「ここをキャンプ地とする」
ヴルムモンとアクィラモンのおかげでミドルタウンまでの目印となる川の畔へ着地した後、充はそう高らかに宣言した。
元々想定していたルートから大きくショートカットが出来たにも関わらず、これ以上の行軍を中止したのには理由がある。アクィラモンに礼を言って別れた直後、ヴルムモンは再び強制的にリオモンに退化。「はらへったぁ」と情けない声を上げて目を回してしまった。一也が持っていた棒状の栄養補助食品で一時の空腹はしのいだものの、この一件で必要以上に焦ることもないという空気が満ちたのが理由の一つ。だが、それ以上に大きな理由が別にあった。
今回の決断に至った一番大きな理由。それはアクィラモンが去り際に齎した、「ミドルタウンの住人は全員既に黒いもやに感染済みだ」という情報である。一時の目的地であり、休息の地として定めていた場所が一番の難所へと急変したのだ。考え無しに行軍するよりも、野営でも一時休息を取って今後の指針を考えた方が建設的。そのバックグラウンドを踏まえたこの決断に異を唱える者はいなかった。
「じゃ、行ってくるねー」
「成果は期待しててね~」
わざわざ手持ちの保存食を浪費する必要もないため、今日一日分の食料はここで現地調達する。デジモンの特性と人間関係絡みの希望をすり合わせた結果、分担は以下のようになった。
森へと入って木の実や山菜の調達を行うのは、葉月とピクシモン、一也とテリアモン。ピクシモンは元々植物に親和性があるらしいことから、彼女とパートナーになった葉月とその葉月に一也とテリアモンがついていった形だ。
残りの面々はすぐ目の前の川で魚釣り。三葉がそれなりに質のいい道具を持っているとはいえ、使う面々は素人も同然なので使い手の数でカバーすることにした。
「じゃあ、釣るか。――で、ナニコレ?」
川辺に整列して全員が振りかぶった直後、巧は真顔で三葉に視線を向けて問いかける。頭より高くに掲げるそれはロップモンとガルモンの持つ初心者用の釣り竿でも、充の持つプロご用達の代物でもない。唯一同じものを掲げているリオモンも、巧と同じ表情を浮かべていた。
「……糸のついた木の棒」
「なるほど。で、これをどうしろと?」
「……釣るんでしょ?」
「無茶言うな!」
ロップモンとガルモンが持っているものが「いいつりざお」、充
が持っているものが「すごいつりざお」とするならば、巧とリオモンの持つそれは「ボロのつりざお」というところか。いや、それ以下だろう。木の棒の先に糸をくっつけただけの即席品はシルエットがそれらしいだけで、釣り竿としての機能を満たしているとは言い難い。
「……在庫がない」
「嘘つけ。バッグの中にもう二本あったの見えたぞ」
「……気のせい。幻を見たのよ」
「おい、なに可哀相な人を見る目で見てるんだ」
どうやら三葉は頑として巧に釣り竿を貸すつもりは無いらしい。無茶苦茶なはぐらかし方がさらに必死さを訴えてくるようで、その理由が単に巧を毛嫌いしているだけではないと本人にも伝わる。
「お前、あれか? 前に俺達が釣りした時に、根掛かりしまくって釣り竿ぽっきぽき折ったこと根に持ってるのか?」
「……諦めて。ほんと頼むから」
竿を折った前科持ち。ましてや不運を引き寄せる体質のある相手に、中学生が必死に揃えた物品を破壊されては堪ったものではない。意外と世知辛い事情を必死に訴えてこられたため、流石に巧もこれ以上は何も言えなかった。
「なあ、これ俺とばっちりだろ」
リオモンの当然の文句に三葉は沈黙を貫いた。
釣りを始めてから十分ほど経った。全体的な釣果は上々で、十匹を超す大小様々な魚をバケツに入れることができた。
ただ、それだけの成果を上げられたのは、三葉のレクチャーが上手かった以上に、釣り竿の質が良かったことが要因として挙げられる。
「試してはみたけどさ、これで釣るのはやっぱり無理だろ」
「まあ……当然だよな」
つまり、逆を言えば釣り竿の質が悪ければ、ましてや糸のついた木の棒なんてものを使っている巧とリオモンがまともに釣れるはずもない。当然だが二人の釣果はゼロだ。
「オイラのを貸してやったほうがいいのか、これは」
「三葉が全力で阻むだろうね。とはいえ、放っておいても何かしでかしそうだけど」
「でも、オイラ達が何かしてもロクなことが起こらないかもしれないし」
「お、ガルモンも分かってきたね」
ボウズの二人に哀れな視線を送りながらも、ガルモンも充も具体的なフォローは入れない。その必要は無く、下手なことをすればより悪化する可能性があるのが、刃坊巧という人物の危険性。どう動こうと何かが起こる可能性があるのなら、彼に影響の無い範囲で自分たちのやれることを確実にする方が建設的だ。
「戦力外二人の分も頑張るか」
「そうだね」
結局のところやることは変わらない。少し多めに魚を確保して、施しを与えて慰めるだけ。理想は二人に一匹でも釣ってプライドを保ってもらうことだが、三葉が釣り竿を貸し出す許可を出さない以上無理な話だ。
「ところで、君が釣り竿の代わりに持っているものは何かな?」
「俺の銃だな」
指針に関して、充とガルモンの意見は合致している。だが、ガルモンが実行すると思われる手法は充には看過できそうにない。使い慣れた武器を持っているのは良しとしよう。だが、その武器の使用用途に関しては嫌な予感しかしない。
「なんでそんなもの持ってるのかな?」
「魚を撃って打ち上げるため」
「一発撃ったら一斉に逃げるから止めてね」
得意とする技を利用する心意気は買っても良い。だが、それで今後の釣果をゼロにされても困るので、その物騒な物は収めてもらう。
「それもそうだな」
「まあ、やるならせめて最後にしてね」
「いや、オイラよりちゃんと考えてくれたんだろ。なら、従うって」
「うん。ありがとう」
ガルモンも善意からの提案だったのだろうから、充もなんとなく申し訳ない気持ちになったが、当人はそこまで気にしていないらしい。こちらの意図を汲んでフォローを入れてくれる辺り、彼も物わかりの良い性格なのだろう。
「で、その最後はいつにするんだ?」
「そうだね。――あそこの二人が大物を釣るまでとか?」
「それ永遠に最後来ないだろ」
軽口を言って互いに笑う。なんとも心地の良いのんびりとした時間だ。
「おい、誰が永遠に釣れないって」
「見てろよ、お前ら」
しかし、軽口の引き合いに出された側からすれば、その空気は妙に癪に触る訳で、萎えたやる気に不要な火をつけることなる。ただひたすら愚痴を漏らしている状態から一転して、目に炎を点して木の棒を振りかぶる様は、ただ面倒事を起こしそうな予感しかしない
「えっと……どうやって釣るつもりだい?」
「気合いで引き寄せる」
「一番気合いでどうこうなるものでもないよ、釣りって」
「ああはい、論理的で悪うございますねえ。いいから、見てろ」
至極正論の忠告にまったく耳を貸さないのだから、これ以上言っても仕方ない。自分の冗談でやる気に着火させてしまったとはいえ、巧達の傲慢な態度に充の方もこれ以上何かを言う気も失せてしまった。
無言で――ボウズ二名は呪文のように「来い来い来い」と延々と呟きながら――釣り竿を垂らすこと五分。既に釣果のあった者はそれぞれ一匹ずつ増やしたが、ボウズは相変わらずボウズのまま。だが、当のボウズ二人のやる気の炎は潰えず、紡ぐ呪詛の声量は毎秒ごとに大きくなる。
「来い来い来い来い」
「来い来い来い来い」
「あのさあ、気合いを籠めるのはいいけど、少し黙ってくれないかな?」
「来い来い来い来い!」
「来い来い来い来い!」
「駄目だ。無駄に集中し切ってる」
馬鹿二人に周囲の雑音は届かず、その視線は釣り竿の糸が入水している一点を瞬きせずに捉えている。
釣るまで一歩も動かないつもりだ。だが、この五分間で釣れる気配は一切予感できなかった。夜になるまでには諦めてくれないだろうか。他の四人が同じことを同じタイミングで思った。
「来い来い来い……来たァ!」
「マジか、よっしゃぁ!」
その直後、巧が歓喜の声を上げ、リオモンがそれに続き、他の四人は絶句して自分の目を疑った。
確かに巧が持つ木の棒が折れていないのが不思議なほどにしなり、その先の糸が千切れそうなまでにピンと張っている。糸と水面の交点も一か所に留まることなく動いているので、根掛かりを勘違いしてる訳ではない。本当に巧の釣り竿――の体をした木の棒――に大物が掛かっていた。
「リオモン、手を貸せ!」
「ああ!」
巧の腰にリオモンが手を回して、二人で掛かった大物を引き上げようとする。なんて熱い友情、なんて熱いパートナーシップだろうか。二人の望みを重ね、二人の力で叶える。釣りという道楽の側面を持つイベントであっても、その姿は青春の眩しさを感じさせる。――警告音の三重奏が響いてさえなければどれだけ良かっただろうか。
「巧、それすぐに捨てて!」
「フィィィィイッシュ!!」
充の忠告を振り切り、リオモンの力を借りて巧は一気に釣り竿を引き上げる。水面から飛び出したのは紛れもない大物。いや、ぬしと言ってもいいほど巨大な代物だ。黄色い仮面のような頭部にとんでもなく長い鞭のような翠の身体。その大きさはヴルムモンにも匹敵するだろう。――つまり、その大物はヴルムモンと同じ進化段階のデジモンと考えるのが妥当。
「やったぜぇぇぇえ!」
「見たか、ごらぁぁぁあ!」
その妥当な考えに至らない馬鹿二人は、一番の大物を釣ったことの達成感と優越感のままに感激の咆哮を上げる。その大物が長い身体を翻しながら自分達の方に近づいていることにも気がついていない。
「ところで……暗くね?」
「というか……こっち来てね?」
やっと気づいたところでもう遅い。既に釣り上げた大物は巧とリオモンのすぐ近くに落ち、彼らに目掛けてその細長い尻尾をスイングしている。
「ひでぶッ!?」
「ぶべらッ!?」
豪快なスイングは小さな馬鹿二人を真芯で捉え、その身体を思い切り殴り飛ばす。メジャーリーガ―も驚嘆するだろう。とんでもない力を持った異形のフルスイングは文句なしのホームラン。巧とリオモンの二人は遥か上流のどこかへ飛んでいってしまった。
※2017/3/25 加筆修正