145-ここまでの術後から今現在まで ② | sugar cane 28

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2020年末からの半端ない不調で2021年1月に大腸内視鏡検査をしてもらったら結腸直腸癌T3d,N2,M0見つかりました。リンパ節転移。多臓器の転移は見つからなかったです。
イギリス在住、2021年七夕の日に愛犬が亡くなり、夫と16歳の息子と3人の静かな暮らしです。

6日の朝に入院をして今日は10日 左脚は相変わらず少しずつマシといと言えども一人では何もできないです。 

 

私は人工肛門(ストーマ)に携帯用人工排尿管(カシター)です。

人工肛門の交換、携帯用人工尿管を使える看護師は今回ません、

人工肛門はベッド上で自分で交換をすることはできますが、

人工尿管はベッドで排尿をしたことがありませんでした。

 

 

Physical therapyのトレーニングは7日術後1日目からありました。

1日目は、ベッドからウォーキングフレームを使い支えながら立ち上がるだけですが。汗がすごく出て、左足の激痛とか術後の低血圧で、終わりました。

2日目も同じく

3日目は、左太腿にサポーターをつけてウォーキングフレームを使ってトイレまで歩きました。

    (この日の朝から術用の尿道カテーテルが取れる)

4日目は、サポーターなしでウォーキングフレームだけでトイレに行きました。

      

 

この4日間全て悲鳴を上げながらのトレーニングです。

 

3、4日はトレーニング中のトイレで尿が出ました。

が、3日目は計3回のうち1、2回はトイレで出せたのですが、3回目のナースがベッドサイドに携帯トイレを持ってきてどうしてでもできなくて、ベッドの上でですが失敗をして全てを濡らしてしまいました。 泣きながらナースコールをしてシーツと病院のガウン(パジャマ)を交換してもらいました。

 

家族が心配をして、Lineを送ってきてくれました、無事手術が終わりましたご心配をおかけしましたって返事をしたいのに一般病棟に戻っても少しの間私の右指に脈を測るようなのが付けられ返事ができなく、それを外してもらった時に、まず父の誕生日祝いのメッセージを送ったのですが、治らない痛みに、おバカな私はつい本音で、助けて、痛いよって書いてしまいました。

 

こっちの友達からもSMSが来てますが、流石に本音は書くことは出来ませんが皆んな心配をしてくれているのが手にとってわかります。

 

上の妹と電話で話してその後1度目のPhysical therapy(理学療法士)のトレーニングの後、下の妹に連絡をしたら泣いて心配をしてくれて、大丈夫、大切な家族友達がこの病気にならないよう私が代表して手術をしたから、泣かないでって言うしか言葉が出ませんでした。

こんな術前術後も苦しむ病気は、私一人でいいって、今思い返してもそうあって欲しいです。

 

術前術後も良く毎日痛くって泣きながら旦那にもう嫌こんな痛いの、って言う度、

旦那は、そのうち良くなるからって返事、

痛い時にいつ(When)治るのって理詰めで聞く私が間違っているって頭ではわかっているのですが、しかも冷静になれば的確な日付なんて医者でもわかるわけないのに、痛すぎる時は理性を無くしてアホですよね。

 

 

まだ1日に何度も襲ってくる痛みと、自由に体が動かせず、トイレも一人で行くのは禁止です。

 

病気には恵まれていないけど、私は凄く周りに恵まれているって実感しました。

 

でもまだ、抗がん剤、放射線治療に最低1回はある手術があるのだけど、嫌だな。。