そんな当たり前のことを分かっていたはずなのに、僕はその教訓を活かせなかった。少しの好奇心と本能からの焦燥感が問うべきでない疑問を口にしていた。
――なぜ私達を作ったのですか? なぜ、世界を紛い物に染め上げたのですか? 偽物の私達に価値はあるのですか!?
言葉は何度も変えた。口調は回数を増すごとに激しくなっていく。だが、謁見した相手――管理者はただ退屈そうにこちらを見下ろし、淡々と同じ言葉を返すだけ。
――理由など無い。仮にあったとしても答えるつもりもない。
その返答がどうしても認められなかった。だから、何度も訊ね直したし、その度に苛立ちに身を焦がしていった。そして、その度に何もかもが嫌いになっていった。
紛い物の世界
何一つ本物が無い存在に、管理者はその価値も意義も与えてくれなかった。それがどうしようもなく腹立たしかった。自分がそんな存在であることよりも、この世界で生きるすべての魂が等しく無価値だとみなされることが耐えられなかった。
だったらいっそすべてやり直してしまえばいい。すべて作り変えればいい。存在する魂が本物として、価値と意義を与えられる世界に僕が変えてやる。――そのために、管理者が邪魔だ。
それが僕が反乱を画策したきっかけ。結局どこかのルーチェモン
風が吹き砂塵が舞う荒野。それは旅路の中で何度も見たような景色だ。相棒の背に跨がって翔んだ時もあれば、仲間がしでかした罪の証として涙を飲んだ時もあった。
今回はそのどちらでもない。巧はただの戦場としてその地を踏みしめ、開けた空間を視界に収める。際限無く広がるフィールドはエンオウモンにとって有利に運ぶことはないだろう。同じ近接戦を得意とする相手であることを願いたかったが、目の前に佇む黒い人影を捉えてそんな考えは早々に捨てる。
「お前が俺達の敵か?」
「それ以外ここで待ってた意味があるか?」
答えの分かりきった問いに人影はくつくつと笑う。黒のジャケットを羽織るその姿は確かに人間に似ている。しかし、腰に当てている手の爪が、両足の後ろで揺れる尾が、仮面から覗く三つ
「ごもっともだ。なら、早々に倒させてもらう」
「つれないな。名前くらい名乗らせてくれよ。俺はベルゼブモン。ま、楽しくやろうぜ」
「二丁拳銃が得意な暴食の魔王か。……蠅の王らしくウンチでもつついといてくれよ」
「ほざけ」
一見その容姿にそぐわない名前だが、その名が司る罪は、爛々と光る二つの目が十分に体現している。貪欲に獲物を狙うその獣の目は、相対するものすべてを飲まんとする魔王の名に相応しい。
エンオウモンも軽口は叩いているが、それは気迫に飲まれないための一種の自己暗示。少しでも隙を見せれば喰われる。自然、エンオウモンの目も両手に握る刀のように鋭くなり、身体全体の力も戦闘のために無意識下で最適化されていく。
交差する視線。見えない糸で結ばれる間合い。じりじりと短くなるそれは、ベルゼブモンが侮辱を一笑に伏してから一分後に突然切れる。
「――ハッ」
小気味良い音とともに放たれる弾丸。それはベルゼブモンが先手を取るべく仕掛けた早撃ち
「ふっ……」
それはエンオウモンも予め理解しており、動揺一つ見せずに左の翼を盾にして捌いていた。そもそも目で捉える必要は無かった。なぜならベルゼブモンがどのタイミングで仕掛けるかは彼が動作に移る前に察知していたから。第三者から見れば突然の攻撃でも、相対する当人にとっては戦意を交わし合った結果――予定調和でしかない。
分かりきった攻撃はただしのぐだけでなく、さらに一歩進めるだけの余裕を作る。エンオウモンは初撃をしのぎながら、さらに前に詰めていた。間合いは刀四本分。翼越しにベルゼブモンを捉え、右の刀の進路をその左胸に定めて走る。
「む」
十秒後、刀の前進が一瞬止まる。その理由は剣先と同じ高さに据えられた銃口を確認したから。ベルゼブモンが背中から引き抜いた二丁目の銃。当てつけと牽制を兼ねるかのように彼もこちらの胸に照準を合わせていた。そして、静止した標的を見据え、ベルゼブモンは躊躇なくその引き金を引く。
短く響く破裂音。その直後に鳴ったのは肉を貫くような生々しい音ではなく、金属同士がぶつかり合った軽い音だった。
「おいおい、マジかよ」
ベルゼブモンが撃った弾丸はエンオウモンの手で文字通り一刀両断されていた。二つに別たれた破片はそれぞれ土に紛れてもう行方は分からない。だが、それがエンオウモンを傷つけるに至らなかったのは明らかだ。一瞬止まったのはただ怯んだのではなく、動作を変えるためのスイッチだった。
「取った!」
間合いは既に一足一刀。最も得意とする間合いでおちおちと体勢を立て直していられない。エンオウモンは刀を振り抜いた右手首を返して、そのまま斜めに斬り掛かる。
「グ、く……」
ベルゼブモンは左手の銃の銃身で辛うじて受ける。だが、それでは直後に襲い来るもう一本の刀まで受けきることは叶わない。
辛うじて彼に出来たのは、左手の銃を手放して、重みから解放された身体で左後方に体を逸らすことだけ。追撃の刃からは逃れられたものの、そのために銃を手放すことになるのは彼にも予想外だった。
「くそっ」
空振りして前のめりになる身体を踏ん張り、エンオウモンは視線を標的に向け直す。だが、ベルゼブモンの顔より先に捉えたのは彼が手にする銃の砲門。慌てて首を捻ると、その真横を金の弾丸が通過した。冷や汗を掻きつつ、エンオウモンは中空に浮いたままのベルゼブモンの左腕を蹴り上げる。あまりにも強引な一手だったが、標的が握っていた二つ目の銃を弾き飛ばすことには成功した。
ベルゼブモンの手にはもう銃は無い。このまま畳みかければ、エンオウモンの得意な間合いで戦いを展開できる。
「ち……そんなに俺の爪で引き裂かれたいのかよ」
「やってみろよ!」
しかし、ベルゼブモンの表情の焦りは浮かばない。それを慢心だと割り切り、エンオウモンはさらに前に斬り込む。
「はあああっ!」
「クッ、フッ、ハッ……」
右袈裟、左胴、両手の逆袈裟、刺突、大上段。エンオウモンの二刀による連撃は、一太刀振るうごとに業火の如く苛烈さを増していく。
だが、ベルゼブモンはその悉くを自身の爪で受け流し、いなしていた。その様はまるで荒ぶる猛牛をひらりと避ける闘牛士
だが、ベルゼブモンという種にそんな特性は無い。ならば、どこからか仕入れてきたに違いない。まさか、ベルゼブモンに仕立てあげられたこのデジモンが秘密の特訓でもしていたという訳ではないだろう。
「くそ、どういうことだ」
「隙を見せたな」
「っ……」
埋没しかけた思考が相手の声で引き戻される。右の横凪ぎと左の上段の隙間、連撃の切れ目に割り込む黒い爪をエンオウモンはぎりぎりのところで捉え、半歩後退して避ける。ベルゼブモンが声を出してくれたお蔭で助かったなどとは思わない。初めて自分から退いたその半歩が、攻防の形勢を逆転するに足りると分かっていたからだ。
「ハハッ……シャッ!!」
ベルゼブモンの右腕が伸びる。爪は黒い闘気を纏ってナイフを形成し、左腕を刈り取ろうと奔る。エンオウモンは左腕を大きく引くことでそれをなんとかしのぎ、そのまま引き絞った左手を解き放って返しの突きを目論む。だが、そう動こうとした瞬間にベルゼブモンの左手が既に迫っていることに気づいた。
「ぐ、く……」
「オラオラ、どうしたよ!」
籠手越しに伝わる爪の切れ味にくぐもった声を漏らす。紙を裂いたかのように籠手は切り裂かれ、露出した鱗も削られた。初めて受けた明確なダメージ。だが、それ以上にエンオウモンが表情を歪めたのは間合いが一気に詰まったこと。刀を振るうにはあまりに近過ぎ、自らの拳や爪を武器にするには絶妙な近間。近距離戦を望んではいたが、ここまでのインファイトはエンオウモンの管轄外だ。
一度間合いを切る必要がある。一旦距離を取れさえすれば、ベルゼブモンが手放した銃を拾うまでに再度仕掛けるだけの余裕は十分ある。
「巧!」
ベルゼブモンの攻撃を後退しながらぎりぎり捌くこと十手。ベルゼブモンの左の爪を右の刀で弾いた後、エンオウモンは声を上げる。自分も相手も大きく隙が出来た一瞬に。
「強襲弾、ホーミングレーザー改」
その声に応えるようにエンオウモンの背後から姿を現す十の光弾。器用に彼を避ける軌道を取りながら直進したそれらは様々な角度からベルゼブモンへと襲い掛かる。
「ハッ、この程度」
だが、ベルゼブモンはかすり傷を負った程度で怯ませることもできなかった。
「だろうな。だが――」
しかし、その足は確かに止まった。一方的な攻め手も途切れた。それだけの要因でエンオウモンが間合いを切り、再度仕掛ける時間は出来た。
「仕切り直しには十分だろうが」
「――いや、不十分だ」
踏み出そうとしたエンオウモンは気づく。自分の右腕が思った以上に前に出たままだということに。その先の刀に何か赤いものが巻き付いていることに。それが紐ではなく鞭だということに気がついた頃には既に遅かった。
「なぐっ!?」
エンオウモンの右腕が急に前方に引っ張られる。それは刀に巻き付いた赤い鞭をベルゼブモンの左手が引っ張っているからだが、その赤い鞭はいつ現れた何物なのか。
「何だよ、その手は?」
その疑問は新たな疑問によって塗りつぶされる。エンオウモンの視線にあるのはベルゼブモンの右手。だが、その先にあるのは黒い爪ではなく黒い槍だった。
「お前らと同じ、他人の力だ」
静かに突き出される槍。その槍に妙に既視感を感じたのをエンオウモンは嘘だと思いたかった。
「がふぐッ……」
エンオウモンが苦悶の声を漏らす。不意に、一際強い風が吹いた。赤い液体が左脇腹から流れる。ベルゼブモンが突き出した槍の先も同じ色に染まった。赤備えの鎧が沈む。見下ろすベルゼブモンの表情に笑顔は無い。
「ち」
短い舌打ちは槍を突き出したベルゼブモンのもの。その視線は槍ではなく鞭の方に向き、既に短くなった先端を見つめていた。
槍を横に払って
「割り込むなんて危ないな。手元が狂ったらどうする」
「知るか」
大人しく距離を取るベルゼブモンの両手は既に彼本来の物へと戻っている。巧がその様子に眉を潜め、自身の問いに短く答えた語気が強くなっていたことに彼は気づいていない。
「ベルゼブモン。ルーチェモンが与えた力か何かでお前も他のデジモンの力が使えるんだよな」
「ア? そう言っただろ」
「俺達はD―トリガーに予め記録されていたデジモンと道中で協力してくれたデジモンの力が使える。――お前はどうだ? 教えてくれよ」
「ん……良いぜ。どうせ教えたところでお前らの敗北は覆らねえし」
だから、突然の問いにも少しの引っ掛かりを感じた程度で答えてしまう。そうしてあっさりと自身に与えられた力を口にしてしまう。
「俺はな、捕食
それはD―トリガーと同じ結果を求めながら、そこに至る手法は真逆と言える力。他のデジモンの協力ではなく、他のデジモンを喰らうことで糧とする暴食の名に恥じない悪どいものだった。
「そうか。もう一つ聞いていいか?」
「ああ、いいぜ」
「さっきの槍の元になったデジモン。いや、鞭の方でも、その前に見せた舞いのような動きの元になったデジモンでもいい。――そいつが死の間際にどんな顔でどんなことを言ってたか憶えているか?」
そしてその手法によって得る他者の力にはベルゼブモンが口にしたある特徴が産まれる。それは対象にする技はそのデジモンが種として持っている技だけでなく、かつて到達した種の技も含まれるという点。例えばその種に至る前の種。或いは悪核などによって一時的に進化し、その技の経験を得た種。
「あ……はっきりとは憶えてないが、『止めて』だの、『なんでこんなことするの』だのは散々聞いたな。あぁ、特に憶えてるのはあれだな。――『俺達を助けようとしたのを忘れたのか?』って言葉だな。あれは効いたぜ。――俺が力を求める理由をそんな面倒臭いことに決められてたまるかっての」
「――もういい、黙れ」
ベルゼブモンが使って見せた種として持たない技。それらをかつて使いこなしたデジモンを巧達は知っている。そして、ベルゼブモンが語った言葉で疑念は確信に変わった。彼が使っていた技の起源が、そして彼の正体そのものが最悪の事実として目の前に突きつけられたのだ。
「巧、こいつまさか……」
「ああ、そうだ。ドラクモンもピコデビモンも、ブラックテイルモンも喰い殺されたんだ。――インプモンだったこいつに!!」
巧はこれ以上無い怒りを込めて睨み付ける。エンオウモンは青ざめた表情で揺れる視線を向ける。ベルゼブモンはそれらを甘んじて受けとめ、心底愉快そうに笑った。