと書いた。
通常、誰かと待ち合わせる時に、場所を指定する必要がある。
例えば、緯度と経度を指定すれば、地表と言う平面上の一点を決められるが、もう一つ高さを指定しなければならない。
指定した住所にビルがあれば、どのフロアか(何階か)と言う情報が必要だ。これが3次元“空間”で、
更にもう一つ、何時に会うかと言う時間の情報があって初めて、その“誰か”と待ち合わせる事ができる。
これで4次元“時空”の、ある一点を規定できるのだが、
更にこの他に、6つの座標(条件?)を指定しなければ、厳密にある1点を特定できないとするのが、超弦理論の解釈である。多次元世界の余剰次元である。(たぶんそう思う)
 
このような例による、4次元時空の解説が入門書には多い。
重力は世界を構成する4つの力の内で、桁違いに弱い。4次元時空で考えると、その差が説明できないと言うのだ。
物理学の分野で使われる理論は、頭でイメージできなくても、数学的には計算はできるらしい。
だから「多次元世界が存在する」と言うのだ。
しかし、多次元世界、余剰次元と言うのは現在研究中で、「余剰次元は小さく折りたたまれている。」と言われ、なかなかそれ以上をイメージする説明がない。

取り敢えずこれを、現時点で“走るおっさんライダー”的に置き換えたイメージはこうだ。
物理学の一般的な(素人相手の)説明でよく引用される、上記のような『待ち合わせ』の例ではなく『ある本の特定の文章を引用する』場合にしてみる。
例えばある書店の、無数に並んだ本棚のある段に、ある時点で並んでいる本を指定する時、同じように4つの情報が必要だ。ただし、本には一般的に、数百に渡るページが綴じ込まれている。
 
一つの解釈では、特定情報の指定には、先の4つの時空情報以外に、「この本の何ページ目かを指定しなければならない。」と、もう一つの次元を見ることが出来ると言いたいところだが、厳密に3つの座標(タテ、ヨコ、高さ)と、いつ並べられている本かを指定できれば、それだけで何ページ目のどの行かまでを決める事は可能だ。
 
しかし、そこにあるのが電子書籍のようなものだったらどうだろうか・・・?
電子書籍の画面上には、たとえ3つの座標と時間を指定したとしても、それを操作する者がどのような選択をするかによって、表示される内容が違ってくる。
それが、小さく折りたたまれた余剰次元・・・。
物理学の実験の場合に置き換えて言うと、
観測者が違うと、それぞれに違う結果が現われると言う事にでもなろうか・・・。
・・・・・
 
自分で書いていても、うまく置き換えられたかどうかよく解らない。
専門家が読んだら、鼻で笑うかもしれない。
まあそれでも、こんな戯言を考えているだけで、物理学は素人でも十分楽しめる分野だ。
我々は、何を保護し、どこまでやると過保護になるのか?
『文化』と呼ばれるものには様々なものがある。
ファッションや流行語、風俗(下ネタではなく)、音楽、芸術、文学、工芸、芸能・・・。
つまり『文化』とは、その時代に生きる人々が、必要とする“活きもの”だと思う。
 
原則的には『文化』に保護は必要ない。少しでも『保護』しようとすれば『過保護』になる。
その時代その時代の人々が、それを生活の一部として取り入れていなければ、『文化』とはならないのだ。
『文化』として定着させるためには、それに携わる当事者が、定着のための努力をしなければならないと思う。
それは、採算が合うものである事。
『採算が合う』とは、その『価値を世間が認める』と言うことに他ならない。
 
2008年に、大阪市の橋下市長が、市の抱える大阪フィルハーモニー交響楽団への助成金の廃止をした。
もし、大阪フィルハーモニー交響楽団の例に限らず、政府や自治体が、このような組織・団体に対して「文化的価値が高い」と言う理由で、助成金を出していたとしたら・・・、いや、それは音楽だけではなく、最近話題になったと思うが、芸能にしても言える事だが、それはもう『文化』ではない。
 
但し「保護する価値は無い」と言いたいのではない。
時代の採算に合わないのなら、それは『文化』ではなく『歴史』であり『遺産』なのだ。
言い換えるなら『過去の文化』だ。
『歴史』や『遺産』なら、新しい事をしてはいけない。保護するのなら、そのまま変えずに残さなければならない。
 
助成金などの『保護』を求めるのであれば、その有り様は変えてはいけないだろう。
しかし彼ら<助成金などを受けながら『文化』だと言う人たち>は、そのまま“遺す”事を望むのか・・・?
この時代の『文化』として存在したいなら、自身で採算が合う、社会に求められる工夫ができる。
『歴史』や『遺産』として、『保護(助成金)』を受けながら、時代に合わせた新しい事をするなら、それは矛盾した活動であると言う事になる。
 
 
農業関連には『保護』の目的で、多額の助成金がばら撒かれている。
この場合の助成金は、政治家の票集めに利用されていると考えて間違いないだろう。
もちろんその出処は国民から徴収される税金だ。
こうなるともう、農家は生産者とは呼べない。「米は日本の文化だ」と言うのはおかしい。
「生産コストを販売価格に転嫁すると、高くなり過ぎて売れなくなる。」と言う意見を聞いたことがあるが、買うときに払わなくても、税金として払っているのだから同じ事だ。
 
いや逆に、農家に対する『過保護』となってしまい、生産の合理化が進まず、いつまでもコストが高いコメを作り続けることになってしまうのだ。
助成金を前提として、農協は農家を支配し、コントロールする事で、助成金の減額や廃止が容易にはできない体制を作り上げてしまったのだ。
 
それでも「『日本の稲作文化』の象徴的なものとして、どうしても遺したい。」と言うならそれでも良いだろう。
しかしそれなら、もっとコメの生産量を減らしても差し支えないはずだ。
採算に合わない”コメ作り”を減らせば、その分、助成金の総額を下げられるはずだ。
 
“食料自給率”などと言い出し、生産規模を減らそうとしないのは、農水省の省益のため。
農水省も、できるだけ多くの予算が欲しいからだろう。
 
そのようなからくりを、もっとメディアは、調査と“報道”をして欲しいものだ。
そして、いろいろな面で、必要な『保護』と、不必要な『過保護』とを明確化するべきだと思う。
今テレビでは、メンタリスト DaiGo が話題だ。
『人の心を自由に操る技術 ザ・メンタリズム』メンタリスト DaiGo著 2012年2月2日発行
人の心を、観察と誘導により、意のままに操作する技術が解説されている。
“走るおっさんライダー”は、海外ドラマが好きで・・・、と言っても、韓流には全く興味が無い。主に米ドラマだ。
その中で、以前にも書いたが『ザ・メンタリスト』と言うドラマがある。
CBI(カリフォルニア州捜査局)に協力して、メンタリストの技術と、鋭い推理で事件を解決に導く。
普通の人なら見逃すような、容疑者(犯人)のちょっとした言葉や態度を見逃さず、周囲の人を巻き込んで、犯人を追い詰めていく。刑事コロンボを現代的に洗練させた感じと言ったらいいだろうか・・・。
 
少し、系統の変わったところで、同じく米ドラマの『Lie To Me/嘘は真実を語る』がある。
こちらは精神行動分析学者が活躍するドラマだが、メンタリストと同様、相手の表情から真実を読み取るのである。
 
“走るおっさんライダー”は、過去の新宗教、新新宗教の信者とのかかわりから、宗教関係の書籍を読み、これに関連して心理学やマインドコントロールの書籍も読んだ。
そこで感じたのは、宗教のマインドコントロールは、社会にとって害悪であると言う事だ。
彼ら(教団)は、信者にマインドコントロールを仕掛ける。その技術は、学問的に研究されて出来上がったものではないと思う。恐らく、数限りない勧誘行為の中で、そのテクニックを取捨選択していくことで獲得したものだろう。
極端な例は、誰もが知っているオウム真理教のその技術であるが、ここまで来ると、マインドコントロールではなく洗脳である。
 
とはいえ、この危険なマインドコントロールは、新宗教、新新宗教に限った事ではない。限った事ではないから注意しなければならないのだ。
 
真実を、より印象付けるためなら批判の対象ではない。
真実ではない事を、真実であると思い込ませることが問題であり、注意すべき事なのだ。
 
アメリカは宗教国家だが、伝統宗教であるキリスト教でも、マインドコントロールは蔓延していると言ってもいいと思う。
先進国のトップを走っていて、先端技術に優れた国だが、一方で、多くの学校で聖書に反するダーウィンの進化論を教える事を拒んでいるそうである。
 
 
さて、この記事のタイトルを“日本一のメンタリスト”としているが、“走るおっさんライダー”が考えるのは、残念ながらそれは DaiGo ではない。
かと言って、その座が、宗教関係だとも言わない。
 
それよりももっと多くの人に、真実ではない事を、真実であると思い込ませているのは、霞ヶ関の官僚だと言えるだろう。彼らこそ、“日本一のメンタリスト”だ。
 
我々国民は、マインドコントロールやメンタリズムの事を知り、騙されないようにしなければならない。
この事に無頓着でいるのは、あなたの子や孫、子孫にまで、被害を与える事になるだろう。
人間は、気候や安全性などの環境が許すなら、食料さえあれば生きていけるだろう。
そして、かなり単純化して言うと、貧富の差は、突き詰めれば、食料の保有量の差だと言える。
食料が自分や家族が消費する以上にあれば、余剰分の食料を別の誰かに渡し、代わりに、住居や衣服や嗜好品、芸術品や装飾品を作ってもらったり、交換したりすることが出来る。

また逆に、自分が食糧を生産するより、別の誰かが求める何かを生産するのが得意なら、それを食料に替える。
そして、多くの食料を持つ者は、より手間のかかる、多くの豪華な生産物を所有することが出来る。
つまり、間接的には所有する生産物の量や豪華さの違いが貧富の差と言える。
 
食料は貯蔵期間に限界があるので、これを別の形で蓄え、必要な時に食料に換えるシステムを生み出した。
それが『希少な貝殻』で、その後『金(きん)』等の希少性の高いものとなり、『貨幣』になった。
『貨幣経済』における、貨幣の貯蓄量の違いが、貧富の差となった。
 

むかしむかし、小さな村があった。村の食料調達方法は農耕である。
彼らは手作業で畑を耕し、種を撒き、水や肥料を与えて、農作物を得ていた。
男が畑で働き、女は炊事をして、子供はそれを手伝い、そうして1世帯分の収穫が得られる。
 
そこに、賢い者が現われた。彼は畑を耕す便利な道具を発明し、農作業が効率化できた。
耕作面積を増やすことが出来たため、収穫は2倍に増え、比例して食料の貯蔵量が増えた。
貯蔵した食料を貨幣に替え、彼の家族は富裕層になった。富裕層になった彼は、悪人なのか?
 
そのうち彼の発明した道具を、村人は欲しがり、それを貨幣で売買した。
彼は更に裕福になった。彼は悪人だろうか?
 
別のある者は、豊かに肥えた土地を見つけた。その土地の収穫量は多かった。他の土地の2倍である。
二倍になれば、その半分は貯蔵でき、格差は広がる。彼は裕福になった。彼は悪人だろうか?
 
別のある者は、昼も夜も無く働いた。2倍働いて、2倍の収穫が得られた。
彼は裕福になった。彼は悪人だろうか?
 
別のある者は、同じように働き同じだけ収穫したが、生活を切り詰め消費量を半分で賄った。
彼は裕福になった。彼は悪人だろうか?
 
別のある者は、新しい生産システムを考えた。
広い耕作面積を使って、大勢で一気に作業をすることで、効率的に作物が収穫できたのだ。
10人の村人に協力してもらい、15世帯分の作物が得られた。つまり通常の1.5倍である。
村人に、重い労働を科したわけではない。1人で作業する時と同じだけ働いた。
村人にはそれぞれ労働に見合う、1人に1世帯分を分配した。
残りは、彼1人で5世帯分の収穫を得ることが出来た。裕福になった彼は悪人だろうか?
 
別のある者は、同じ生産システムを更に発展させ、同じ労働力で20世帯分の作物が収穫できた、
彼は、10人の村人1人当たりに1.5世帯分づつの分配をして、残り5世帯分を自分のものとした。
彼もまた裕福になった。この彼は悪人だろうか?
 
別のある者は、腕力自慢で、力によって村人10人に2倍の労働を強制し、20世帯分の収穫が得られた。
彼は村人に一人当たり1世帯分の作物を分配し、残り10世帯分を自分のものにした。
彼は裕福になった。彼こそ悪人ではないだろうか?
 
富裕層と一口に言っても、その財産の形成方法は異なる。
裕福とはかけ離れた“走るおっさんライダー”が、富裕層を擁護するのは変な様だが、単純に、富裕層、所得格差と言うだけで批判するのは、やはり道理としておかしいと思うのだ。
視点を変えれば、発展途上国から見ると、日本の貧困層でも裕福である。
富裕層が貧困層の犠牲の上にあると言うなら、日本国は発展のために、彼らを犠牲にしたと言うのだろうか?
日本国は、発展途上国の支援の為に、ODA(政府開発援助)の支出をしているが、これを犠牲の補償だと言うのだろうか?
 
メディアなどにより、単純に“所得格差”と言う現象(状態)だけで、問題であるかのように感じさせられていると思う。
所得に格差があるだけでは、何の問題でもないと思う。
問題であると思わされているから、格差が問題視されているのだ。マインドコントロールである。
自由な民主社会で必要なのは、機会の公平性、賞罰の公平性だろう。
同じルールの上でなら、能力や適正などの差によって、所得に格差があっても、文句を言う筋合いではないはずだ。

富裕層が、その財力を使って、法律の適用から逃れるような事があれば、
或いは富裕層が、富裕層であり続けるために、富裕層にだけ都合の言いルールを作ろうとするなら、そういう事にこそ、批判の眼を向けるべきだと思う。
 
しかし、逆もまた真なり。
貧困層が、貧困層にだけ有利なルールを作ろうとすることも、批判されなければならない。
貧困層が貧困層であるが為に優遇されるなら、日本の将来は暗い。
民主党のマニュフェストが公務員給与の二割カットだが、
今回実施されるのが平均7.8%のカットである。しかし、2年間の限定だ。
民主党はこの程度で、公約を守ったと言っているが、どこの誰が納得すると言うのだろう?
 
そもそも、官僚はエリートの自負があるだろう。
しかし、何を持ってエリートと彼らは考えるのだろうか?
このエリートが寄ってたかって、赤字国家を作ったのだ。
国会議員の陰に隠れて、予算編成を自分たちでやり、国会議員を操って財政危機に陥れ、
そのツケを消費税増税と言う形で、国民に払わせると言うのだ。
 
赤字国家を作ったのだから、エリートでもなんでもない。
民間よりも高い報酬を得るなら、民間よりも優れた運営ができなければ、一体何を持って能力を証明できると言うのだろうか?
優れた人材だと言うのなら、例えば民間が行う100の仕事を、国家公務員は120出来なければならない。
民間が100時間かかる仕事を、国家公務員なら80時間で出来なければならない。
民間が100時間かかる仕事を、国家公務員が同じ時間かかるなら、一般と同じ報酬しか払えない。
国家公務員が、単に民間に較べて学歴の差しかなく、仕事に反映しないなら、学歴に何の意味も無い。
高い能力が、私利私欲にしか使われないなら、報酬に反映できる能力ではない。
 
この公務員給与削減法案に対し、国家公務員240人が東京地裁に訴えを起こしたそうである。
恥を知らないのか・・・世間が全く見えていないのか・・・力のある誰かにやらされたのか・・・。
十分価値ある仕事をしていると言う自負があるのだとしたら、この財政赤字をどう考えているのだろう・・・?
 
もし本当に、高い能力を仕事に活かしているのなら、高い報酬も無駄ではない。
しかし、報酬が高い事だけで満足してもらわなければならない。様々な規制を作ることで、影響力を確保し、特定業者に利益供与をし、天下り先をつくる。
政治家は、これらの事が出来ない様に、公務員給与削減より、制度改革こそ実施すべきだ。
 
政治家が財政健全化の為に政治生命を掛けるべきは、献身的な国民に対する増税ではなく、私利私欲、利権ばかりを追う、霞ヶ関官僚の制度改革により、歳出を抑える方向であるべきだ。
 
税負担を増やしても、財政は健全化できない。歳出が増えるだけだ。
“走るおっさんライダー”は、格差社会が問題視されている事に、少々疑問を感じている。
はたして格差社会は、何についての格差で、その格差の何が問題なのか・・・?
 
富裕層と貧困層と言う、所得格差又は経済格差については、
なぜその格差が起こったかが問題であって、所得格差自体が問題なのではないと思う。
しかし、現在の日本では、富裕層と貧困層が、持つ者 と持たざる者として、
富裕層を悪者扱いでもするような見方をされているのではないだろうか?これはおかしい。

例えば、中国の経済格差は権力の差であると思う。
共産党員はその地位によって、常に富を拡大、蓄積できるようだ。
ヨーロッパでは、階級社会は歴史的な事実であり、二極化は明確と言えるだろう。
封建制度の名残としての、王族、貴族と、一般庶民との社会的な格差は、日本の状況からは想像できない。
これらは問題のある格差だと思う。

支配者と被支配者が存在している。つまり、支配者が被支配者の自由を制限しているのだ。
法や規制などの、社会の決まりを一方の側、支配者によって決定されるわけだ。
ここで被支配者は、機会の自由を奪われる。個人の能力の差は、それを発揮する機会に恵まれない。
 
日本ではどうか・・・?
明治維新によって、封建社会は崩壊とまでは言えないかもしれないが、旧来のシステムは大きく変化し、
更に、奇しくも世界大戦の敗戦によって民主化したと言えると思う。
能力や努力によって、個人が評価されやすい社会になったのではないだろうか?
その日本で、問題となるような格差はどこに存在するのだろうか?
単純に富裕層と貧困層の格差と言われているものは、社会システムによって引き起こされた格差なのか?
富を持つものが、その富を原資として、更に富を築くのは問題ではないと思う。
正常な経済行為であり、その行為の正否(成功or失敗)は、“富裕層”と言う立場に守られてはいない。
 
格差の問題は富裕層、貧困層と言う、貧富の差ではないと思う。
一部のプロ野球選手が、年俸数億円で契約している。
年間の賞金獲得額が、数億円のプロゴルファーがいる。
これを社会は、問題視しているだろうか?
能力や努力によって成果が現われるなら、文句を言う筋合いではない。
問題となる格差とは、権利や賞罰に差がある時だろう。単純に言うと、法の適用に差がある時だ。
つまり、社会的立場によって、例えば犯罪を犯したときに、その罰則に違いがあるような場合。
又は、ある者が得た富が、支配的階層によって、無理やり奪われるような状況がある時だ。
 
例えばそれまで価値が無いと見られていた土地から、地下資源が発掘されたとした時、
それによって土地の所有者が、富裕層に並べられても、問題視される事ではないと思う。
そうではなく、その所有権を無理やり奪われてしまうような場合に、格差の問題が存在すると言えるのだ。
 
少なくとも日本の格差社会の問題は、富裕層と貧困層の間には、実はそれほど存在しないとしか思えない。
あるとすれば、官僚や政治家と、国民との間に、権力の格差問題。
極端な話し、権力の格差が是正されれば、行政手腕によってはプロスポーツ選手のように、年俸数億円でも問題視すべきではないのではないだろうか。
(ただし、その評価は一般社会と同列に行われなければならない。)
公務員給与や議員報酬を取り上げるだけではなく、その権力の使い方こそ問題とすべきなのだ。
その上で、彼らが特権意識を持ち、権力を私利私欲の為に行使するなら、大いに批判の対象とすべきだ。
 
とは言え、公務員給与のカットを約束しておきながら、たいした成果を出せずに、増税だけを強引に進める政治は、詐欺行為であると言えるだろう。
 
“走るおっさんライダー”は、経済格差や所得格差を問題視する風潮は、どこかマインドコントロール的だと思う。
本来問題視するべき点を誤魔化すための、いわゆるプロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為)だ。
問題の本質はどこにあるのか?
それは恐らく、貧富の差ではない。これを問題視する事で、見落としている別の問題点があると思う。
それが権力の格差であると”走るおっさんライダー”は思うのだ。