私の線維筋痛症発症の時の話 | まったり日本

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5年の中国駐在の中で妊娠し、出産。息子は帰国後も自分を中国人だという位、日本語ができませんでした。

小1の7歳の時にギフテッド?と思い、専門医にギフテッド認定を受けた息子。
インターに通いながら彼の日々の葛藤を書いていきます。

私が線維筋痛症を発症したのは2013年9月の事です。

8月頃から腕が筋肉痛の酷い痛みの毎日で、だれか手を切り取って変えてくれーと言っていたのを思い出します。


9月に入り病状は悪化します。

朝起きた時、全く体が動かなかったのです。

痛みで手も足も何も動かされなかったのです。

朝4時からの勤務だったので、会社からのタクシーに夫に支えてもらいながら乗せてもらいどうにか会社に行きました。

会社の受付の車椅子を運転手さんに借りてきてもらい、運転手さんに職場に運んでもらいました。

こんな時間なので人もあまりいなかったのです。

電話も痛かったので持つこともできず、スピーカーで会話していたり、どうにか朝の業務を終えて会社に事情を話し帰宅したのが懐かしい。


また数日は痛いものの起き上がれていたので仕事には行っていました。


また1週間後、完璧に起き上がれなくなってしまい起きても足から崩れてしまう、トイレに行っても下着も下ろせない、化粧もできない、寝ているのも痛い何もできず、そのまま病院に行く事になりました。

これは異常だと思い、はじめから大学病院に行きました。

病院に行ってもリウマチ科に通され血液検査をして異常なしと言われ、こんなに痛いのにどうしたら良いのだろうと車椅子で泣いていました。

そこで1人の看護師さんに話しかけられます。

痛いのですよね?

何も検査結果でないと言われたのですよね?

今から来る先生ならわかるかもしれません。

あと1時間待てますか?


と声をかけてくださったのです。

そこで私は今の主治医と出会います。

この看護師さんのお陰で自分がなんの病気なのかを知ることができたのです。


続きます!



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