『知的複眼思考法』 | 走るおっさんライダーのブログ
知的複眼思考法 苅谷剛彦 著 1996年9月刊行 2002年5月文庫版発行
―誰でも持っている想像力のスイッチ―
この本は、物事を多面的に捉え思考する事の大切さと、その方法を解説してある。
世間を見渡せば、どこかの“偉い(っぽい)誰かが言った事”を鵜呑みにして、自分自身で検討もせず、そのことに対する質問に、ステレオタイプ的に答える人の、なんと多い事か・・・。
或いは、飛躍した論理展開で、自分の想像の産物と現実を混同する様々な陰謀説論者。

例えば『星座占い』
人類は70億人に達したと言われるが、それがたった12通りに分類できると言っているわけだ。
例えば『ネス湖のネッシー』
最初にとられた写真は、二人の老人のイタズラだと判明したにもかかわらず、今だにいると言う人たち。
例えば『人類の月面着陸捏造説』
発端となった捏造説論者の根拠が全て否定された後になって、日本でその説の番組が放送された。
しかもその番組では、反証された事は伝えられなかった。
例えば『CO2による地球温暖化』
当たり前のように、地球温暖化の原因がCO2だと言う事になっているが、専門家によれば原因として確定できていない。
例えば『社会福祉の為の消費税増税』
社会福祉を口実にしているが、増税分が全て社会福祉に使われるわけではないし、根本的な問題の解決にはならない。
もし仮に、増税分を社会福祉に使ったとしても、景気対策と歳出の見直しをしなければ、今後も赤字財政は続く。

人は、どうも、一度何かを信じた後では、信じるに至った根拠が否定されても、簡単には元に戻らないようだ。
特に新宗教・新新宗教の信者は、それらの代表とも言える。

“おっさんライダー”はある教団の信者と何度も話したことがあるが、その教団の“教え”が正しいと言う根拠は、いくら聞いても見えてこない。にもかかわらず「正しい」と言い張る。
その信者が、教団から“教えられた”事に対する疑問をぶつけると、とたんに返答に窮し、矛盾を指摘すると、
 
「宗教だからと言う偏見があるだ。経験すれば正しい教えだと“実感”出来る。」
などと言う。
通販番組でもよく使われる“実感”と言う言葉は、あたかも“実証”されている事と近いイメージを持つ人が多いように感じるが、どこかの誰かが“感じた”と言っているだけで、ほとんど何の根拠にもなり得ない。
人は多くの錯覚を起こすものだ。
“錯視を利用しただまし絵(トリックアート)”を考えれば、あるはずも無いものが見えることなど、日常茶飯事だとわかる。
この本の著者はあとがきで、執筆中にオウム真理教事件が起こり、複数の視点からものごとをとらえていくことの重要性と、それを広く伝える事の大切さを感じたと述べている。
何かを妄信する事は危険を伴う。
“信じることは美徳である”“全てを疑うことは愚かである”
と”おっさんライダー”は考えない。
これらの言葉自体、何かの明確な根拠があるとは思えないからだ。

“信じる”の反対(対義語)は“疑う”かも知れないが、しかし“信じない”は“疑う”と同じではない。
それまで信じてきたことを覆す新たな説に直面した時、偏り無い立場で検討する事ができるだろうか?
ある一方の説を信じたいあまり、無理なこじつけによってそれに反する説を否定しようとしないだろうか?
常に自分を戒めたい。
その先にものごとの本質が隠れているのではないだろうか?

(この記事は2012/05/26にYahoo!ブログに掲載したものです。)