Episode.10 "成れの果てを討つクロガネ"
半年前、射場正道が所属していた暴力団組織の組長が殺された。実家からも縁を切られたチンピラの正道にとって組は唯一の居場所であり、自分を拾ってくれた組長は血のつながった男よりも父親として慕っていた相手だった。
葬式から三日後、正道は事務所で組員十人相手に孤軍奮闘することになった。この日ほど自分の馬鹿さ加減を呪った日はないだろう。組長殺しの罪を自分に擦り付けられてようやく組長の死が幹部連中のシナリオの一部だと理解したのだから。
ベレッタの引き金を引くたびに仇敵達が短い悲鳴を上げて数秒前まで撃とうとしていた武器を取り落とす。幹部連中に取り入れない馬鹿でも十年はこの組織に居たのだ。そこらの若手や腕の錆びた連中よりかは拳銃の扱いには慣れている自負はある。それに奢ることなく細心の隙と最小の行動で一人ずつでも相手の動きを奪う。それだけが正道に残された逃げ道だった。
棚に身を隠してマガジンを取り換える間、正道は自分の身体と精神を焦がす熱を感じていた。きっとこの事務所に自分の死体が転がるその時まで熱が収まることはないだろう。何も果たせなかったとしても、ここで死んでもいいと本気で思っていた。
いくらアドレナリンに満ちていても一人対十数人の数の差は覆らない。拳銃の総弾数の差なら事務所の被害を考慮しなければ正道の身体を蜂の巣にするには十分過ぎる。ましてやカラシニコフ自動小銃まで取り出されたのならば穴の数はどれだけ増えることか。
右太ももと左肩、右わき腹にそれぞれ数発ずつ受けた段階で蜂の巣の未来は限りなく近いものになった。無様に肩を抑えて膝をつくのが精一杯だ。咄嗟に腰を落としたのが幸いしたのか、開いた穴がどれも致命傷には至らなかったのを救いだと思えるほど正道は楽観的ではない。痛みを相殺していた熱意も冷めて、自分がどうしようもない馬鹿で終わることを受け入れつつあった。
血圧が急に下がったためか眼が現実を映さなくなっていく。代わりに認識するのは過去の記憶を糧とする走馬灯。今と同じような体勢だからか組長と路地裏で会ったあの日のシーンが認識というスクリーン全面に出張っていた。
――わけえのがこんなところでくたばんな。なんか一つはやり遂げてから果てな
ここに来て正道はようやく理解した。自分がここで筋を通して死んだところであの人は褒めてはくれないだろう、と。あの人は自分に憧れて同じ道を進むことを望まない変わり者だった。だから正道のことを拾って面倒を見てくれた。正道が組に残ったのはあの人に強制されたのではなく、正道自身がそこに居たいと思ったからだ。
この組は正道が何一つやり遂げないままに彼の居場所ではなくなった。だが何かをやり遂げるのはここでなくとも出来ただろう。それも今はもう分岐点を通り過ぎた仮定の話。走馬灯から現実に意識が戻る頃には、鉛玉をさらにぶち込まれて終わるだろう。
「仕掛けてきやがった!」
鉛玉の代わりに頭を叩いたのは悲鳴に似た警告。それが敵対組織の襲撃であることはすぐに分かった。トップが倒れたところを血気盛んな連中が狙ってきたというところだろう。その標的が自分の居場所だったとしてもどうでもいいと思える程にはこのときの正道の心はこの場所から離れていた。
重要なのは今の正道にとっては福音であること。組の連中は新たな敵の襲撃に気を取られて正道のことを多少の間でも意識の外に置くだろう。そのわずかな時間で名案が浮かんで準備を整えられればまだ助かる可能性はある。
ただ、残念ながら正道は脱出案が都合よく浮かぶ程賢く機転が効く人間ではなかった。それでも走馬灯を見るほどに追いつめられた彼の思考は一つの夢物語のような可能性に行き当たる。
彼の目に入ったのは床に落ちた灰色のカード。昨夜この組が元締めをしている店で暴れた輩から押収した品で、そいつ曰くこのカードは『異界に繋がっていてここでは不可能な願いも叶えられる』らしい。
酒に呑まれた馬鹿の戯言だ。そう考えるのが自然で、万が一それにすがるのならば自殺行為と何ら変わらない。そんなことは正道も分かっていた。分かっていたが、気づけばそれを手に取っていた。
一秒後、正道が立つ世界は変わる。そして一分後、彼はトラベラーとなった。
霞上響花は死んだ。契約相手のナーダにその身を捧げて一つになった。今目の前に居る敵は彼女の愛が産んだ化け物。人の身体で唄を奏で、獣の身体で獲物を食い漁る吸血鬼。――その名はグランドラクモン。
奴が今この場に居るどのモンスターとも隔絶した域に至った存在であることはX-Passで調べずとも直感的に理解できた。目に見える体積だけでは計り知れない存在としての質量が違う。こちらの戦力は成熟期が二体、完全体が三体。これで届かないことが明白な以上取るべき手は撤退しか有り得ない。だがそんなことを簡単に許すような相手でないこともすぐに分かった。
「貴様らは許さぬ。逃がしはしないわ」
貴人が両手を広げ、魔獣が四肢で地を踏み鳴らす。胸元に浮かぶのは精霊のように幻想的な光球。足元には王の足踏みに慄くように凍てつく大地。その周囲には華のような氷の結晶が十五個ほど浮かんで実を放つ時を今か今かと待つ。その標的が自分であることを渡達は自分の方へと伸びる冷気で認めるしかなかった。
「クリスタルレボリューション」
解放の言葉とともに貴人が腕を振るう。光球は空に溶ける代わりに結晶に命令を与える。標的を逃すなと。
結晶がそれぞれの敵へと奔る。その速度と追尾性能は格下のモンスターの回避性能を凌駕する。
カインの左翼、アハトの右肩、アキの右翼、マーリニの左腕、ビリーの右足。すべての被弾箇所が急所でもなければ、ただ甘く刺さっただけでしかない。だがそれだけで十分な効力を持つことを彼らは身をもって思い知らされる。
「どうしたカイン……何だこれは?」
羽ばたこうとしたカインが不意によろめく。理由は左翼を見れば一目瞭然だった。何せ左翼の先端から少しずつ例の結晶と同じ素材に包まれつつあったのだから。周囲に視線を向ければ、味方のモンスター全員が先ほどの結晶の被弾箇所に同じ現象を抱えていた。
「さっきのが原因か」
「おそらく結晶化だね。それも放置すれば全身にまで侵食していくようだ」
先にX-Passで敵の概要を抜いていたおかげか初見の変化にも渡達の思考は乱されない。そもそも段階が違う相手なのだ。格下の寿命を一気に縮めるような能力を持っていてもおかしくはない。
「じゃあアレか? 全部固まる前に切除するしかねえってわけか?」
「ええ。猶予はないようで」
「なら躊躇しなくていいか。やれ、ビリー」
正道の指示と同時にビリーの二丁拳銃から短い発砲音が五度轟く。
一発目、マーリニの左腕。二発目、アキの右翼の外側が剥がれ落ちる。三発目、アハトの右肩の装甲が剥がれる。四発目、カインの左翼の端から十センチが破れる。五発目、ビリーの右足の肉が抉れる。
必中のフレンドリーファイア。その効果は肉体の損壊の代わりに結晶化した箇所を切り離してこれ以上の浸食を封じる。功労者のビリーに同族が向けるのは尊敬ではなく怒りの視線だが、行動に移さない程度にはカイン達にも契約が身に染みている。渡達も正道とビリーの即断即決には多少面食らったが、あくまで彼は冷静に手段の一つとして提案しているのは分かった。患部を切り離せば侵食は止まるというのは事実正しい対処法だったのだ。
「判断が早かったか。仕方ないわ、こちらがまだ馴染んでないもの」
まるで本当に響花とナーダが一つの身体を共有しているような振る舞い。それを器用なロールプレイだと思考の片隅に追いやって奴の言葉だけを咀嚼する。進化の過程の影響か、グランドラクモンはまだ本調子ではないらしい。結晶化の解除にキャストだけで上手くいったのはそのためだろう。だがそれは究極体の力が完全に馴染んでしまえば通用しなくなると同義。結晶化の速度も対応不可能なものになるだろう。そうなる前に手を打たなくてはならない。
「なあ、今全部を捨ててもアレを本気で倒したい奴は居るか。居ても無視する。逃げるぞ」
だが打つべき手は討伐ではなく撤退だと正道は最年長者として命令する。最早アレは今の自分達には手に負えない代物に変貌したのだ。その事実を全員が理解しているから誰も意地だけで反論する気にはなれなかった。
「そうですね。今は仕方ないです」
「悪いなラン。お前さんの叔父さんの仇をちゃんと討ってやれなくて」
「ちゃんと終わっています。あの女は死んだんですから」
ランが割り切った以上はこの場において怨恨で行動することは許されない。ただ今為すべきことは生き延びること。この世界に立つトラベラーとして何よりも優先すべきことだ。
「聞き捨てならんな。私はここに居るでしょう」
「お前にとってはそうなんだろうな」
それは死者や彼女が命を捧げた相手には通用しない理屈。人がその身を捧げた化け物には目の前に転がる贄を逃す理由はない。
「猶予はなさそうだが隙を見て帰るぞ」
「言っただろう。逃しはしないわ、と」
逃げ切るか。全滅させるか。互いの勝利条件は明白で、時間が掛るほどどちらが有利になるのかは誰もが分かっている。だから安易に撤退の動きを見せようものなら優先して狙いをつけてくる。
巨体というのはそれだけで大きな武器になる。足を踏み鳴らせば地鳴りで敵の動きを鈍らせ、単純な質量差は下手な技以上の暴力となる。一歩進むまでの時間は長いがその移動距離は視覚での認識以上に大きい。猛進する魔獣を前にカイン達は敵の足元から視線を切らずに斜めに後退する。
「こっちか。そんなに僕の言ったことが気に入らないのか」
「当たり前だろう。よく分かっているじゃない」
真っ先に狙われたのがランとマーリニだったのはまだ幸いと言えるだろう。マーリニがグランドラクモンと交互に見る逃走先は更地ではない。看板や標識などの文明の残骸。或いは崩壊後に新たに生えた木々。マミーモンという種が持つ最大の特徴――包帯を用いればそこまでの距離は足を動かすよりも速く移動することができる。
「小賢しい。みんな等しくね」
五歩ほど進んだグランドラクモンは大きくその場で足を踏み鳴らす。その瞬間足元から噴きあがる凍気は左右や後方の面々にもX-Passの操作を帰還に回すことを許さない。何故なら奴の周囲には先ほど見た結晶体が生成されていて、その矛先はもれなくモンスター達を狙っているのだから。
「それを見るのは二度目だね。絶対当たらないように」
鈴音の無茶ぶりを現実にしなければならない。だからこそ全員が全力で迎撃と回避に神経を注いだ。
空を飛べるものは即座に飛び上がって上方に陣取って持てる技を撃ち下ろす。重力の補助程度では覆らない生産者の力量差でも勢いを止めるには事足りる。大質量の鉄球で拉げながらもカインを狙っていた結晶はニ度のドッグファイトの後に真下から生えてきた鉄杭で絡めとられた。
地を駆ける三体にも遠慮なくぶつけられる遠距離武器がある。鉛玉や音波、熱線も一発一発では結晶を砕けずとも、衝突で出来た一瞬の隙に二撃目を叩き込めば打ち砕くことは可能だった。
「二度目なら避けられるか。随分慣れが早いのね」
「褒めるなら見逃してくれ」
「それは無理な相談だ。せめて見慣れた攻撃くらいは止めてからの話でしょう」
無茶振りを実践したところでそれを継続できると言える余裕はない。二つの声を器用に使い分ける賞賛はこれ以上の無茶振りを強要する宣言だ。最後の妙な言い回しの理由もじきに思い知らされることとなる。
「アハトを取られた。撃ってくる」
鈴音の忠告の直後、彼女の足元数十センチに着弾する契約相手の光弾。それは契約による防護膜が今も機能していることを、撃たれた側と撃たせた側が互いに確認する役割を果たした。
そして盛大なフレンドリーファイアが始まる。アハトの銃口が何度も快音を出しては地上に光の礫が落ちる。グランドラクモンは何度か射手に労いの視線を向けながら結晶の生成に勤しむ。
唯一の救いは一番最初に気づくことができる人間が端的に事実を伝えたこと。鈴音の声に一瞬だけ視線を上方に向ければ、アハトが僅かにふらつきながらその銃口をビリーに向けていたのは分かった。だから彼は自身の腹に収まる自慢の一発で迎撃し、他の面々も冷静に状況として組み込んだ。この状況に持ってくるだけの能力があることは最初から分かっていたのだから。
先のやり取りでアハトは確かに彼女の無茶振りに応えていた。だがすべて捌ききった直後のわずかな緩みの間にグランドラクモンと眼を合わせてしまっていた。
グランドラクモンが持つ第二の妙技――アイ・オブ・ザ・ゴーゴン。それはギリシャ神話の女怪三姉妹の名前に相応しい、本能を縛りつける魔眼。まだ手探りな状況でもその強制力は格下相手には十分過ぎる。
「上ばかり見ていていいのか。足下を掬われるよ」
ダメ押しのクリスタルレボリューション。中空を撫でるように両腕を左右に広げればその扇状の軌道に十の結晶が生まれ、砕けるように周囲の敵へと襲い掛かる。対処すべき優先度が高いのはこちらの方。上からのフレンドリーファイアは甘んじて受け止めて、敵からの脅威をしのぐことだけに注力する。無防備な頭上に降る光弾はカインの右翼に穴を開け、マーリニの背中を包帯ごと焼いた。それでも誰も結晶化していないのなら寧ろまだマシだろう。
「鬱陶しいなら切り捨てればどうだ。一体は飛べるのも居るでしょう」
「その必要はないよ。私が言うと命乞いに思われるだろうけど」
「仲間には通じてないようだが。その一体が狩りに行ったわよ」
鈴音とてこのまま契約を反故にされたまま終わるつもりはない。その意思と可能性は既に仲間に託している。カインの飛翔がそれを踏まえたものであることをグランドラクモンは知らず、知ったところで気にはしないだろう。
カインはグランドラクモンに一切目をくれずアハトへと一直線に向かう。迎え撃つアハトは闇雲に主砲を乱射。だが一直線上のタイマンならばただの豆鉄砲だ。中途半端に生成した鉄球でも真正面に放てば体積的には盾として十分な役割を果たしてくれる。さらに盾はそのまま大砲の弾に等しい脅威となってアハトに迫る。火力の差を前に奴が迎撃を諦めて慌てて左方に逃げたのは鉄球を放ってから三秒後。そこから鉄球を右に見逃したその細い身体がカインの口に咥えられるまでは一秒も要らなかった。
標的を回収して身体を翻すカインの視線の先にはグランドラクモンが放った八つの結晶。キャストで筋力に振ったから距離は開いたもののその追尾性能は侮れない。だからここでまとめて潰そうと頭上で鉄球の生成を急ぐ。邪な視線がその作業に割り込もうとすることは最初から予想していた。
「アイ・オブ・ザ・ゴもごっ……ごっ、これは、何だ? 何が目に張り付いてくるの」
「眼は酷使させないよ」
グランドラクモンの顔に巻き付く白い包帯。それはマーリニの身体から伸びるスネークバンデージ。それはマーリニの自身の意思で動くとはいえ単体ではグランドラクモンの上半身まで伸ばすのは難しい。だが、カインが飛び立つ前に足に巻いて上空まで引っ張り上げて貰っていたのだ。アハトまでの距離を詰める前に空中に放された包帯は彼がアハトを回収するまでにマーリニが自分の意思を末端まで浸透させている。それがカインの救助劇の邪魔をさせないための白い予防線だったのだ。
「小賢しい真似を。落ち着いて外しましょう」
グランドラクモンがそれを引き剥がす頃にはカインは渡の頭上まで戻っており、その口からアハトも解放されている。自由の身になってもその主砲はもう味方を狙うことはない。
「読み通りで良かったよ」
契約相手を操られたとき、鈴音は契約で自身の護りが維持されているのを確認した段階でグランドラクモンの観察に注力した。その視線が操っている筈のアハトに定期的に向いているのを見抜くのに時間は掛からず、奴の不完全さがアイ・オブ・ザ・ゴーゴンにおいてどのように表れているのかの推測がすぐに立てられた。魔眼の拘束力は相当だが、拘束時間はさほど長くはない。だから上書きするために何度か見据え直す必要があったのだ。
それでも一度目を合わせれば一定時間は自由を奪われるという脅威は変わらない。違いはグランドラクモンが自身の弱点を看破されたと分かったうえで次の一手に移ること。より慎重に魔眼を使うとすれば、標的は一体に絞ったうえで使ってくる。ならその標的はどのモンスターか。誰の契約相手を奪われれば渡達は一気に不利になるか。
「真魚!」
「分かってる! 第三曲」
「俺とビリーがフォローに入る」
巨体の目前で特大の砂煙が巻き上がる。アキが下方に向けて放った音波弾による目くらましだ。それでもアキへと向けて進んでいることは足音から分かった。
洗脳能力を持つモンスターにとって最悪のケースは上位の洗脳能力を持つものに支配されること。支配能力を奪われるということは、敵を攪乱させるはずの能力を味方に向けられるということとなるのだから。
「通しはしない」
グランドラクモンとアキの間に落ちる三発の巨大鉄球。強度を調整して放たれたそれらは互いの接触面を少し潰しながら重なり団子のような柱となる。グランドラクモンの巨体にも匹敵するこの高さならその視線と進路を遮るには十分だ。力づくで押しのけるならそれもいいだろう。その間に真魚とアキを逃がすことくらいは出来る。
「通るさ。逃がしはしないわ」
言葉と相反してグランドラクモンの足は鉄球団子を前に止まる。その代わりに奴の足元にはこれ以上ない程に冷気が満ちて、空気中には三十を超える結晶が生成される。その一本一本が既に標的をロックオン済み。鉄球が落ちる前に確認していたその座標周辺目掛けて結晶の群れが襲い掛かる。
「次弾は間に合わない。なんとか捌いてくれ!」
「やるしかないじゃない」
メタルメテオの生成は第一波には間に合わない。結晶を今まで捌けていたのは絶対数が少ないうえに分散させて放たれていたから。一体につき数本程度が向けられていたから格下でも相殺できた。だが、今までを超える弾数が一点に集中するとしてアキやそのフォローに回ったビリーだけで捌ききれるのか。
「背中見せたら死ぬぞ。根性見せてくれよ、ビリー」
ビリーが右手の銃で帽子を少し持ち上げるのは限界近くまでブラストを注ぎ込んだ正道に対する彼なりの信頼と覚悟の証か。アキより少し前に出て三つの銃口を結晶の群れに向けて引き金を引く。放たれる弾丸の性能差は嫌というほど理解している。ならば有効な角度でぶつかるように一発ずつ丁寧に性能差を覆すだけの数をぶつけるまで。例えそのために必要な弾数が三桁や四桁に達するとしても、退路が無い今のビリーに打てる手はそれしかないのだから。
フルオートを超える早撃ち。結晶にぶつかり砕ける代わりに僅かにずれる軌道を後から来た弾丸がさらに少しずらす。一発一発が経験と推測に裏打ちされたそれは手ブレすら許さないミリ単位の調整の元で引き金を引くから出来る妙技。少しずつ進路をずらして速度も減衰したものは標的だった筈の歌姫の第三曲によって打ち砕かれる。
だが状況を打開するには届かない。砕いた結晶よりも仕留め損ねた結晶の方が多い。弾丸と音の雨を抜けた結晶は標的とその護衛の肉へと確実に届いている。
アキの右翼に刺さる結晶。一秒後には接触面から侵食が始まり、さらに一秒で侵食速度を再確認したアキは右手で翼を結晶ごと引き千切る。自分の肉を顧みない自傷行為でも安い方だ。痛みに喘ぐ間にも次弾は容赦なく迫るのだから。痛みに堪えて上げた顔をすぐに背けたのは本能による反射的行動。頬の代わりに左肩に結晶が刺さり、再び侵食が始まる。反対の手で砕こうにもそのアクションをする前に次の結晶の対応に追われる。それを真正面から音の弾丸をぶつけて砕く間にも左手は動かなくなるだろう。いや、手や肩ならまだマシだ。足を奪われたまま逃げる時間を作れなければ、アキが自分の身体を自分のものとして扱える時間はもう来なくなる。グランドラクモンと対峙すればその魔眼から逃れる手はないのだから。
それを理解しているのは仕掛ける側も同じ。だから数で攻め立てて、確実に動きを封じる方向にシフトした。こちらの目論見が甘いのではなく甘い目論見しか立てられなかっただけ。その現実を見せつけるようにアキは無様にこけて背中を地面につける。石に足を取られたのではない。その右足には結晶が刺さり、確実に侵食を始めていたのだ。
その瞬間、アキは動きを止めた。まるで自分の死期を悟ったように身体を地に投げ捨てて全身から力を放棄する。真魚の声も支持も届かない。届いたところでどうしようもないと悟ったようだった。
アキを動かせるものがあるとすればそれは生存本能に訴える何か。例えば眼が冴えるような新たな痛み。それは侵食寸前の足の肉に食い込む鉛玉。結晶化が止まったことで再び立ち上がれるようになったアキの眼にはビリーの背中と彼や自分に迫る無慈悲な結晶の雨しか見えなかった。
「止まれ!」
渡の声に応えるように落ちる巨大鉄球。それは重力を味方につけながら多くの結晶を圧し潰した。盛大に巻き上がる土煙が消えるまでに鉄球の裏側に回り込んだ渡達がはほんの数十秒の間に起こった戦闘の結果を目の当たりにする。
「アキ!」
アキは背中を地につけ、空を見上げていた。その四肢は結晶化しているため自力で逃げることは無理だろう。四肢までで結晶化の侵食が止まっているのは肉との境目にある銃痕のおかげか。だがそれは単純に寿命が少し伸びた程度で、首から上が残っているという点でグランドラクモンの格好の獲物になるだけだ。
いっそアキの目の前で立っているビリーのように完全に全身が結晶化していれば利用価値も見出されなかっただろう。それはそれで単純に踏み潰されて終わるだけだが。
「根性見せた、か。……クソ」
芸術的な彫刻と化したビリーはもう一歩も動けない。こうなった以上、契約相手である正道には撤退も戦闘継続も不可能だ。敗残兵は放っておけば自然に契約が切れて、帰還と自己防衛の手段を失った段階でそこらのモンスターに食われるだろう。いや究極体として最初の食事にするか。グランドラクモンにとって射場正道という人間とその契約相手であるビリーはもう敵戦力として数えるに値しなくなったのだから。
「モンスターがモンスターを庇うとはな。素晴らしい献身だね」
だからグランドラクモンの誉め言葉は紛れもなく本心によるもの。無意識に嫉妬のニュアンスが紛れ込んでいるのはグランドラクモン自身が献身という言葉に類する行動によって産まれたから。自身の出生に関与した行動の希少価値を下げるような真似をされたことが奴の神経を逆撫でしていた。
「何が言いたい?」
「お前の言う根性が産んだ成果を褒めてるんだ。君は随分うまく躾けたようだ」
自分が生まれた原因と自分が見た結果はまったく違うものだ。それを宣言する意味は正道にも分からなければグランドラクモン自身も分かってはいない。身を賭して護るという行動。それは愛する人が見せてくれたからこそ尊い行動なのだ。その認識をぶらされたことに気づかないから、グランドラクモンは混乱を隠しきれずにいる。
「躾けた、か。俺はあいつには大したことはしてやってねえし、言ったこともねえよ」
寧ろ冷静なのは契約相手が氷漬けで武器も盾も失ったはずの正道。魔眼が人間に及ばないと判断したうえで、魔獣の巨体を見上げてただ真正面から素の言葉をぶつける。
「あいつはただ俺の背中を見て、俺に背中を見せてくれた。ただそれだけだ」
その背中に恐れはなく、その語りに澱みはなく、その言葉に嘘はない。餌が無くなれば相手を食らうようなトラベラーとしての契約であっても、そこには確かに関係性があった。それはかつてのナーダや霞上響花と何ら変わらない。
「そして、それはこれからも変わらねえ。何も果たしていないからよ、俺達はまだ終われねえ」
そして、正道は己の左腕を掲げる。そこに輝くのは未だ消えていない契約の証。先ほど使ったはずの光がまだその真価を発揮していないと喚くように瞬く。
そして、彼の相棒を封じていた結晶は内側から響く銃声とともに砕け散る。
特異点Fへと最初に飛んだ時、正道が真っ先にしたのは自分の銃創に対する応急処置だった。端末へと変化したX-Passが左腕についていることに気づいたのもそのタイミングで、勝手に流れ出したチュートリアルは半ば現実感がないまま話半分に聞いていた。
酒に呑まれた馬鹿の戯言が現実だと受け入れたのは実際にモンスターの姿を視認したとき。二丁拳銃を構えた西部劇風の人型は何かのコスプレかと思ったが、握る銃と胸の主砲を見ればそれが張りぼてではないことは分かった。主砲が完全に身体と同化していると理解すれば最早ここは自分達の住む世界とは根本的に異なるのだと認めるしかなかった。
チュートリアルのナビゲーションとやらが語る言葉も今は目の前の人型がリボルモンというモンスターだという情報しか頭に入ってこない。そいつは今まさに右手の銃をこちらに向けているのだから。異形相手に人間様の武器がどこまで通用するかは分からない。それでも正道は拳銃を構えて相対する。
思考は冷静に、身体のぶれは極力抑え込んで。ただ静かに狙いを定めて引き金を三度引く。
タイミングは両者ほぼ同時。轟音とともに二度放たれる互いの弾丸は激突して短い快音を響かせる。
「クソッたれ」
数秒後、静寂の後に漏れ出たのは正道のうめき声。応急処置したばかりの右太ももには新たな銃創が刻まれ、正道は膝を地面につく。弾丸は確かに狙い通りの軌道で放たれた。わざとリボルモンの僅か後に撃った弾丸は確かに奴の弾丸に接触した。だが、前提として弾くには弾丸の質が違い過ぎた。ぶつかった弾丸は一瞬で拉げてどこかへ飛び、相手の弾丸は正道の太ももに刺さった。多少でも勢いを殺して軌道を変えられただけ喜ぶべきか。だが、次のやり合いには対応できない。後から放った三発目の弾丸も致命傷には至らなかっただろう。
逃げ場はない。走馬灯で足掻くことに目覚めても、思い付きで運よく逃げられても、その先は結局どん詰まりだったらしい。
だが敵の三発目はいつまで経っても来ない。不思議に思って顔を上げてみれば、リボルモンは帽子のつばをつまみながら、蛍の光のような眼である一点を見ていた。視線の先にあるのは出会った頃にはなかった穴。正道の拳銃の口径と一致するその穴が時間が巻き戻るように修復される様をただ二人は見ていた。
その後もリボルモンは正道に対して引き金を引くことはなかった。二丁拳銃を腰にしまったうえで彼の元へと歩み寄り、立て膝をついて視線を交わす。そこに不思議と言葉は要らず、気づけば正道は彼にビリーという名を与えていた。