第七話「犬と兎」① | 秘蜜の置き場

秘蜜の置き場

ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

 どうやら血を流しすぎたらしい。
未だに朦朧とする意識で、一也は自分が気を失っていた理由を悟る。我ながら盛大にぶちまけたものだ。幼稚園児が筆で好き放題描きなぐったかのように、シャツには赤がべったりとついている。まったく――これが鼻血ではなく、名誉の負傷ならどれだけ良かったか。
「あ、起きたよーね。大丈夫、記憶ある?」
「はい。失態諸々含めてしっかりと」
 反射的に正座すると同時に意識が一気にはっきりする。糸で亀甲縛りされた先輩を見て興奮するあまり、大量に鼻血を出して気を失った。自分のことでさえなければ、馬鹿にするように大笑いできただろうに。今は死刑を待つ囚人のように諦観することしかできない。
「そー。じゃ、いいやー」
「へ。あ、はい」
 死刑宣告は通知されなかった。しかし、それだけで終わる訳がないことは一也も理解している。なぜなら葉月のそういう堂々とした苛烈さにも惹かれているのだから。――ただ、今の葉月は気を失う前より幾分か凄みが増しているような気がした。
「後から少しずつ返してもらうからねー」
「あっ……ひゃい」
 少しずつ毒を盛られて殺されることが確定した。だが恐怖を覚える反面、それが背筋を伝う感覚に興奮を覚える自分が心に巣くっていることも一也は自覚していた。
「まー、この話はここで終わりにして、ひとまずお兄ちゃん達と合流しましょうかー」
「そうですね。それがいいです。その方がいいです」
 亀甲縛りの件に関しては葉月にとっても汚点だ。これ以上話しても互いに傷つくだけなのでここで打ち切り。一旦ドクグモンとの戦いで落としたビニール袋を回収しに戻ると、慌ただしさから雑に落としたために中身が三分の一ほど零れていた。だが、取り過ぎた分の三分の一なので、持ち運びやすくなって寧ろ好都合だとも言える。
 軽くなったビニール袋を持って歩くこと五分。自分達が入った入り口が見える辺りまで辿り着いた。
「あ、お兄ちゃんお久しぶりー」
 そこで葉月達を待っていたのは、合流しようと考えていた仲間。どうやら互いに同じことを考えていたらしい。再会に安心する反面、彼らに何か違和感を覚えたが気のせいだろう。
「葉月、大丈夫かい? 君達が居た方角にもいくつか白い光が墜ちたはずだけど」
「へーきへーき。寧ろあれのおかげで手間が省けたよーなものだし」
 何者の仕業かは知らないが、あの白い光に浄化弾と同種の力があったことは事実。トラウマを吹っ切れはしたものの、関わらないで済むのならそれに越したことはない。素直に感謝したいのが本音だ。
 結局のところ、誰の仕業なのだろうか。自分達と同種の武器を持っているのなら、是非会ってみてお礼なり相談なりしたいところ。あわよくば仲間に取り込みたい。
「あれ、なんか足りなくなーい?」
 仲間といえば、合流した充達に感じていた違和感にやっと気づいた。そうだ。自分達が森に入った時より二名ほど数が足りない。というか、巧とリオモンの姿が見えない。
「ああ、巧とリオモンのことだね。話せば長くなるんだけど……」
「何かあったの?」
 疑問に答えようとする充の声が覇気を無くし、視線が揺れる。分かりやすく動揺する兄の姿に、葉月は嫌な悪寒を覚えた。基本的に飄々と堂々としている実兄が分かりやすく動揺している。それだけの出来事が巧とリオモンの身を襲ったということ。
「自分達が釣った大物にフルスイングで叩かれて、上流の方にぶっ飛ばされたよ」
「へ」
 一瞬言葉の意味が理解できなかった。だが、ゆっくりと言葉を咀嚼すると、兄の言葉が澱んだ意味が理解できた。確かにこんな馬鹿みたいな話を大真面目にはしたくない。
「あ。じゃー、あれって本当に二人だったんだー」
 悲しいことに、その馬鹿みたいな話を裏づけるファクターをこちらが持っている。自分達の仲間ながら、なぜそんな結果に至るのかまったく意味が分からない。
「でも、今回ばかりは巧達を馬鹿にせずに、感謝した方がいいかもしれないよ」
「んー?」
 呆れることしかできないのが本音だが、充の意見は違うらしい。馬鹿げた一幕をチャラにするだけのことをやってのけたらしい。遠く離れた充が確認できるだけのことなのだからできることは限られる。
「あ。もしかして巧が浄化してくれたとでもー」
「恐らくね。白い光の発射地点は巧達が飛ばされた方角と一致していたんだ。二人だけで何かやってのけた訳でなくても、何かしら関わっていると考えた方が良い」
 どんな手を使ったかは知らないが、間接的にドクグモンを浄化したのが巧だとするならば、確かに葉月は今までの彼の負債を帳消しにした上で平服しなくてはならない。寧ろそれで済めば良い方だ。充は落ちた光が複数だと言った。それはつまりドクグモンと同じように浄化されたデジモンが他にも居ることを意味するのではないか。
「んー、トラウマ乗り越えてピクシモン進化させたと思ったら、また一歩先に行かれちゃった感じかー。巧の癖に生意気よねー」
「正直僕も同じ気分だ。良くも悪くも何かしでかすね、巧は」
 パートナーデジモンを成熟期に進化させられる。その同じフィールドに立ったと思ったらこれだ。凡人が天才に圧倒されるのと同じく、天才でも奇人変人には流石に驚かされる。――さて、同じフィールドに立ててすらいない者に、天才すら一目置く奇人変人はどう映るのか。
「……何やってるんだろう」
 ふと零したのは一也か三葉か。いずれにせよあまりに小さな呟きは充や葉月には知れることはなく、ただ会話に紛れたノイズとして流される。それにほっとする反面、疎外感に似た寂しさを覚える自分に、双子は同時に嫌気が差した。
 その直後、少し冷えた二人の手にそれぞれ柔らかく暖かい感触が伝わった。
「一也、どうしたの~」
「三葉、どうかしましたか」
 それはテリアモンとロップモンの、手のように自由度の高い耳。その先に繋がるつぶらな瞳が心配そうに見つめている。眩しい程に無垢な優しさ。彼らの力を引き出せない今の自分達には、その優しさも分不相応なものに思えた。
「え、ああ、なんでもない」
「……何も」
 結局、はっきりした返事もできないまま視線を逸らすだけ。言うべき言葉、言いたい言葉があったはずなのに、喉から先には届かない。ただ胸の中に形の無い異物があるかのように、重く苦しい感情が自分を苛んでいる。
 守りたいと願った相手に守られる立場になっていた。力を与えられる存在の力も唯一引き出せていない。こんな現状を自分達の望んではいなかった。
 鬱屈した気持ちが繰り返す自問自答。その終わりは唐突で騒がしかった。
「……っ!」
 静けさを取り戻した森にけたたましく鳴り響く、D-トリガーの警告音。それは望まぬ来訪者が現れた証だ。
「誰だ!?」
 仲間のことを愉快に語らうことも、自分達の未熟さに奥歯を噛むことも今は中断。全員が息を呑みながら自身の武器を構え、警戒心を剥き出しに周囲を見回す。ここは森と川の境目。警戒すべきはどちらか。
 敵はどこから来る。どのような怪物が来る。何を目的に来る。
「静かに」「現れる」「つもりだったのだが」
 川の方向から順序よく並んで聞こえる三色の声。その方向に目を向ければ、静かな敵対心を向ける異形の姿があった。
「君は……」
 目の前の敵に対して、充達人間四人が真っ先に連想したのは「阿修羅」という単語だった。
 阿修羅は仏教において、仏法を守るとされる八部衆に数えられる存在である。インド神話の頂点に立つインドラに幾度も戦いを挑んだ鬼神――アスラをルーツとしており日本においても修羅場の語源となる程に有名だ。たとえ名前は知らなくとも、三面六臂さんめんろっぴと称されるその出で立ちを知らない者はそういないだろう。
 喜びと怒りと哀しみをそれぞれ張り付けた三つの顔。数は二本少ないが、異形としての本質は変わらない四本の逞しい腕。その二つの特徴を押さえた巨人ならば、鬼神をルーツとする護法の名を掲げていても名前負けはしない。
 そのためだろうか。今まで遭遇してきたデジモン達とは違う、一線を画したものを感じる。肌がひりつく嫌な感覚。本能が鳴らす警鐘。そのどちらもが、自分が抱いた直観が気のせいではないと告げている。
「アシュラモン、魔人型。――完全体?」
 理由は至ってシンプル。その存在の段階が自分達の知らないものだったから。自分達の知る成長期や成熟期よりも、アシュラモンの完全体という段階が格上であることは間違いない。そんな相手がなぜここに居るのか。
「もしかしてミドルタウンからわざわざ来てくれたのかな」
「ご」「名」「答」
 この森で黒いもやを蔓延させていた原因は絶たれた。ならば、アシュラモンは他の場所から来たということ。その場所は森から一番近い自分達の目的地である可能性が最も高い。
「一時間ほど前から」「森がやけに騒がしかったので」「様子を見に来た」
 突然の来訪。幾度となく起きた戦闘。トラブルメーカー。森全体の黒いもやからの解放。
 森の異変を察知される要因には、あまりに心当たりが多すぎる。ミドルタウンから何者かが様子を見に来るのも当然だ。ただ予想外だったのは、その役割を担ったのが完全体という格上の存在だったということ。
「事情は理解したよ。でも、君みたいに強そうなのが出張ってくるとはね」
「村の長で」「唯一の完全体でも」「現場主義なのだ」
「なるほど。それなら仕方ないね」
 おだて半分でカマを掛けたが、おかげでかなり有用な情報を得られた。アシュラモンはミドルタウンの長で、村唯一の完全体。それは逆を返せば、ミドルタウンにはアシュラモン以外の完全体は居ないということ。
「遠路はるばるお疲れー。で、何か見つかった?」
「ああ」「仕留めておくべき」「敵が」
 アシュラモンの三つの顔それぞれの瞳に戦意が灯る。同時に充達四人はD-トリガーを構え、各々のパートナーデジモンはその前に一歩踏み出す。
 強敵であることは間違いない。だが、一人だけで自分達の前に立っている今こそが、ミドルタウン一番の強敵を倒す絶好のチャンスとも考えられる。いずれぶつかる敵ならば、今のうちに対処しておきたい。
「いくよ、ガルモン。進化弾」
「ピクシモン、もっかい力を貸してー。進化弾」
 充と葉月は先の戦いで得た新たな力を即時投入。それぞれのパートナーに銃口を向け、その存在を次の段階へと導く弾丸を放つ。
「ガルモン進化――リガルモン」
「ピクシモン進化――エルフモン」
 現れる群青色の猛犬と新緑の女戦士。こちらも一段階上の存在になることで、戦力の差は多少縮まったはず。だが、相手が格上だという事実は未だ変わらない。その差が完全に無くなるにはまだ時間が足りないだろう。結局、今は持てる力で戦うしかない。
「強化弾、デビドラモン――レッドアイ」
 格上相手に様子見する余裕はない。先手は確実に、反撃を許さない一方的な展開へと持ち込む。選んだのは動きを拘束する赤い閃光。視認したその瞬間、脳からのパルス信号は身体中の筋肉に届かなくなる。距離を詰めようとするアシュラモンも例外ではなく、残り五十メートルほどの距離で足が止まる。
「二人とも一気に頼むよ」
「ああ、お前らも距離を取っておけよ。テイルランチャー」
「任せて。スペルアロー」
 格上の相手だろうと動けなければただの案山子だ。距離を取る余裕も攻撃する余裕も多く生まれる。
 リガルモンが尾の機銃を乱射し、エルフモンが魔力を籠めた矢をつがえては放つ。動きを縛った後、遠距離から一方的に攻撃を仕掛ける。真正面から正攻法で仕掛けて勝てる保証がない以上、より被害が少なく確実な手を選択すべきだ。
「俺達も行くぞ、テリアモン!」
「……ロップモン」
 先輩に遅れて双子とそれぞれのパートナーも動き出す。
 未だ成熟期に進化できないことは戦闘に参加しない理由にはならない。寧ろそういう状況だからこそ、ここで成果を出さなくては戦闘面での存在価値が無くなってしまう。脳を巡るそんな思考の正体も理解せずに、二人はただその思考に従う。
「ブレイジングファイア」
「ブレイジングアイス」
 進化によってデジモンは扱う技が変わる。また、例外はあるが進化の段階は習得する技の威力や射程距離にも影響する。つまり、テリアモンとロップモンはリガルモンやエルフモンよりも近づく必要があり、仮に距離を詰めて当ててもダメージはその二人に劣るということ。緑の炎も小さな氷塊も、機銃の乱射と矢の連射程には有効ではない。
「技能弾、ビットモン」
「……技能弾、カンガルモン」
 成熟期の技との差を埋める答えの一つは、成熟期以上の技を使うこと。火力を底上げした技で最もロスなく敵に伝えられるのは、近距離で叩き込める技。一也と三葉が弾丸を通して、十分な力をそれぞれのパートナーに与える。
 誤爆フレンドリーファイアを避けるために左右から回り込み。正面だけでなく両側面も度重なる攻撃で煙が巻き立っている。おかげで三つの顔がどのような表情をしているのかもよく見えない。ならば、直接至近距離で確認するのみ。
「イヤーランサー」
「ジャンピングブロー」
 テリアモンはアシュラモンから見て左側に回り込み、長い耳を伸ばして槍のように硬化させて突撃。ロップモンは反対側に回り込み、右耳の先端から三分の一を丸めて拳を作って跳躍。それぞれの正面にあるアシュラモンの顔面目掛け、自慢の耳で作った武器を振るう。
「ふっ」「はっ」
「ありゃ」
「えっ」
 だが、どちらも届かない。突き出した武器は顔に触れることなく、一番近い上側の腕にそれぞれ掴まれた。二秒後、煙が完全に晴れたタイミングで一也達がそれを確認する。同時に恐れていた反撃を許すことを理解する。
「目障りな害獣だ」
「クソが、離しやがれ」
「これじゃ手を出せないじゃない」
 テリアモンとロップモンの耳を掴まれている――二人が捕まっている以上、一方的にリガルモンもエルフモンも攻撃を続けることはできない。そんなことをすれば二人が雑に盾にされるだけ。距離を詰めるか、罠を張るかして、なんとか解放してやらねばならない。ただでさえ不利な戦いに、余分なハンデが生まれてしまった。
「テリアモンを離せ」
「……ロップモンも」
「仕掛けて」「きたのは」「そちらだろう」
「それは……」
 この失態は一也と三葉にある。たとえ発言者が敵だとしても、それを真正面から指摘されては言葉が喉を通らなくなる。
 アシュラモンが近距離を得意とすることは分かっていた。つまり、先ほどテリアモンとロップモンに与えるべきだった技は、リガルモン達と同じ遠距離技を扱う力。しかし、勝機を焦って不用意に飛び込ませた。その結果がこれだ。先輩が作ろうとした流れをすべて台無しにした挙句、パートナーを人質に取られるなどあまりに情けない。
 結局、一也と三葉にできるのは少しずつ距離を詰めるアシュラモンを見つめながら奥歯を噛むことだけ。他の面々も下手に攻撃ができないという点は変わらず、距離を詰めるアシュラモンの動向を見据えるだけ。
「そう悔いるな」「返してやるからな」「そおいッ!」
「うぉわぁああ~」
「ちょっ、そんな……」
 しかと見据えていたために、全員がアシュラモンの行動に目を疑った。リガルモンとの距離が二十メートルを切ったタイミングで、彼は人質であるテリアモンとロップモンを彼に向けて放り投げたのだ。
「お前、何し……ぐぶっ!?」
 避けるか受け止めるかを判断する猶予もなく、リガルモンは二人のクッション役に。アシュラモンの奇行によって思考と動きが止まったのは彼だけではない。この場の全員が行動そのものに目を奪われ、その意味を探ることに思考が僅かな時間を割いてしまった。
「え、何? どういう…………あ。うぐふっ!?」
 その結果、エルフモンが自分の危機に気づいたのは、自分の腹部に痛みが走る一秒前。身を持ってアシュラモンの真意を理解した直後、一時的な進化は解けて彼女の意識は暗闇へと落ちる。
「ピクシモン! ……さいってー」
 目立つ行動で全員が動きを止める。それがアシュラモンの狙い。人質として扱うような動きはあくまでブラフ。逆に隙を上手い具合に作らされた。
「よくもオレの仲間を!」
「待つんだ、リガルモン」
 ただ隙を作っただけではない。過程における仲間の扱いによって、上手い具合に相手の感情を逆撫でするというおまけ付き。とりわけテリアモンとロップモンをボールのようにぶつけられたリガルモンは、充の静止も聴かずに感情のままに襲ってきた。動作も大振りな的ほどやりやすいものは無い。
阿修羅神拳あしゅらしんけん
「ぐぉおおぎぃやあああああ……」
 牙を剥いて飛び掛かるリガルモン。アシュラモンは一切動じることなく、拳のラッシュをその柔らかな腹に叩き込む。雄叫びは悲鳴へと変わり、じきに悲鳴すら聞こえなくなってくる。完全に声が聞こえなくなる頃には、リガルモンも成長期の姿へと戻って気を失っていた。
「ガルモン! ……く」
 一気に二人のデジモンが戦闘不能に。残るテリアモンとロップモンも無傷とは言い難い。相手は数段格上で、未だたいしたダメージを受けていない様子。
「なんだよ、これ」
「……うそ」
 あまりに絶望的な戦況。だが目に見える状況以上に、その発端を自分達が作ったという事実に、一也と三葉はより絶望していた。