四方八方が黒一色に覆われた空間。それは闇というよりも宇宙の方がイメージに近いか。終わりが見えず、際限もない。ダークエリアの一角とは思えない、無限に続くように思える空間がそこにあった。
「……おっと」
「なんだよ、ここは」
明確な足場は無く、ふわふわと浮遊している。だが、自身がそこに踏みとどまると認識すれば、パートナーデジモンの元に留まることができた。
「久しぶりっていう感じはしないな」
「長居はしとうないけどな」
一度来たことのある巧達四人とそのパートナーデジモンは比較的早く順応できたが、違和感を感じない訳ではない。異質な空間だからこそ、長年ズィードミレニアモンを閉じ込めることが出来ていたのだ。
「門はもう閉じたみたいだね」
「本当に勝手に閉じるみたいだな」
デストラクタの性質に関してはおおよそワイズモンの考察通りらしい。先ほどのような戦いをまたやるのはごめんなので、いちいち相手の逃げ道を断つようなことをしなくてもいいのは好都合だ。
「あ、が……」
その相手であるズィードミレニアモンは先ほどまでとは明らかに様子が違っていた。
自身が放った熱線によるダメージのせいか、霧のような身体でも分かるほどに欠損が目立ち、緑の帯は四本すべてにひびや綻びが確認できた。
「貴様らぁ、よぐもごごに戻じてくれたな」
怒りと恨み、そして恐れが混じった声がまとわりつく。静かに震えるその身体が奴を縛る帯を揺らし、ひびをより深くさせていく。
「よ、ぐも。よくも、よくも、よくも、よ、くも!! この場所に、この暗闇に、この牢獄に、この墓場に、この虚無に! む、むぐくあがぎ」
「なんか様子おかしくないか」
ここに移動してから、ズィードミレニアモンは目に見えて言葉は乱れ、巧達を意識していないように振る舞う。帯のひび割れも次第に大きくなり、ぴしぴしと何かが砕ける音が聞こえてくる。
「何もない。我は何だ。何のために存在している。そうだ。我は破壊のために生まれた。だから、証明するのだ。でなければ、存在価値はない。嫌だ。我は無ではない。存在している。意味はある。いや、ない? 嫌だ。嫌だ。嫌だ。い、だだだだ」
「なんかやばそうやな。ぼさっとしてる場合ちゃうぞ」
「せやな。でも警戒だけはしとけ」
ズィードミレニアモンに何かが起こっている。それが何か恐ろしいことのように全員が直観していたし、ドゥクスモンなどは何かが起こる前に仕掛けようと動き出していた。
「い、いぎひぃ、い嫌ぎゃああああああっ!!!」
だが、遅かった。一歩踏み出したタイミングでひびは帯を二つに分ける切り目となり、それらを起点に四本の帯すべてが崩壊を始める。帯は砂でできていたかのようにあっという間に崩れ、破片が鱗粉のように散う。
後に残ったのは鎖から解放された魔獣の本性だけ。拘束具から解き放たれたからか、霧のような身体は立ち上る煙のように肥大化し、象る姿もより禍々しい物に変貌していた。
「ドゥクスモン、退がれ!」
真治が先行するパートナーに叫んだのは、ほとんど直感的なもの。魔獣が腕を振りはじめたのはドゥクスモン自身も把握していた。だが、ただ単に空間を削って引き寄せようとしているだけで、削った分の距離を踏まえてもその爪が届く位置には居ないと判断していた。
「がああああっ!!」
「うぉっ……ぬべああっ!?」
だが、それは半分誤りだった。確かに爪自体が届く範囲からは外れていたが、その空間を削る一撃の余波がドゥクスモンを殴り飛ばしたのだ。ドゥクスモンはゴムボールのように転がり、真治の真横を通り過ぎる。全員がそれを呆然と見送ることしかできなかった。
「ドゥクスモン!?」
巨大な盾を持ち、最も防御に優れるドゥクスモンですら、腕を振った余波だけであの様。もし他の仲間が、特に真治達人間に直撃すればどうなるか。
「けけけ削るるぎ、ぎざばばらぼ」
「なん、なんだ、いったい」
より厄介なのは、その力を乱雑に振りかざしていること。デストラクタに来るまでに見られた余裕以前に、知性も理性も欠片も見られない。
「いささ去れ! ち散れ! い去ね! うう失せろろろ!」
以前は無暗に撃っていなかった熱線まで乱発しているのが、その証拠の一つ。あのときにはあった正面から力で捩じ伏せようとする意思すらも感じられない。ただ防衛本能に近い本能に従っているだけのように見える。
「っぶな……」
熱線が自分の横数十センチを通り抜ける度に肝がを冷やす。砲門は二つだけで、動作も雑なだけで特別素早いわけではない。周囲に何もないおかげで躊躇いなく動ける。巧達が消し炭にならず済んでいるのは、これらの要因が上手く絡んでいるだけの話でしかないのだ。
「あれなんとかせな。このままやったらじり貧やで」
「と言ってもなぁ……あぶっ」
熱線を止めるのにその熱線自体が一番の障害になっているのだ。さらにその熱線を避け、接近したところで、ランダムに振るわれる腕が迂闊な接近を許さない。
「要するに首を斬り落とすだけの隙を作れれば良いんでしょ。ラピッドモン、全開で頼む」
「まっかせて~」
一也の言葉を受け、ラピッドモンがミサイルを乱射しながら先行する。役割は優れた機動力を用いた囮。それはラピッドモンが何度も演じてきたもの。とりわけ理性のない巨大な相手との経験は質の高いものがある。乱雑な分、動きは至って単調になるというのは、その中で得た知識でも基本中の基本だ。
「それそれそ~れっ」
「うどどそじぃ」
二十を超えるミサイルが断続的に爆発する。やはりその大半が魔獣にまで到達していないが充分。
「そりゃそりゃそりゃ~」
熱線の真下を走りながら、横薙ぎに走る黒腕を見送る。直後、削られた距離を利用し、「ゴールデントライアングル」を至近距離で照射。
「異能弾、アンドロモン」
「スパイラルソード改」
さらに一也の弾丸を受けて、片手に表出させた電磁の刃で斬りつける。切り口は浅く、首を切り落とすなんてことはできない。だが、傷をつけられるという証明にはなった。斬ることに特化しているのは別に居る。
「ごの邪魔だだだぐっ」
「異能弾、ガイオウモン」
それは既に魔獣の赤い頭の真下に回りこんでいたエンオウモン。居合のような構えで両手の刀を研ぎ澄ます。赤い頭の虚ろな目が向けられる頃には巧の弾丸を受け、刃が妖しい光を放つ。
「燐火斬改」
右手で振るう刀に合わせて、赤紫の閃光がズィードミレニアモンの赤い首を走る。刀身よりも長く伸びるその軌跡が魔獣の首を斬り落とす刃。
「ぐ痛っぎいいいっ!」
赤い頭があった場所から黒い血が噴き出し、黒い頭が悲鳴を上げる。その様から目を閉じながら、エンオウモンは左手の刃を黒い首に向けて振るう。
「あがああっ!」
「もう一発づぐっ!?」
だが二つ目の閃光は黒い首に届く寸前に止まる。それは基点となる刀の軌道が止まったから。
「おい、冗談だろ」
「いい痛のは嫌だだ」
刀の動きを止めたのは、斬り落としたはずの赤い頭。ゾンビのように噛みついて、エンオウモンの動きを止めていた。
さらに二秒経った後、突然刀を抑える顎の力が強くなる。押し込む力も段違いに上がり、エンオウモンの身体ごと引っ張りはじめる。
「なん、どわあああっ!」
プロレスラーが赤子を放り投げたかのようにエンオウモンの身体が転がり飛ぶ。斬り落とされた頭だけでは到底そんな真似はできない。タイヤのように回転しながら、エンオウモンは確認していた。斬り落とした首が十本の紐のようなもので身体と再び繋がっていたことを。紐は身体から伸びているらしく、かつて首があった部分からさらに伸びはじめて首との繋がりを強固なものにし直そうとしている。
「あ゛あ゛あ゛ぎ様らが……ぎ、様らあ゛あ゛あ゛っ!!」
「あ、あれ~。これはまずいんじゃ~」
これではエンオウモンの斬撃も、ラピッドモンの囮の役割も無意味では済まない。なんとか止めたいのも山々だが、そう簡単にはいかない。エンオウモンが飛ばされたのは巧達の遥か後方。魔獣の黒い方の頭がその方向を見たことで、必然巧達も標的として認識したのだ。
「この、そっち向くな~……って、あれ~?」
再生の妨害と標的の変更を狙って魔獣にミサイルを放つラピッドモンだが、自分が既にその役割を担えないことを金色の光が消えつつある自分の身体を見て悟った。突風弾の時間切れだ。そもそもがあくまで置き土産の力を不完全に引き出してラピッドモンに上乗せしただけのもの。動き回れば動き回るほどにその消費量は大きくなり、ボーナスも得られなくなって当然。極端に落ちた火力では気を惹きつけることすらできない。
「来るぞ」
だが、ラピッドモンが一人で役割を背負わずとも、魔獣の黒い頭が口を開きはじめる段階で、巧達も行動を起こしていた。巧と充はガンレイズリガルモンに、葉月はティターニモンに、一也と三葉はアンティラモンにしがみついて熱線を避ける準備を整える。
「ガンレイズリガルモン、ティターニモン、攻撃の準備も一応しておいてくれ。――強襲弾、カイザーレオモン」
アンティラモンに抱えられながら、一也は落ち着いて愛銃を構える。こちらに狙いを定めたこの瞬間だからこそできることもあるのだ。
「シュバルツ・ドンナー改」
反動度外視しての一発。支えてくれているアンティラモンや三葉と一緒に後退しながらも、その軌跡はちゃんと目で追っている。轟音を響かせ走る黒い気弾。周囲の黒のせいで保護色のようになり、魔獣が気づいた頃には既にその顎を殴り飛ばしていた。
「痛ぐっ、あがああっ!」
ダメージからかやけくそに放たれた熱線は的外れの方向に走る。その軌跡を見送る魔獣の動きは明らかに一瞬止まっていた。
「メイルガトリング」
「ロビングッドフェロー」
「ラピッドファイア」
指示を受けていたガンレイズリガルモンとティターニモン、そして受ける必要のないラピッドモンが一気に放てる限界数までそれぞれの弾を一斉に放つ。
理性がないため自分の力の制御の仕方が甘く、また明確な隙を作った今なら、空間を歪める力も完全に使いこなせるわけがない。全部が当たる必要はない。ただ、多く当たればそれだけいい。
「ぎぃ、あ゛がなあ゛あ゛っ!」
今度はちゃんと悲鳴を聞くことができた。間違いなくダメージを与えられている。煙が晴れて、その姿を視認しても確かに焼けこげたような傷が確認できた。尤も、あの爆発で形を保っていられるだけで十分おかしいのだが。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ」
赤い頭はまだ不完全なのか発射されない。だが、その分黒い頭から放たれる熱線の出力も頻度も倍以上になっている。砲身は一つだけになったはずなのに、なおさら厄介になっている気もしないではない。
「あ゛あ゛、ごぐなっ!」
「耳障りよ、その叫び声」
一撃で葬れるほどのダメージを簡単に与えられなくとも傷を加えられるのなら、ティターニモンには魔獣を行動不能にする手がないわけではなかった。先ほどの一斉掃射の時点でその条件は半分整っている。
「そろそろマーキングは十分でしょ。――行きなさい」
合図とともに光球が一度魔獣の頭上にまで移動し、そこから二つの頭に向けて一斉に雪崩れ込む。標的が二つあるおかげで分散させなければならないが、少なくとも今よりかは幾分やりやすくなるはず。
熱線を避けること自体は容易く、理性を失った段階で空間の歪みによる護りも既に対処できないレベルまで落ちている。
「何、ごげば」
黒と赤の巨体に三色目のほのかな黄色が灯る。二つの頭に集中したそれは魔獣の感覚を封鎖するもの。ティターニモンの「ロビン・グッドフェロー」の真の力。
「見え聞えな感なな……」
突然感覚を封じられたとき、取るであろう行動は二種類。訳が分からず発狂したように暴れ出すか、ただ困惑して動けなくなるか。葉月としては前者だろうと予想していたが、むしろありがたい。
「今よ。ドゥクスモン、アンティラモン、ぶちかましてやりなさい」
「おうよ」
「ええ」
「お、俺も」
パートナー達を下ろし、この隙を突いて接近戦を得意とする面々が一気に走る。先頭を行くのはアンティラモン。ラピッドモンとは違い、アンティラモンにはまだ突風弾の効果は残っており、ドゥクスモン以上の速度で距離を詰めることが出来た。ちなみに、エンオウモンは一度殴り飛ばされてから戻ってくるまでのラグの分追いつくのが遅れてしまった。
拳に纏わせた白い雷は今残っている突風弾の力をすべて注ぎ込んだもの。拳自体を閃光として黒かった方の頭に向けて突き出す。
「聖白レ」
「ぞ、こか」
「なっ?」
だが、拳が標的を抉る感覚よりも早く、視界の端に巨大な腕が映るのを確認した。
一瞬の逡巡。感覚を封じたのになぜ特定された。直観のようなものか。いや、今はどうでもいい。拳を突き出せば、多少なりともダメージは与えられる。だが、そんなことをすれば自分が消し飛ぶのが目に見えている。
「くそ……うぐぁああっ!」
アンティラモンの絶叫は、まさしく自分の身体を切り捨てた者の断末魔のようだった。