特異点Fへと最初に飛んだ時、正道が真っ先にしたのは自分の銃創に対する応急処置だった。端末へと変化したX-Passが左腕についていることに気づいたのもそのタイミングで、勝手に流れ出したチュートリアルは半ば現実感がないまま話半分に聞いていた。
酒に呑まれた馬鹿の戯言が現実だと受け入れたのは実際にモンスターの姿を視認したとき。二丁拳銃を構えた西部劇風の人型は何かのコスプレかと思ったが、握る銃と胸の主砲を見ればそれが張りぼてではないことは分かった。主砲が完全に身体と同化していると理解すれば最早ここは自分達の住む世界とは根本的に異なるのだと認めるしかなかった。
チュートリアルのナビゲーションとやらが語る言葉も今は目の前の人型がリボルモンというモンスターだという情報しか頭に入ってこない。そいつは今まさに右手の銃をこちらに向けているのだから。異形相手に人間様の武器がどこまで通用するかは分からない。それでも正道は拳銃を構えて相対する。
思考は冷静に、身体のぶれは極力抑え込んで。ただ静かに狙いを定めて引き金を三度引く。
タイミングは両者ほぼ同時。轟音とともに二度放たれる互いの弾丸は激突して短い快音を響かせる。
「クソッたれ」
数秒後、静寂の後に漏れ出たのは正道のうめき声。応急処置したばかりの右太ももには新たな銃創が刻まれ、正道は膝を地面につく。弾丸は確かに狙い通りの軌道で放たれた。わざとリボルモンの僅か後に撃った弾丸は確かに奴の弾丸に接触した。だが、前提として弾くには弾丸の質が違い過ぎた。ぶつかった弾丸は一瞬で拉げてどこかへ飛び、相手の弾丸は正道の太ももに刺さった。多少でも勢いを殺して軌道を変えられただけ喜ぶべきか。だが、次のやり合いには対応できない。後から放った三発目の弾丸も致命傷には至らなかっただろう。
逃げ場はない。走馬灯で足掻くことに目覚めても、思い付きで運よく逃げられても、その先は結局どん詰まりだったらしい。
だが敵の三発目はいつまで経っても来ない。不思議に思って顔を上げてみれば、リボルモンは帽子のつばをつまみながら、蛍の光のような眼である一点を見ていた。視線の先にあるのは出会った頃にはなかった穴。正道の拳銃の口径と一致するその穴が時間が巻き戻るように修復される様をただ二人は見ていた。
その後もリボルモンは正道に対して引き金を引くことはなかった。二丁拳銃を腰にしまったうえで彼の元へと歩み寄り、立て膝をついて視線を交わす。そこに不思議と言葉は要らず、気づけば正道は彼にビリーという名を与えていた。
結晶が内側から砕け散る。破片が散らばり、一定サイズまで細かくなったものは溶けて消える。それだけの熱量がビリーの身体を作り替えた。
奇しくもそのシルエットはグランドラクモンと同じ四足の下半身と人型の上半身を持つケンタウロスのようなもの。ただしその身を覆う性質は吸血鬼や魔獣などのファンタジーなものではない。鉛色の装甲服という正道とビリーに相応しいの文明の結晶だ。両手の二丁拳銃をガトリング砲に、胸の主砲を腹の機銃へと換装したその火力は今まで捌ききれなかった射撃戦にも対応することができるだろう。
その種族の名はアサルトモン。乱戦や激しい戦況に対応するために進化した半獣半人のサイボーグだ。
「まずやることは分かってるな」
正道の言葉への返事をビリーは行動で示す。ガトリング砲を乱射して土煙を上げた後、グランドラクモンに背中を向けてアキと真魚、そして正道を背中に回収。土煙が消え始めるタイミングで身体のエンジンに火を入れる。
疾走。踏破。後方の廃屋へと退避して真魚とアキを置いて、ビリーはグランドラクモンの方を振り返る。視線の先には追手として放っていたであろう二十の結晶。ある程度距離が離れているから以前のものよりは失速ぎみだ。こちらの弾数には余裕あり。時間を稼ぐことを考えずとも、ただ突破を試みれば目的は達成できそうだ。
「撃ち落とせ」
相棒の声に応えるべく、ビリーのガトリング砲が盛大に火を噴く。腹の機銃も出し惜しみはしない。四脚で器用にバックステップやサイドステップを踏みながら、結晶の一番脆いところを確実に砕いて落とす。ビリーはもう俺の前で早撃ちで無様な真似はもう見せない。その確信があるからこそ、正道は己の身体をビリーの背中に預けられた。
「帰還開始。正道さん、ビリー、ありがとうございます」
「X-Passの中なら傷は修復される。それで消費した分のカバーは後日にして大人しくしとけ」
まずは一組。真魚とアキの姿は一瞬にしてこの時空から逃亡を果たした。これでこの場の勝利に一歩は近づいた。
「生き延びるぞ」
グランドラクモンなんて化け物が生まれた段階から逃げるための戦いにシフトしている。後で何かをやり遂げるために今は逃げて生き延びる。それが一回り年下の仲間に呼びかける唯一の命令。死ぬべき時は今ではないと声高に叫んで足掻け。本気で倒したいと願うのならそれは確実に仕留められる未来に託せばいい。
そのための殿ならば自分達が喜んで務めよう。そう宣言するようにビリーは地を駆け、両手のガトリング砲を遠慮なくぶっ放す。鉛玉の雨が鉄球団子を押しのけたばかりのグランドラクモンの足元を襲い進行をわずかに緩める。そうして止まった足から飛び出す鉄の杭はカインのブラッディータワー。巨体を転ばすには至らずとも、文字通り足を止める役割は果たしている。その証拠が鉄杭自身が凍る様とその真上で生成される無数の結晶。アキを傷つけかつてのビリーを結晶像に変えた群れが今度に狙う相手はランとマーリニ。結晶化で拘束した後に魔眼で支配したとして、実利に大差ない面々が残っているのならば、後は私怨を優先するのは当然だろう。だから、こちらとしては読むのも容易かった。
結晶の進行を阻むのはマーリニ自身のマシンガンだけではない。即座にマーリニの元へと駆けつけたビリーの両手のガトリング砲が吼える度に結晶は砕け、破片が別の結晶に触れると連鎖するように結晶一つ一つが崩壊していく。その捌き方はかつて敗北したのが嘘に思える程に迅速かつ冷静だった。それは仮に撃ち漏らしたとしてもカバーできる仲間が居るという信頼があるから。鈴音のすぐ上まで高度を下げたアハトはスタビライザーで器用に体勢を整えながら崩れかけの結晶に止めを刺す。
「仕切り直しだ」
ダメ押しとばかりにグランドラクモンの目の前に落ちる巨大鉄球。第一波の中で遅れ気味だったものと用意している最中だった第二波を圧し潰す。そうして生まれるのは一組返すには十分な隙。グランドラクモンが鉄球を蹴り飛ばす頃にはナーダだった自分の隠し事を暴いた仇敵の姿は奴にはもう見えなかった。
「お前ら、何故邪魔をする。私達はただ好きに生きたかっただけなのに」
「そっちの好きでこっちが滅ぼされて堪るかよ」
グランドラクモンに相対するのは残り三組。逃がせば逃がすほど戦力としての頭数が減ることは最初から割り切っている。だからここからは足止めしつつ如何に距離を取って時間を稼ぐか。
最も警戒すべきはクリスタルレボリューション。次点でその巨体による肉弾戦。アイ・オブ・ザ・ゴーゴンに関しては強力ではあるが比較的脅威ではない。条件は視線を合わせること。ならばわざわざ図体のでかい相手の位置を把握するのに見上げる必要もない。
渡はカインの背に、鈴音はアサルトモンの背に乗り、三体のモンスターを敢えて一か所に集める。各個撃破に方針を変えたのなら分散して動くより全員で結晶を捌いた方がいい。それが全員で生き延びることを勝利条件として掲げたなりの矜持だ。
渡達は一点だけ見落としていた。それはグランドラクモンが自身の能力にどれだけ馴染んできたかということ。クリスタルレボリューションでの結晶の生成数が初期より圧倒的に多くなったことはそれを示す指標の一つだ。最初より馴染んでいるのはアイ・オブ・ザ・ゴーゴンも同じ筈。その結果進化したのは拘束時間か。或いは拘束力か。――それとも拘束条件か。
「カイン? ぐくぉわっ!?」
突然カインに振り落とされる渡。その理由はカインがアサルトモンの頭上に生成する巨大鉄球を見た瞬間に理解しなければいけなかった。グランドラクモンの方には視線を向けさせなかったはず。だが、現実としてカインは奴の尖兵に落ちて己の技で仲間を圧し潰そうとしている。考えられることは一つ。アイ・オブ・ザ・ゴーゴンは視線を交わさずとも、一方的に視線を向けるだけで発動するようになったのだ。
「逃げろ!」
声より早くアサルトモンが動く。だが、それでも間に合わないだろう。どれだけ運が良くても脚二本は持っていかれる。どう転んでも詰みだ。機動力を失ったアサルトモンは今度こそ結晶像の良い素材になるだろう。
「……な、に? がっ!?」
不意に身を焦がすような爆風が吹いた。それはアサルトモンに落ちる筈だった巨大鉄球を軽く弾き飛ばして、グランドラクモンの下半身で涎を垂らす右の口を塞ぐ。喉の奥まで食い込むその衝撃は巨体を転がして初めて痛みによる声を上げさせる。それはグランドラクモン自身にも衝撃だったのか、カインを支配していた魔眼の力も一気に消失した。
「何が……起きたんだ」
「――間に合ってよかった」
渡がグランドラクモンが言い損ねた言葉を口にしたところで、闖入者は姿を現す。それは見慣れない巨体とその背に乗る見慣れた人影。グランドラクモンに匹敵する巨体は黒鉄の装甲の間に巨大な砲門を仕込んだ首長竜。規格外の質量と火力量を秘めている巨大サイボーグ。その背から排出される灰の煙の奥から姿を見せたのは穏やかな洋菓子店店主にして自分達のまとめ役。別の作戦に動いている筈の巽恭介だった。
「これがあのマメゴンですか」
「アルティメットブラキモンというらしい」
「なんであんたがここに」
「それについては後で話すよ。今はこの場を切り抜ける」
返事も疎かにマメゴンはグランドラクモンの方へと進み始める。進行速度は遅いが止まることはない。結晶の礫は一歩踏み出すごとに噴き出る熱風で溶かされ、視線を向けるだけで掛かるようになった魔眼も視線が交わされなければ同格相手でもその巨体を支配するには至らない。当然だ。アルティメットブラキモンはグランドラクモンと同じ究極体。それも体力と火力に優れた圧倒的なパワー型には届かない。
「何だ、何者だ、お前は? 止まって、来ないで、やめて」
「そういう訳にはいかない」
久しぶりに相対する自分が圧倒できない相手。その猛進にグランドラクモンは無意識に後退りする。一方で逃走せずにいるのはまだ戦える相手だと思い込んでいるから。マメゴンの移動速度はけして速くはない。距離が詰まるまで何分掛かるか。考える時間がが十分にあるからこそ、グランドラクモンは思考の迷路に陥りある筈の時間を無駄に浪費する。半ば自棄になって仕掛けた攻撃は悉くを打ち消され、プライドを踏みにじられたことで思考の混濁はさらに悪化する。
「来るな。来ないで」
「逃がさない」
気づけば既に距離はゼロ。マメゴンは巨体を揺らしながら既に攻撃態勢に入っている。それにグランドラクモンが気づいたところでもう間に合わない。
「アルティメットクエイク」
グランドラクモンの下半身へ豪快に叩きつけられる尻尾の槍斧。直撃を受けた双頭の顔面は崩壊。盛大に土を巻き上げながら倒れるその姿は下半身の双頭に似合う無様なやられ姿だ。
「あ、ぐ……い、いたい」
「だろうね」
すぐに立ち上がらないのは肉体的なダメージよりも精神的なダメージのせいに見えた。今まで蹂躙する側で過ごしていた筈の存在にとってこれほど屈辱的な痛みは受け入れられるようなものではなかったのだろう。何より“彼女”にとって痛みは与えるものであって、与えられるものであっていい筈はないのだから。
「痛い。大丈夫よ。なんて真似するんだ。いたい。イタイ。私が居るわ。そうだな。痛い。痛いんだ。落ち着いて。落ち着いているさ。痛くて仕方ないの。俺だって痛い。こんなに痛いのは知らないわ」
肉体のダメージだけならばこんな譫言を呟きだしたりはしない。そもそも言動は最初からおかしかった。契約相手自身の命令で彼女を食ったせいか器用な一人芝居をしていたのだから。
「俺だってこんな痛みは知らない。同じ痛みを知っているはずよ。そんな訳はない。私とあなたは一つでしょう。嫌だ。嫌がらないで。こんな記憶は知らない。私を知って。やだ、俺を侵さないで。私の分まで生きてと言ったでしょう。俺は分かってるつもりよ。私はそう願ったんだ。俺は私が。一緒を祈った。一緒で痛いけど一緒にイタイ」
モンスターは人間を食らうことで言語を得る。だがそれは人間の記憶を吸収したが故の副産物ではないだろうか。その記憶とモンスター自身の境目が無くなり区別がつかないほどに混濁してしまったら、どれだけ強靭なモンスターでも狂ってもおかしくはない。グランドラクモンの精神状態や言動がちぐはぐなものになっているのを納得するにはそんな仮説を立てるしかなった。
いずれにせよ彼ないし彼女の寿命はもう短い。戦意も失った今、後はマメゴンの一撃で粉砕されるのを待つのみ。
黒鉄の尾が振り下ろされる。その衝撃は地を揺らして土塊を巻き上げる。これで魔獣の生命は終わる。――筈だった。
辺りに飛び散る衝撃の余波に魔獣の肉片はない。ミンチにする筈の尾はグランドラクモンから数十センチ外れた地面を叩いていた。恭介やマメゴンが手加減した訳ではない。彼らでもグランドラクモンでもない力によってずらされたのだ。
そいつはグランドラクモンの頭上でこちらを嘲笑うようにけたたましい羽音を響かせている。それは野生の中で己を強者として鍛え上げたことへの誇りと驕り。白い筋の入った黒い甲殻が象るシルエットは人でも獣でもない異形が、グランドラクモンに近づけないようにその頭上近辺で揺れるように滞空しながらこちらを見下ろしていた。鋭い爪を持つ六つの脚を器用に叩きながら見せつけるように自慢の牙を打ち鳴らすアクションがどういう感情によるものかは表情が読めなくとも分かる。
「グランクワガーモン、進化段階は究極体」
「――応よ。俺の大事な相棒のクロムの新たな姿だ」
黒い異形――グランクワガーモンの頭上から降る乱入者の声を恭介と渡は知っている。忘れられるはずもないだろう。何せ渡とは二度死闘を繰り広げた相手なのだから。
「黒木場秋人!」
「よう、弟切渡。無事に生きてたんだな。……ってガチガチブンブンうるせえなクロム。少し静かにしろ」
乱入者としては一番予想外の部類だ。何しろ目的が分からない。少なくともグランドラクモンの仲間でないのは確実だろう。繋がりを想像することが難しく、仮に何かしらの繋がりがあったとしても、助けに入るとしたらもっと早いタイミングで入ってくるのが普通だろう。
「何しに来た?」
「あー……てめえにはまた会った時には殺してやるって言ってたな。喜べ、延命出来るぞ」
「どういう意味だ?」
「見逃してやるって言ってんだ」
幸いと言うべきか秋人の目的はこちらではないらしい。恭介とマメゴンという援護が来たといえ第二ラウンドに縺れ込まずに済むのなら寧ろ助かる。奴の目的が後に再戦した際にこちらの不利に繋がることだとしても、今殺されるリスクよりは何倍もマシだ。
「代わりにこいつは俺達が貰う」
「ハイエナの真似事か」
秋人の目的がグランドラクモンだとすれば、まず考えられるのはその血肉を自らの契約相手に食わせること。だが、それには不可解な点が一点ある。それはマメゴンの止めを妨害したこと。血肉だけなら死んだ後に牙を突き立てて吸えばいい。そうしなかったのは別の利用価値があるからか。例えば恩を売って仲間に引き込むとか。
「否定はしねえよ。ただ食うのはこいつじゃあねえ」
その可能性は一欠けらもないと秋人はグランドラクモンに死刑宣告を下す。処刑方法は飢えた怪物の群れに晒すこと。秋人の呼び声に応えるように視界の奥からはデクスの群れが砂煙を上げながら走り、赤い空を隠すように高々と飛ぶ。三十を超える捕食者がこちらに向かっている以上、取れる選択肢は一つしかない。
「この場は譲ろう」
「懸命な判断だ。まとめ役さんよ」
現代への撤退。比較的地力でやり合えそうな恭介に見送られながら渡と鈴音は帰還し、それを確認した恭介が最後に帰還のコマンドを実行する。秋人は約束通りそれを妨害することなく見送った。
こうして邪魔者が居なくなったところで秋人は貴重なデータ収集の監視と護衛という役割を遂行する。対象は眼下でただ譫言を呟く巨体――グランドラクモン。作業班たる成熟期と完全体のデクスももうそろそろ到着しそうだ。
「お、れはきょうかで。わたしはなーだ。いっしょだいっしょ。ずっといっしょ」
「そいつはよかったな」
グランクワガーモンの頭上で煙草を吹かしながら秋人は赤い空を見上げる。暫くは下を向くことはできないだろう。耳栓を持ってこなかったことが今日一番の失敗だったなと思いながら秋人は彼ないし彼女の断末魔を浴び続けた。
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初究極体登場からはや十か月。本当にお待たせしました。これにて霞上響花とナーダとの因縁は決着です。
次はちまちま書き始めてなんとか早めに上げていきたいところ……少なくとも、あと二話くらいは今年中になんとかしたいっす。