抹消機構 | 秘蜜の置き場

秘蜜の置き場

ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

※オリジナルデジモン小説アンソロジー企画「DiGiMON WRiTERS 02」寄稿作品




 ――駆除セヨ。抹消セヨ。

 その言葉が思考に割り込んだとき、俺の内にシンプルな衝動が目覚める。

 ――核ヲ抉リ血肉トセヨ。ソレ以外ニ奴ラノ存在価値ハ無イ。
 ――一体残ラズ生存ヲ許スナ。塵一ツ存在ヲ許スナ。

 身体が火照る程度の話ではない。マグマのように煮えたぎって内側から突き破ろうとする暴力的なまでの熱。身体カラダが燃えるか。精神ココロが焦げ付くか。外部に発散しなければ俺自身が耐えられない。

 ――ウィルスヲ殲滅セヨ。ソレガ貴様ノ役割ロールダ。ソレガ貴様ノ存在理由レゾンデートルダ。

 丁寧なことに発散すべき標的も指示してくれている。それは先程から街中で暴れまわっている緑の巨体タスクモン。両肩の角で外壁を砕き、二つの剛腕で住人を引き摺りだす様は暴君か何か。……確かに、こんな奴なら別に何をしてもいいだろう。

 ――果タセヌノナラ世界ノタメニ貴様ガ死ネ

「おい、次は俺を潰してくれよ」
「なんだ、貴様」
「お前の餌。もしくは天敵」
「ふざけているのか? まあいい。望み通り餌にしてやろう」
「いいねえ。そうこなくちゃ」
 感情由来の熱が身体に火を灯す。赤い髪が青白い炎を吐き出して自慢の外装メタルプレートごと全身を包み込む。こうなるともう引き返すことはできない。
「できなきゃ、お前が死ぬだけだからなぁああアアッ!!」
 点火。爆発。疾走。
 全身に纏った炎を動力として一直線に距離を詰める。相手も同じタイミングで、同じ思考と行動を仕掛けている。違うのは体格差。奴と俺ではトレイルモンとその線路を走る自殺志願者ほどの差があることは熱に魘された頭でも理解している。ぶつかればどちらが潰されるかなんてことは生まれたての幼年期でも理解できる。 
 それでもやることは変わらない。ただ目の前の標的ウィルスを駆除し、その存在をこの世界から抹消するだけ。
「潰れろォ!」
 奴が刻んだ轍はまさしく電車道。障害を悉く蹴散らしてなお勢いは一切止まらない。希望を丹念に潰した上で俺へと迫るその顔には凶暴な笑顔が貼りついている。だから、俺も無意識に笑みを返していた。
「く」
 俺の身体が宙を舞う。前転を繰り返すこと八度。その間に突進してきた巨体の真上を超え、最後の一回転で身体を捻って着地する。首を起こして前を向けば、無防備な背中が俺を誘っていた。
「オ?」
 奴が発した声は困惑に満ちたもの。それは俺の身体が空中飛行したのが突進で跳ね飛ばされた訳ではなく、俺自身が上に逃げたということを意味している。奴には予想外だったはずだ。俺から誘っておいて回避の一手を取ったのだから。
 奴は俺のことを誤解していた。俺が熱に浮かされるのは戦いそのものではない。ウィルスデジモンの核を抜き取り、その存在をこの世界から抹消することこそが俺の役割ロール。そのために身体の動きは最適化されている。
 重量級の突進に真正面からは挑まない。ただ引きつけて隙を作る。それが確実に殺すために本能が組み立てた最適解だ。
「貴様ごとぎゴぼフッ」
 振り向きざまに力任せに振るわれる剛腕。その最後の抵抗を俺はただ上体を落とすだけで躱し、がら空きになった奴の腹に右手を突き刺す。ただ一度の反撃。それでも、これで詰みだ。
「こんなごぼハ……ガ、あァ」
 後は指を閉じて引き抜けば終わり。暴君はただの骸となり、その生命の中心たる電脳核デジコアは俺の手の中で生々しい輝きを放っている。
「相変わらずすごいなぁ。まさしく悪のウィルスを狩るワクチンの鏡って感じだ」
「よしてくれ。俺はこんなことしかできないだけだ」
 傍観していたモノドラモンの声を聞いてようやく火照りが収まり始める。おまけに先ほどまで自分がやっていたことがどれだけ野蛮なことかも思い知らされた。ただの同族殺し。ただ本能に逆らえないだけの獣。そんな姿を褒められてもただの皮肉にしか聞こえない。何より厄介なのは当の本人にはそんな気が一切ないことだが。
「これ、食うか?」
「いらないよ。あんたが獲ったんだから、あんたが食べればいい」
「そうか」
 返答が分かり切った上でも電脳核デジコアを突き出したのは、その無神経さに対するちょっとした当てつけ。それにしても相変わらず頑固な奴だ。成長期の身に貴重な資源を与えようというのに、意地でも自分が食う電脳核デジコアは自分で取るつもりらしい。まあ、そもそも頑固でなければこんなところまでついてきてはいないだろうが。
「んぐ……うむぐ、ぅん」
 一度拒まれたものを押し付けるほど俺は強情でもない。それに生ものの食事は新鮮に限る。噛めば噛むほど口内に染みわたる濃厚な旨み。何より自分の手で奪った命を食うという背徳感が魅惑的な隠し味になっている。そうなってしまっているから、俺はずっと本能に抗えずにいるのかもしれない。
「……美味しい?」
「だからさっき聞いたんだろうが」
「う、うるさいなぁ。僕だっていつかはあんたみたいに強くなるんだから」
 俺みたいに、か。眩しいほどの純粋なあこがれ。モノドラモンはそれをずっと抱いてここまでついてきた。その矛先を向けられる側はこそばゆくも暖かいものを感じるものだ。ただ、俺の場合はそこに余分なものがまとわりついている。あの破壊衝動に少し似た、棘が深く食い込むような痛みだ。
「いつも言ってるだろう。間違っても、俺みたいにはなるなって」
 俺はモノドラモンから憧れられるような立派な存在ではない。ましてや、俺と同じストライクドラモンなんて面倒な種族に進化されるのは心底御免だ。




 俺がモノドラモンと出会ったのは一年ほど前。あの時もウィルスの匂いに駆除本能を刺激されてその痕跡を無我夢中で追い、匂いの元だったダークティラノモンを消却した。モノドラモンはダークティラノモンが暴れていた村の生き残りで、精根尽き果て倒れた俺を拾って介抱してくれた。俺は身体が治ったらすぐに立ち去るつもりだったが、面倒を看るためだと言ってしつこく俺の後をついて回ってきた。そして、俺はその小さな意地に根負けしたわけだ。
 二人旅にも随分慣れた。俺が嗅ぎつけたウィルスの匂いに従って行き先を決め、適当な宿で数日過ごすうちにことを済ませる。俺がまともにできるのはウィルスを狩ることだけなので、その他のことをモノドラモンがやっていることがいつのまにか日常になっていた。
「できたよ。今日は霜降り肉のステーキとミドリデジタケのスープだ」
「随分と豪華だな」
「誰かさんの稼ぎがよかったからね」
 間借りしたキッチンからモノドラモンが戻ってくる。エプロン姿も見慣れたもので、テーブルに置かれる料理もそれ相応に熟練されている。スープはミドリデジタケの風味がいい具合に溶け込み、ステーキは旅の中で独自に作ったという秘伝のソースが肉本来の旨みを引き出す。毎日のようにモノドラモンの料理を食べているが一度も飽きが来たことは無い。異界の言葉を借りるなら「実家のような安心感」や「おふくろの味」といったところか。
「むぐ……うむ。やはり上手い。いや本当に美味いな」
「それはどうも。そっちの食欲も凄いけどね。電脳核デジコアってあまりお腹膨れないんだ」
 せっかくの食事にちょっとした雑味が入った。舌が伝える情報は変わっていない。違うのは感情から芽生えた小さな棘。あの電脳核デジコアと比べることはこの料理に対する侮辱だと思っていたが、調理者自身の口からその言葉を吐かれるとは思っていなかった。
「あれはまた別。電脳核デジコアよりもこういう飯の方が好きだ」
「そ、そうなんだ。面と向かって言われると恥ずかしいけど……そんなもんなんだ」
 頬を掻いて視線を逸らすモノドラモンを横目にステーキを口に運ぶ。……うん、美味い。旨みが口の中に広がるのにそれがしつこくなることがない。何より電脳核デジコアを食うときの背徳感が無いのが何よりありがたい。食事を純粋に楽しむということがどういうことなのかを再確認させてくれる。
「そんなに僕の料理が美味しいんだ」
「ああ、美味いぞ。だから食わないなら俺がもらう」
「あげないよ。せっかく奮発したんだから」
 モノドラモンとこういうやりとりができるのも電脳核デジコアを食うだけではできないことだ。同じ食卓で同じものを食べる。放浪しては電脳核デジコアを食うだけの日々だった俺が、こういう食事を毎日できることについてはモノドラモンに感謝している。
「ごちそうさん。今日も美味かった」
「うん。食器は置いといてよ。どうせ割るだろうし」
「どうせとはどういう意味だ、おい」
 暖かな時間は早く過ぎるもの。手に持つ皿は既に空で、モノドラモンもあと一口で完食しそうだ。これならモノドラモンの言う通りにするのが順当だろうが、余計な一言のおかげで俺もこのまま皿を戻す気にはなれなくなった。戦闘以外は基本的に不器用な自覚はある。それでも皿を洗い場まで持っていくことくらいは出来るはずだ。この何倍も集中力の居る戦場を潜り抜けてきたのだから。
「この程度できなくて戦え……あっ」
「あーあ」
 五秒。それがテーブルの足に躓いた俺が皿を放り投げてから、床に白い破片が飛び散るまでの時間だった。その間の長くて短い孤軍奮闘に関して弁明したいところではあったが、言葉が口を突く寸前でそれは自分の傷に塩を塗る行為にしかならないと気づいて踏みとどまった。
「あー、その……すまん」
「前に自分でも言ってたよね。戦うしかできない能無しだって。だから僕に任せてくれればよかったのに」
 もはや何を言ってもプライドを回復することはできない。ただ謝って小言を適当に受け流すのが最善手。そんな情けない立場のため、皿の破片を拾うこともモノドラモンに任せてただ立っていることしかできない。
「……あ、僕の方が強くなったら、完全な能無しになっちゃうか。だから、『俺みたいになるな』とか言ってたんだ」
「違う!」
 それでも超えることを無視できない一線はある。特にモノドラモンには余分に用意されていた線がある。俺が突発的に叫んでしまったのはただそれだけの話だ。そんなことを知らないモノドラモンは怪訝そうな目を向ける。そこに怯えが混じっていないか無意識のうちに探ろうとして、いつのまにかモノドラモンを睨んでいた。
「え、なに……いづッ」
 互いに次のアクションに移ることもできずに十秒。先に動いたのはモノドラモンだったが、本人も意図していないものだったらしい。視線をこちらに向けたままでも破片の回収を続けていたため、知らず知らずのうちに鋭い破片で手を切ったらしい。
「前言撤回。こんなので切っちゃうなんて僕もまだまだだね」
 茶化すように笑うモノドラモン。その表情に怯えはないはずだ。あくまで仮定でしかないのは俺の視線がモノドラモンの顔を見てはいないため。
「あ……」
 今、俺の目はモノドラモンの手を向いていた。正確には、そこから滴り落ちる赤い雫から視線を外せなくなっていた。本能に訴える赤。それも危機本能ではなく闘争本能。戦闘時に抱いているそれと似た棘が俺を内側から蝕む。
 おかしい。モノドラモンの属性はワクチン。俺が本能を抑えられなくなるのはウィルスを前にしたときだけのはず。それがストライクドラモンという種の特性。抑え込めはしても、その矛先が別に向く道理はない。
「ん? どうしたの」
「いや、なんでもない」
 つまり前提からあり得ない話で、これはただの気のせいだ。どうやら戦いに慣れ過ぎて、切り替えを担っていたスイッチが不調に陥ったらしい。




 スイッチの不調は半月を過ぎても直る気配がない。寧ろ酷くなっている。一言で言えば常時ON。意識は張りつめた糸のようで、いずれ切れることは自分でも容易く予想できていた。分かっていても自力でスイッチを切れないのが辛いところ。できることは眠れない夜をただ耐え忍ぶことだけだった。
「あゥ……ヴぁ、ああぁ」
「どしたの」
 こっちの気も知らないで呑気な言葉を吐いてくれる。我ながら八つ当たりにしか思えない思考だが、浮かんでしまったのだから仕方ない。実際のところモノドラモンを見ていると、棘の食い込みが二割くらい深くなっている気がする。思い込みとはこうも恐ろしいものか。
「ああいや、なんでもない」
「ふうん。じゃ、さっさと寝よう」
「そうだな」
 この調子では今夜もなかなか寝つけなさそうだ。それでも布団に身体を埋めていればいずれ意識は飛ぶだろう。心地が良いのでただ布団にくるまっているのも悪くはない。
「……トイレ行くか」
 一時間経っても意識が薄らぐことは一度も無かった。想定よりも目が冴えていたらしい。別段尿意を催した訳でもないが、仮に眠れた場合に尿意で中途半端に目覚めるのは好ましくない。
 布団を押しのけてベッドから降りる。確かトイレは部屋から出て右に三部屋通った先。仮に間違っていても迷うことはないだろう。とりあえず部屋の外に出ればどうにかなる。
「――む」
 ふと隣のベッドが気になった。特に明確な理由はない。ただそこで寝ているモノドラモンの様子がなんとなく気になっただけ。寝顔を見てその姿勢を参考にでもするか。
「あ」
 俺の予想よりも幸せそうな表情でモノドラモンは夢を見ていた。自分と現実を切り離すように閉ざされた瞼。自分だけの楽園に籠っているかのように緩み切った口元。なんて穏やかで――なんて無防備な姿だろうか。
 皿で手を切ってしまうような、モノドラモンという種の中でも柔く脆い皮膚だ。首に爪を滑らせればそれだけで壊れてしまうだろう。試してみるべきか。いや、そんなことが許されるのか。そう思いながらも、右手は既にモノドラモンの首へと伸びている。少しだけなら壊れないはず。いや、原型を留めないほど壊れてもらわなければ困る。そうでなければ意味がない。――どうしようもなく壊したいと思ってしまったのだから。
「んぅ? どしたの」
「ヴぇッ!」
「え?」
「ああいや、なんでもない」
 呑気な声に間抜けな叫び声で返してしまった。その無様さを取り繕うにも柄にもないやり方しかできない。おかげさまでさっきまで俺の内に燻っていた劣情もさっぱり消えてしまった。
「何でもいいけどさ、さっさと寝ようよ」
「そうだな。すまん」
 こうして俺は引き際を間違えた。




 平常時と戦闘時を切り替えるスイッチの調子が悪い。そう思い込み始めてから二十日目の朝。俺はそれが間違いだったことを嫌というほど思い知らされた。
「なあなあ見てよ、これ」
「どうした。いや待て、どうなってる」
 いつも以上にテンションの高い声に辟易しながら振り返る。声の主は部屋の中ではなく、開かれた窓の先に奴は居た。この部屋は二階なので声の主は空を飛んでいるか図体が大きいかの二択。窓越しには上半身しか見えないので後者だ。
「お前……」
 視線を下に向けて再度真正面に戻す。それで声の主の正体を理解した瞬間、俺はこれ以上その姿を直視することができなくなった。
 種としては小柄だが昨日までとは桁違いに増えた質量。それが象るのは黒い紋様と白髪が特徴的な紅の魔竜。両手には爪とは別に鋭い刃が備わり、後方に一つ伸びていた角は前方を向いて二つ生えている。だが、何より俺の目を引いたのは両肩に描かれた紋様。三角形を四つ組み合わせたそれは、デジタルハザードという危険因子の身分証明だ。
「ほら進化したんだ。あんたと同じ成熟期だよ」
 それらの特徴を備える成熟期に該当する種族は一つ。その名はグラウモン。そして、その属性はウィルス。

 ――駆除セヨ。抹消セヨ。

「あ、うヴ、ガ……あァ、くそ」
「え、どうしたの。最近ずっと変だったけど、今までの比じゃないよ」
 あの声が聞こえる。いつもの衝動が目覚める。塵一つでも存在することを許さない拒絶。その熱量は今まで燻っていたものの比ではない。理性で抑えようとも、既に擦り切れつつあるのでは長くは持たない。
「クぁ……な、んでおま……お前ガ」
「ど、どうしたの。何か気に食わないことでもしちゃった?」
「ち、が……に、ゲろ」
 気に食わないのは存在そのもの。そんな存在に進化してしまった現実の皮肉さ。
 今思えば兆候はあった。俺の鋭敏な感覚はそれを的確に検知していた。あれは本能に訴える命令であると同時に理性に向けた警告だったようだ。
 今さら気づいたところでどうにもならない。既に分岐点を通り過ぎた以上、俺に状況を左右できる力はない。できるのは自分が事をしでかすのを少しでも遅らせることだけ。……待て。俺はいったい何を抑えようとしていたのか。
「逃げろって何から? 本当にどうしたの」
「あ……ガ、ァ」
 誰かが声を掛けてくる。顔を向ける。視線の先にはグラウモン。属性はウィルス。つまり奴は駆除対象。ならば狩らなくてはならない。存在を抹消しなくてはならない。
 体格差は歴然。だが進化段階レベルが同じならば急所を突けば仕留められるだろう。なに、いつものことだ。ウィルスを殺すことには慣れている。それが俺の役割ロールであり、存在理由レゾンデートルなのだから。
「アアァッ!」
「ちょっ」
 十分な助走を付けて窓から飛び出す。指を束ねて右手を伸ばす。腕は槍に、爪は刃先に。首の一点に狙いを定めて突き出した。だがグラウモンは腰を落として、いや尻餅を着いて避けた。小柄な個体だったのが幸いしたのか。或いはただの偶然か。だが一度避けたのならもう一度仕掛ければ良いだけの話。俺がこいつを抹消する未来は変わらない。
「うィ、ウィルスは……消ス!」
「あ」
 グラウモンの動きが止まる。確実に殺すのならこのタイミングは逃せない。グラウモンの腹に跨って右腕を振り上げる。後はそれを落とすだけ。明確な死を前に、グラウモンの顔には怯えだけが貼りついていた。
「そうか……そうなんだ」
 その怯えが唐突に剥がれた。何かに納得したような言葉に合わせて、グラウモンの顔に貼りついた感情は諦観。諦めたのは自身の生存か。……いや、違うような気がする。こいつが諦めているのはきっと結果ではなく過程の方だ。どうなったかではなく、どうしたか。――ところで、俺はいったい何をしようとしている?
「う、アが……うああああッ!」
 慌てて飛び退く。逃げるように距離を取る。宿の中に逃げ込み、少しでも自分を隔離しようと試みる。
 今まで何をしようとしていたのか思い出した。誰を殺そうとしていたのかを思い知った。
 ここまで自分の存在を恐ろしいと思ったのは初めてだ。ウィルスを殺すことなんて散々やってきたはずだ。それでも実際に親しくなった誰かを殺しかけて、俺は初めて自分の種に刻まれた本性を真に理解した。
「僕はウィルスになっちゃったんだね。進化したことが嬉しくてそこまで頭が回らなかったよ。これじゃ僕もまだまだだね。たははは……」
 扉越しにグラウモンの声が聞こえる。表情は見えなくとも思い浮かべることはできる。きっと不器用に笑顔を取り繕っているのだろう。不出来だし似合ってもいない。そんな顔をさせているのなら、俺にはもう同じ食卓を囲む資格はない。
「うん。だったら一緒には居られないか」
「そうだな」
 もう俺達は相容れない存在なのだと種として定められてしまった。道はここで別たれて、それぞれの道を歩くことを強いられる。
「僕、もういかなきゃなんないね」
「二度と遭わないことを祈る」
「うん、まったくだよ」
 足音が電脳核デジコアにまで重く響く。まるで俺の過ちを糾弾するかのようだ。或いはあいつとの思い出を捨てることを強要しているのかもしれない。
 つまるところ、俺は見ない振りをしていただけだった。どうあがこうと引き返すことのできない行き詰りも、種としての業に抗えないことも本当は理解していた。その対象に何が含まれるのかも気づいていた。それでも気のせいだと思い込んで、日常を引き延ばした。その結果がこれだ。
「また独りになったか」
 結局は一年前の俺に戻っただけだ。ウィルスを探して殺す。ただそれだけの機構システムになればいい。別に何も悲しむことはない。そもそもその資格すら無いか。残された道は一つだけ。それを歩くことの意味を理解しても、不思議なことに俺の足が竦むことはなかった。
 ああ、なんてことはない。急速に冷えていくこの心なら、今までよりも機械的に役割を果たせることだろう。




 時間の感覚が無くなったのはいつからだろうか。それは推し量る術を失ったが故に産まれた問いで、発生の経緯が経緯だけに自力で解読するのは不可能な類の物だ。
 なに、分かったところでたいして意味のない些事だ。俺の役割ロールは変わらない。ウィルスの出現を察知次第、早急に追跡してその存在を抹消する。
 サイバードラモンという今の姿はそのために最適化された結果。あらゆる攻撃に耐えうるラバー装甲も、あらゆる場所へと身体を運ぶ四枚の翼も、すべてはウィルスを削除するための武器だ。
 ウィルスの存在は許されない。削除対象に例外は無い。俺がそこに理由を求めることはない。ただ機構システムとして定義づけられたから、それに従って動くだけ。
「あ、うぅ」
 俺が今この辺鄙な村に立っているのもただそれだけの話。ウィルスが大量発生したことを鍛えられた嗅覚で感知し、最短の経路を疾走して辿り着いた。
「いたいよぅ」
 後はたいして語ることもない。ウィルスのデジモンを手あたり次第に殺す。それだけの単純作業だ。強いて語ることがあるとすれば、村の住人すべてが成長期デジモンだったということくらいか。
「いたぃ……なんで」
 足元で呻いているギルモンを仕留めれば、この村のウィルスはすべて抹消したことになる。結局はこれまでと特に大差のない血塗れの日常。何かを壊すことしか能のないデジモンがその性質に従っただけの話。
 歓喜も無く、悲哀も無く、ただ無感動に爪という凶器を振り上げる。そこから事を終えるまでに二秒も掛からない。
「――酷い有様だね」
 不意に声が聞こえた。唐突に強大なウィルスの存在を感知した。その瞬間、俺は久しぶりに自分の汗を知覚する。同時に思考が刃物を急所に突きつけられているような緊張感に取り憑かれる。
 たかがギルモン如きに凶器を向けている場合ではない。一刻も早くその存在を視界に捉えて、徹底的に抹消しなくてはならない。そうでなければ俺は死ぬよりも面倒なことになると直感していた。
 乱入者に意識を向ける。奴は銀の鎧と赤いマントに身を包んだ騎士だった。鎧の各所で煌めく赤と金のアクセントはどこか竜を彷彿させ、奴の存在がそれに由来するものであることを示している。主武装は両手がそれぞれ変化した槍と盾。質も量もともに一級品で、奴自身もその性能を余すところなく使える風格を備えていた。
 紛れもない勇士。究極の域まで到達したと言われても疑問すら持たない英傑。そんな輩が俺に向けている視線は友好的とは程遠い。つまり、俺がこれからも役割ロールを果たすためには是が非でも逃げ延びる術を模索するのが自然な話。その術が叶うかどうかは別として、それを探すために思考を割くべきだった。
「お前は、誰だ」
 だが、俺の思考には最初から退路は存在しなかった。力量を理解して無意識に怖気づいた。その可能性は皆無。強力なウィルスを前に逃走よりも闘争を本能が選んだ。概ね間違いではない。
 確かに俺は奴の存在を抹消したいと強く思っている。サイバードラモンに進化して以降は感じることがなかったはずの、あのウィルスを前に抱いた熱い衝動が久しぶりに暴走している。
「デュークモン。巷で噂の殺戮機械を処分しにきた者だ。――やり過ぎたんだよ、あんたは」
「黙れ。お前が俺の何を知っている!」
 だが、果たしてここまで衝動が強くなったのは、ウィルスの究極体を相手にしているからだけなのか。今までもウィルスの究極体を相手取ったことはあった。戦いの中で闘争本能を刺激されることはあった。しかし、今俺の目の前に居るそいつはもっと別の何かを抱えているようだ。ただ存在するだけで感情に波を立てて気を狂わせるような何かを。
「いろいろと知っているよ。でも、あんたに教えてやることは何もない」
 答える気が無いのなら仕方ない。俺の思考を乱す存在は敵だ。全身全霊を持って、その存在を俺の記憶とこの世界から抹消する。
「ほざけぇえェッ!」
 目の前の敵目掛けて全力疾走。翼を広げて滑空。時を同じくしてデュークモンとやらも盾を前にして飛び出す。
 白熱する格闘戦も壮大な剣戟も要らない。ただこの手で殺すという結果が出せれば十分。決着は一撃で着く。その確信が俺にはあった。
 俺と敵との力量差は正確に測れている。残念ながらあちらの方が格上。自慢の爪も白銀の鎧を貫くことは叶わないだろう。だが、こちらにも必殺の武器はある。その名は「イレイズクロ―」。それは空間ごと対象を消し飛ばす超振動波。データの一片の存在も許さないこの一撃なら仕留められるはず。
 重要なのはそれを使うタイミング。強力な一撃でもタネさえ分かっていれば対処される。目の前の敵には二度目など通じない。だから確実に当てる。できれば急所。叶わなくともそこを晒けだしてみせる。
 距離はおよそ十メートル。デュークモンは盾を前面に出しているため細かい動向までは見えない。このまま突進してくるのならそれでいい。ぎりぎりまで引きつけて脇に潜り込み、「イレイズクロー」を盾の内側から命中させる。粘る限界は三メートル。行動を変えられなくなったところに一気に畳みかける。
「む」
 そして距離は三メートルに。だが、先に動いたのは俺ではなくデュークモンの方だった。俺に迫る盾の速度が急に上昇した。こちらが迎え撃つとみて一気に踏み出したのか。生憎と俺はそこまで無謀ではない。どうやら相手は俺を見誤ったらしい。ならば俺は洗礼として消滅の痛みを与えるのみ。
 盾とぶつかる限界値を見極めて右方に跳躍。盾の通過を確認次第、足で地を捉え翼で風を掴み、今度はこちらから接近。脇に潜り込んで既に準備を整えていた必殺技を解き放つ。
「イレイ――がハ」
 超振動波が空間ごとデュークモンを抉り取る。その確信は俺の両腕が破壊されたことにより打ち砕かれた。盾の後ろから伸びた奴の槍が俺の腕をまとめて串刺しにしていた。
「あんたの戦い方は散々見てきた。どう動くかなんてすぐに分かる。どう動かせば良いのかも、ね」
 見誤っていたのは奴ではなく俺の方だった。奴は明らかに俺の動きを読んでいた。真正面から先に仕掛ければ、俺はすぐ反撃に移れる位置に避ける。奴はその思惑だけでなく、俺が実際に動く正確な座標すらも予測していた。腕ごと技を潰されたのはそこまでの準備がもたらした結果に過ぎない。どうやら奴の言葉に一切の嘘は無かったらしい。
「これであんたもお役御免だ」
「そうらしい」
 勝敗は確かに一撃で決した。首元にあてられた槍が突き出されれば生命活動もじきに終わる。
 両腕が使い物にならなくなった俺にデュークモンを倒す術は無く、捨て身で立ち向かう気力も潰えてしまった。自分でも四肢が無くなったとしても噛みついて抵抗すると思っていたのだから妙な気分だ。きっと俺は疲れたのだろう。理性も本能もそれらがもたらす葛藤も最早どうでもよくなった。――今まで戦っていた相手の正体を理解してしまったのだから。
「まさか俺より強くなるとは」
「あれからいろいろあったからね。……今なら分かるよ。あんたがどんな思いでウィルスを消してきたのか。あんたが自分自身をどう思っていたのか」
 どれだけの時間が流れたのかようやく実感した。こいつを最後に見たのは成熟期に進化した直後。今思い返しても酷い別れ方だ。だが、今の俺達のことを思えば、あの別れ方も運命だったのかもしれない。壊すことしか能のない破綻者を壊す役割を担うために。正義を振りかざす騎士が歩む道の礎になるために。
「いろいろ話したいことはあるんだ。でも、それはできない。あんたは今ここで消えるから」
「それでいい。お前が俺みたいにならなかっただけで満足だ」
 口にしたのは紛れもない本音。あの日俺に憧れていたモノドラモンは俺を軽々と越えてくれた。それが一時でもその成長を見守った者の本心だ。
「さよなら」
 ただ、どうしても最期まで言えなかった言葉がある。余計な重荷を背負わせたくない。呪いのように縛りたくない。そんな理由が思い浮かびはしたが、結局のところは俺が恥ずかしくて情けなかったから口にできなかっただけだ。
 ――俺をめてくれてありがとう
 そんな台詞、死んでもお前に言える訳がないだろう。




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 冒頭にも少し書きましたが、本作品はDYNE(@dyne_gcl)さんが一年ほど前に主催されたオリジナルデジモン小説企画「DiGiMON WRiTERS 02」に寄稿させて頂いた作品です。もちろん掲載許可は頂いております。
 以前「不帰の森」という作品のあとがきで触れましたが、ネタ被りをやらかした作品ですがそれはそれとして色々と思い入れのある作品でもあります。
 テーマとしては、「デジモンという生命と種族が抱える特性の矛盾」というところでしょうか。堅苦しい言葉を無しにすれば「デジモンって種によったら生きづらいよね」という感じです。宿命を背負った感じのストーリーに思われそうですが、(デュークモンが出るかは別として)個人的にはわりと似たようなことは起こりうると思います。作中で出てきた種以外としてはドーベルモンとかサイクロモンとか。……後者は個人的にある方の作品を思い出しますが。