元日の地震後、被害の報道が連日続いていますね。

被災した方々に対し、一日でも早く平穏な日々が訪れることを願うことしかできないのがもどかしいです。










大きい地震があると必ず思い出す過去の出来事。





東日本大地震の日。



当時私は大学生で、東北にある某国立大に通っていました。





震災が起こった日は、学校は春休み中。

実家(東北ではない地域)に帰省していました。





運良く(と言うとちょっと良くないのですが)、帰省していたお陰で震災には遭わずに済みました。





テレビで凄まじい震災の様子を見ていた母親は、

「さっさと東北のアパートに戻りなさい!」

と衝撃の発言。





余震も続く中、怖すぎる。



実家にいさせてもらえないか必死に懇願しましたが、

「家具とか倒れてたらどうするの!早く片付けなきゃ!」

の一点張り。





『余震や二次災害が心配だから、もう少し長く実家にいてもいいよ。』

なんて優しい言葉を期待していたわけではありませんが…。

それにしても、わざわざ震災翌日に帰らせようとするとか酷くないか?

(最初から3月12日に戻る予定だった、とかではないです。わざわざ早められました。)



被災地へ向かう不安(と親への怒り)を感じながらも、その日のうちに荷物をまとめました。

そして、震災の翌日に東北へ戻りました。







東北に戻ってみて、とりあえずアパートは倒壊していなくて一安心。

これ倒壊してたら宿なしじゃん。まじで母親はどういうつもりだったんだろうか。





東北のアパートのある地区の状況は、

・内陸なので津波は来なかった。
・水道は通っている。
・電気、ガスはストップ。
・家具の転倒などは一人で直せるレベル。周囲の他の建物の倒壊もなし。

という感じ。





3月といえど、東北はそこそこ寒いです。

電気、ガスがないのはかなりの痛手。
(水道があったので死ぬことは無かったですが…)





ちょうど大学が避難所になっていましたが、既に避難者でいっぱい。
入る隙は無し。



『これならアパート(大学から徒歩3分)で過ごして、何かあった時だけ大学に避難した方がいいかも。』

と思いました。



余震のたびに、
情報チェック→必要に応じて大学へ避難
のルーティーンをこなす日々。

ちなみに当時はまだガラケー所持。(時代的に、私の周りはガラケーとスマホが半々くらいだった。)

震災情報の獲得は周囲よりワンテンポ遅かったと思われます。

震災後に懲りてガラケーからスマホに替えました。





大学の友人や知り合いは、県外に実家がある子はほとんどが帰省中。

わざわざ震災翌日に東北に戻ったのは私だけの模様。(白目)



実家が東北の子達と励まし合いながら過ごしました。










今思えば、無事だったから良かったものの…

余震や二次災害で危険に晒されてたらどうするつもりだったのか。



毒親からしたら、ワンチャン私に死んでほしかったのかもしれませんね。

真面目に考察すると、
『死ぬまでいかなくても、そこそこ不幸でいてほしい』
『幸せになってほしくない』
くらいは思っているかもしれない。





こんな経験があるので、親が被災しても助けたくないと感じてしまいます。