「本当に頭おかしいんだな、俺って」
この世界で自分が辿った考えを整理した上で初めて出た言葉は納得に似た諦観だった。一度死にかけたあの時からずっと自我の根底にはその記憶が燻っている。それが何一つ幻覚ではないと証明できたうえでもう一度あのドルモンという存在に会える手段を確立できるのなら、今ここに立つ自分も同じような末路を選ぶであろう確信がある。寧ろ手順を知ってしまったからこそ、今更安易に道をずれようと思えない自分が居ることを自覚してしまった。
「こんな状況に陥る訳だ」
父親だった男の死の間際の呪いはその時に救ってくれた相手に対する意識として最も深く根付いている。カインと初めて会った時に迷うことなく契約に至ったのも、その時の記憶とリンクしたのも一つの要因だと今では思う。
ドルモンという同種ではあれど同一個体ではないことは渡自身も頭では分かっている。そもそもあの時のドルモンが今同じ姿で存命しているかも怪しい。それでも一種の代償行為としてあの時の渡はカインという名を与えてともに生き抜こうとしたのだ。
「おかしいなりに道理を通すしかない、か」
そう、代償行為だ。渡自身、カインをもうあのドルモンと同一視していないとは自信を持って言うことはできない。それでもカインの死に様は見たくはないし、可能な限り生き延びて欲しいと本心から思っている。その思いの重さがゴブリモンとの一戦の分だけではないことは自信を持って断言できてしまう。他の重さに少しでもあのドルモンに対する代償行為が含まれているのであれば、自分自身のおかしな精神性がいい方向に作用するだろう。
「やってやるよ、X。俺はお前の敵として戦い抜いてやる」
カインにこの戦いの勝者という名誉と安寧を与える。そのためにすべてを捧げ、根底に刻まれた呪いをドルモンという種に対する代償行為として発散させる。今の渡にとって、自分が生きていいと納得するための理屈はこれくらいしか組み上げられない。それでも、未来の人類の仇となった男として、一人のトラベラーとして、戦って生き残るための覚悟を固めるには十分だった。缶の底に残った自分以外の筆跡が残る唯一の紙切れも、今の自分であれば有効に活用することができるだろう。
「貴重なお時間を頂き、ありがとうございます」
カラオケボックスに不釣り合いな言葉で渡は口火を切った。夏根市の駅近くに複数あるカラオケボックスの中でも遠い方の店を選んだのは高校生の財政事情を踏まえた涙ぐましい警戒態勢によるもの。できる限りの準備を整えるのは招聘した者としての役目だ。
「ホストだからといって畏まり過ぎだ。気楽にするといい」
「巽さんがそれを言うと皮肉にしか聞こえませんよ」
恭介の店――喫茶パトリモワーヌを貸し切って使うことはもうないだろう。最初からスパイだった二人が盗聴器の類が仕掛けていた疑念も拭えないが、それ以上に彼らと過ごした思い出が紐づいてしまっている。正義を振りかざして向かってくる彼らと戦う覚悟が鈍りうる要素は排除しておきたい。いや、大半はそういうかたちで心を揺さぶられたくないという単純な感情的な問題だ。
「まだ俺みたいなのを仲間と思ってくれてる相手を無碍に扱えませんって」
「随分と卑屈なんだね。悪役には慣れていないのなら私が振る舞いを教えてあげようか?」
「これでも真っ当に生きてきてつもりだったんだよ、鈴音さん。――でも腹は決まった」
その心情を誰よりも自覚しているのは渡だろう。レジスタンスのために戦うと決めた連中から最もヘイトを買っているのは間違いなく渡であり、渡自身その自覚があるからこそ、今仲間である連中を今日呼び出したのだ。
「これは依頼であり、取引だ。俺は俺自身を囮にレジスタンスの連中を、その先に居るXを引きずりだす。だから、Xを殺して生き延びるのを手伝ってほしい」
頭を下げた渡の言葉に疑問符を浮かべる者はいなかった。トラベラーとして残った自分達とともに戦うために自分に課した――自分自身で割り切るために練った渡なりの理屈。悩んだ結果として、歪でもそのような答えを出さねば気が済まない堅物であることは今まで彼を見てきた仲間には分かっていた。
「死にたがりという訳ではないんだな」
「お前にそう見えているなら問題ないな、将吾。……まあ、死ねないと思ってしまうから面倒なことになるんだが」
乾いたような笑いには諦めに似た印象を与える。そんな表情を見せられれればどのような思考の過程を経たのかを探ることすら憚れる。渡の考えは簡単なことでは変わらないだろう。出来ることは彼の望み通りにレジスタンスの彼に対するヘイトを利用して、戦いを少しでも優位に進めるだけ。
「で、実際どうしろってんだ? 日取りでも決まっているのか?」
「日取りはいつでも。ただ仕掛ける場所は決まっています。……今座標を送りました。巽さんが以前ぶっ壊した地下プラント跡からざっくり二キロの地点。そこに連中の支部の一つがあるようです」
抽象的な方針の話の後は具体的な手順の話。ただ戦場として提示された場所は渡以外の面々も把握していない敵の拠点。もたらされた情報に対して不思議と渡の情報網を侮っていたとは安易に喜べなかった。
「そこを攻め落とすと?」
「先方の首領からのご指名です」
攻め落とす。恭介が敢えて選んだ言葉に動じず渡は返したが。逆に彼の返答にはこの場の面々も表情を歪めざるを得なかった。
「それってどう考えても罠だろ」
情報提供者はよりにもよって最終的な標的――X本人。情報の信憑性が発信者によって左右されるのはよくある話だが、これはその中でも最悪の部類だろう。支部があるかの真偽など最早どうでもいい。確実なのはその場所に敵の思惑が張り巡らされていること。
「おそらくは。待ち伏せされるでしょうね。でも、そこに必ず奴はくる」
それを承知で渡はその身を投じようというのだ。理由はただ一つ。標的がこの場に現れるというゆるぎない確信だけ。
決戦の場を記したのはあの地獄を作り出した研究者のファイルの代わりの置き土産。わざと残した日記を見ても自分の過ちを認められない愚か者に向けた招待状だ。
「奴は俺と相対した以上、レジスタンスを率いる長としてではなく、個人的な復讐の対象として、奴自身で俺を殺そうとして来る。――そこで奴を討つ」
言ってしまえばリスクしかない全面対決の提案。気が狂ったのかと言われればノータイムで最初から狂っていると答えそうな覚悟。そこには彼らの手を借りずとも斬り込みそうな危うささせ見えていた。
「馬鹿かおめえは! 戦力差が分からないのか?」
「分かってるつもり、ですけど」
正道の一喝にもその後の諭すような正論もあまり効果は見られない。自分達の力を過信する様子もなく、活路はあるとでも言いたげな視線を返すだけ。半ば呆れながら援護射撃を求めるように正道は恭介へと視線を逸らす。
「それなんだが……伝手ならありそうなんだ」
「は?」
だが恭介が撃ったのは援護射撃ではなくフレンドリーファイア。戦力差が埋まるような希望を与えるにしてもタイミングがあっただろう。そう恨めし気な視線を受け止めながら恭介は続ける。
「他のトラベラー達もレジスタンスと遭遇して分断されたらしい。ただ幸いと言うべきか、レジスタンスに協力する勇敢な人間が一番少なくて、大半はリタイアしたようだ。彼らの残党と共闘する話自体はついている。……特に強力な助っ人とも交渉中だ」
他のトラベラーとの共同戦線と強力な助っ人。自分達以外のトラベラーも似た状況ならばさして戦力に影響は受けないのではないかという疑念を封殺するほどには助っ人とやらには相当な自信が込められている。現状最高戦力のマメゴンを有する恭介が認める程ならばその実力は疑いようはないだろう。
「契約モンスターの数で勝っているのなら勝機はあると俺は踏んでいます。それとも皆さん今更多少群れただけのデクスに苦戦するような腑抜けだとでも」
煽るような渡の言葉に反論するほどに自分達の力量を過小評価している者はいない。基本的にデクスは対応する各成長段階のモンスターよりも戦闘能力自体は著しく落ちる。成熟期相当の紺色の個体が多少群れたところで捌くのに時間は経験上さほど掛からない。完全体相当の緋の個体も性能は同等のモンスターの半分程度で生産数も紺の個体が十体につき一体程度。手際よく処理できれば覆せる範疇ではある。
「なんで背中を押すような真似を」
「正直なところ私も決着は早めにつけにいった方がいいとは思うんだ。このままでもジリ貧にはなるし、慎重過ぎると取り返しのつかない状況に陥る予感がする」
そんな風に理屈をこねたところで無謀な戦いであることには変わらない。それでもこのまま後手に回ってはいけないという焦燥感を全員抱えていた。その根拠を予感や直感の類だと馬鹿には出来ない。
レジスタンスのスパイ二人が本性を現してXが表に出てトラベラーを分断したあの瞬間から、戦いのステージは次の段階に移っている。彼らが表に出たのが隠れる必要がなくなったからだとすれば、悠長ではいられないという危機感は意識せずとも生まれてしまう。
「改めて言っておきます。――俺は死ぬつもりはない。でも、囮として使い潰されるのは大歓迎だ」
渡の覚悟に乗せられつつある流れを止める者は誰もいなかった。
いくつかあるレジスタンスの地下プラント。その中でも研究に特化したプラントには半ばレジスタンスのリーダーの私室と化した部屋があり、モンスターの研究に興味のない黒木場秋人にとっても目を引くものが多かった。
衣服用のラックには空軍パイロットの装いに似た外出用の服だけでなく、研究用の白衣がいくつか並んでいるが、持ち主が袖を通した姿はあまり見たことがない。デスクには元凶のシェルターから持ち出したファイルが無造作に置かれ、その脇には現代から持ち込んだ中でも気に入った粒ガムの空きボトルが三つ転がっていた。それらの奥には二台のモニターが現在取り掛かっている研究の成果物をそれぞれ映している。
一つはこれまでデクスが捕食してきたモンスターの記録。直近で戦ってきた中で見込みのあった化け物もそこに刻まれている。
二枚目のディスプレイに映るのは試験場と銘打たれたフロアの様子。散々見慣れたデクスのカプセルも一定間隔で整列したものが一斉に中身を解放される様を眺めるのならばなかなかに壮観だ。これから起こる中身同士の食い合いを鑑賞するのも暇つぶしになるだろう。
「本当にあんたも来るのか?」
「招待状を出しておいてホスト不在は格好がつかないだろう。丁重に歓迎してやらねばな」
「そんなものはつけなくていい。あんたの分も俺が苦しませてやるからよ」
始まった同族殺しのバトルロワイアルを眺めながら、秋人はゲームマスターに語りかける。彼が最後に残った一体を伴ってプレイヤーとして本命の戦いに参戦するつもりなのは分かっている。だがあくまで彼――Xはレジスタンスのリーダーであり、結束の象徴でもあるのだ。いくら相手がこの時代の元凶だとしても、そいつに個人的な恨みがあるとしても、安易に危険な場所に身を晒す理由にはならない。
「安心しろ。別にそれだけが理由じゃない」
モニターから視線を外してXは秋人を真正面から見返す。相変わらず隈は濃いがその奥の瞳にはリーダーとしての知性と責任感が残っている。必要以上の激情も籠っていないのなら、目の前の男は秋人にとってはまだ信頼に値する人間だ。
「少しはマシな理由なんだろうな」
「寧ろあいつの契約相手の方に興味があるんだよ。推測が正しいか、直に確認しておきたい」
悪戯好きな子供のように笑ったつもりだろうが、ほくそ笑むという表現の方が適切なXの表情には意地汚い大人の邪悪さしか感じられない。
「オーケー、分かった。リーダーはあんただ。勝手にしな。俺はいつも通り暴れるだけだ」
「ああ。頼りにしてるぞ、秋人」
だからこそ、黒木場秋人はこの男とこの男が守りたいものに大した価値のない自分をすべて賭けたのだ。
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一年半ぶりに主人公が出てきました。週刊連載の長編でしたっけ? おかしいなぁ……。
その分、主人公こと弟切渡の本質と過去にフォーカスが当たった説明回という感じになりました。自分がずれているということを理解し、ずれているが故に起きる被害を受け止め、それでも戦うためにずれているなりの理屈をこねる。その吹っ切れた結果がどうなるかは次なる決戦で明かされるかもしれません。