第三話「紅蓮の飛竜」② | 秘蜜の置き場

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ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

 視界が不規則に何度もぶれる。おかげで自分がどこに居るのかまったく把握できない。分かるのは自分の身体がアクィラモンの足に鷲掴みされて、遠くなった地面を見下ろしていること。もし、アクィラモンが指の力を緩めれば、そのまま紐無しバンジーを敢行させられることになる。
「翼の無い身で空中遊泳は新鮮だろう。気分はどうだ?」
「この……離せ!」
「ほう、本当に離していいのかな?」
「いや、待て。ちょっと待て!」
 その足が仲間のものだったらどれだけ良かったか。これでは命を敵に握られているも同然。まさしく絶体絶命だ。
「私は優しいからな。望み通りにしてあげよう。――さて、貴様を捕えているこの足の指。開くか閉じるか。どちらがいい?」
「死に方を選べってか?」
 自由落下で殺されるか。腹を握り潰されるか。いずれにせよ、既にアクィラモンは勝利を確信している。仲間の援護も期待できないこの状況では、巧が自身の生存のために打てる手は存在しなかった。
「ああ、もう……そんなの知ったことか!」
「む?」
「強化弾、モスモン――モルフォンガトリング」
「ガグアアアア!」
 だから、巧が選んだのは僅かばかりの反撃。顔も向けず、まともに照準も合わせていない。だが、それほど雑な狙いの定め方だからこそ、アクィラモンは反応することが出来ずに大量に被弾。翼をばたばたと乱暴に羽ばたかせ、いくつもの赤い羽を撒き散らす。
「キ、さま、よく……も?」
 アクィラモンの目に再度怒りの火が灯る。だが、既にその標的は姿を消していた。掴んでいたはずの足に人間一人分の重みは無かった。
「ハ、馬鹿め」
 巧が選んだのは――巧にアクィラモンが選ばされたのは、自由落下による墜落死。一矢報いて死ぬことを選ぶ。少年が最期に見せた意地をアクィラモンは一笑に伏した。




 命綱が切れた瞬間はすぐに分かった。自由落下が始まるその時が正確に知覚できた。一瞬浮遊感を覚えた後、世界が一気に加速する。
 どんな絶叫系アトラクションも半泣きになっても耐えてきた巧でも流石にこれは冗談になっていない。ゴールがそのまま死を意味するという決定的な違い。それで怯えずにいられるわけがない。
 まともに体勢を整えることもできず、地球ゴマのように回転しながら落ちる。今どこに居るのかも、あとどれだけの時間生きていられるのかも何も分からない。
 目まぐるしく切り替わる視界。あらゆるものが個別に知覚できない中で、唯一正確にその存在を認識できるものがあった。
 それはリオモン。何かを叫びながらこちらに向かって走っていることまで分かる。だが、そこは確か崖だったはず。そのまま行けば死体が二つに増えるだけ。自殺志願者でもないだろうに、自分を助けようと考え無しに飛び出したのか。
 馬鹿なのか。そこまでお人好しで考え無しだったのか。だが、今思えばスナイモンとの戦闘の時からその兆候はあったように思える。謎が多い自分のことには無頓着で、でも出会ったばかりの巧達のことは身体を張って守ろうとする。
 馬鹿な奴だ。――だが、同じくらい巧自身も大概馬鹿な奴だという自覚はある。だから、今こんな状況に陥っているのだ。
 それを理解していてもこんなところでくたばりたくない。一度意地を張って最期を覚悟したが、死にたくないのが本音。リオモンにだって死んでほしくない。
「――あ」
 自分の中でカチリと何かが嵌った。どこかにある撃鉄トリガーが落ちた。
 思考が加速する。思念が統一する。今この瞬間に新たな力が解放された。それは落下しながらも必死に握ったままのD-トリガーの中にある。導かれるようにその弾丸を選択。銃口を崖から飛び立つリオモンに向けて引き金を引く。
進化弾エボリューションバレット
 銃口から紅の閃光が放たれる。その鮮烈なる光は進化への道標。




 それは葉月にとって突然の出来事だった。瞬きのような時間ですら無限に感じられた。
 仲間を狙っての攻撃に慌てて対応しようとして、急な方向転換による不意打ちに対応できなかった。初撃はピクシモンのおかげで回避に成功。しかし、その後の追撃はどうしようもなかった。どうしようもなかったから、不意に飛び出した巧が代わりに捕まり、崖の向こうへと攫われた。
「あ……うぁ」
 言葉にならない声が漏れる。情けなくへたり込んだ身体は石になったように動かない。馬鹿にしたような声を上げて、偉そうに発破をかけてこの様。まとまりのない思考でも理解することはできた。取り返しのつかないことになってしまったのだと。
 視界がぼやけ、輝きが失われていく。彼女の後悔を映し出すように世界が灰色に染まっていく。
 その世界に、一筋の閃光が奔る。鮮烈なる色は紅。起点は巧が連れ去られた崖の向こう。その進路には自分の真横を駆け抜けて崖から飛び立とうとするリオモン。閃光が目的地にたどり着いた直後、葉月の視界は溢れる閃光に塗りつぶされた。
「なにが――」
 困惑の声を紡ぐ間に閃光が消える。恐る恐る開いた視界には、以前の風景から一人足りなかった。何が起きたのかは分からない。分かったのは、姿を消したのがリオモンだということだけ。
 立ち上がってせわしなく視線を移しても見つからない。葉月自身、見つかるはずも無いと心の片隅で思っていた。光で見失う寸前、最後に見たリオモンは巧を追うように崖から飛び降りていたのだ。
 そこから先の結果など想像したくもない。だが、実際どうなったのか出来る限り確認しなければならない。はやる気持ちが歩幅を大きくし、仲間よりも早く最後にリオモンを見た場所へと辿り着く。
 恐る恐る崖下を覗く。目印にするつもりだった川は遠く、ちらほら見える樹木はクッションよりも先に串刺しを想起させる。リオモンの姿は確認できない。嫌な想像が過るより早く視線を上げて、後退する。
「……ん?」
 その動作の途中で視界にある目立つ色が一瞬だけ混じったような気がした。それはリオモンの体色と同じ赤色。
 思わずもう一度視線を崖に落とす。今度は確実にその色を確認し、それがこちらに向けて崖下から上昇してくるのが分かった。
「うわあぁー!?」
 驚くあまり尻を地面に強く打ちつけた。だが、葉月にはその痛みに呻く余裕もなく、腰が引けて立ち上がることもできなかった。何かが突然視界に入ってきたからだけではない。その何かがアクィラモンだったからだ。
「ほう、わざわざ死にに来るとはな」
 当然だ。まだ戦いは終わっていない。アクィラモンはまだ健在で、巧の処理が終わればその矛先は残りの自分達に向くのが必然だ。
「望み通りにしてやる」
「あ――」
 アクィラモンは一度軽く上昇した後、身体を翻して葉月に向かって突進する。頭の二本角に貫かれるか、嘴に啄まれるか。明確化された死を前に、葉月の身体は完全に固まり、目に映る風景すべてがスローに感じられる。
「ガハブッ!?」
 苦悶の声が轟く。それはアクィラモンが自分の身に起こったことを理解できずに上げたもの。
 一方で、葉月は遅くなった時間の中で、状況を正確に捉えていた。
 アクィラモンの身体は、突然飛来した紅い飛竜ワイバーンの体当たりで突き飛ばされた。
 鏃のように鋭い先端を持つ長い尾。両腕と一体化した、しなやかな膜のような翼。冠のような三本角を携える猛々しい顔。
 その飛竜には見覚えは無い。だが、その体色は先ほどまで探していたもので、その姿にも記憶に面影があった。
「大丈夫か、葉月!」
「た、巧!?」
 飛竜の背にはアクィラモンに空中で処理されたはずの巧が居た。恐らくあの飛竜に助けられたのだろう。だが、そんな理屈よりも先に、彼が無事でいたことに葉月は心底ほっとした。
「無事で何よりだ」
「お前もな。俺が居なかったら死んでたぞ」
 アクィラモンから視線を外さずに飛竜が会話に割り込む。その口調や巧とのやり取りで予想は確信に変わる。
「あなた、もしかしてリオモンなのー」
「ああ、成熟期に進化したんだ。リオモン改め、ヴルムモンってな」
 巧がアクィラモンの情報を得たときのように、葉月はようやく動いた身体でD-トリガーを飛竜に向けてみる。
 ヴルムモン。成熟期。飛竜型。ワクチン種。
 D-トリガーに表示されたそのデータが巧の新たな力。リオモンの新たなる姿だ。




「やはり気のせいではなかったか。しぶといな、貴様ら」
「最高の誉め言葉だ」
「お返しに、ちっとばかし痛い目を見てもらうぞ」
 D-トリガーと同じタイミングで手に入れたゴーグルを頭につけ、巧はヴルムモンとともにアクィラモンと相対する。その目は既に自分達の生存と勝利を確信していた。
「ほざけ。ブラストレーザー」
 挑発に応えるように、アクィラモンが先に仕掛ける。口から放つ赤いリング状の光線は距離に伴い、その円周も大きくなっていく。時間差を置いて連射されるリングはさながらトンネルのようだ。
「こんな輪っかくらい」
 ヴルムモンは逃げることなく、逆にアクィラモンに向かって翔ける。距離を増すごとに円周が大きくなるのなら、下手に横に出るよりも正面突破を狙った方がいい。
 だが、距離を増すごとに円周が大きくなるということは、裏を返せば距離が短ければ円周もその分小さくなるということ。つまり、アクィラモンに向かって飛行しているヴルムモンからすれば、進めば進むほど、次のリングの円周は小さくなる。馬鹿正直に正面から突っ込んでくる相手の逃げ道を封じるための一手だったのだ。
「なあ、初手から失敗したか」
「かもな。なら、強引に突っ切るだけだ」
 今さら気づいたところで失敗を悔やんでいる暇はない。リングとリングの間を使って上手に外に抜けるか、躱すことを諦めて突っ切るかの二択を取るしかない。
 前者は急な進路変更で巧の負担が大きすぎる。進化とともに種族としての技能と知識が身体に植え付けられたヴルムモンと違い、巧はあくまで一介の中学生。空中に慣れていない状態で無茶な動きをすればまた放り出される可能性が高い。
 ならば、取るべき手は一つ。ヴルムモンは迷うことなく自分にリスクのある手段を選び取る。
 その覚悟に応えるように両翼が炎を纏う。アクセル全開で一気に翔けだす。
「バーニンググライド」
 両手を突き出す。両翼をぶつける。両腕でこじ開ける。退路が無いのなら、進路を自力で切り拓くまで。翼に宿った炎は光のリングごときで消えるものでは無く、逆にその存在ごと焼き払う。
「抜けた」
「まだだ!」
「そう来ると思っていた」
 全てのリングをしのぎ切った後、ヴルムモンを待っていたのは二本角を向けて迫るアクィラモン。ブラストレーザーとの同時並行で、奴は既に二つ目の技の準備を整えていた。
「グライドホーン」
 炎を纏った翼と勢いの乗った硬質の角がぶつかる。成熟期同士の技のぶつかり合い。本来のスペックの差はそこまで無いが、ヴルムモンの翼は既に先のリングを対処していたために纏う炎は勢いが無く、翼に注ぐ膂力そのものも著しく落ちていた。
「ぐ、くそ……」
「どうした。その程度か」
 じりじりと押されているのはヴルムモン自身も分かっている。だが、それが自分の敗北に直結していないことも分かっている。
「強化弾、パタモン――エアショット」
 ヴルムモンはじり貧の現状を維持することしかできない。だが、その背に乗っている巧は自由に動くことができる。
「なガッ!?」
 巧がD-トリガーから撃ち放ったのは無色透明の空気弾。頭部に直撃を受けたアクィラモンは頭ごと角を真下に向けられ、ぶつかり合っていた翼をフリーにする。ヴルムモンがその隙を逃すことはなく、空いた両腕の先で拳を作り、アクィラモンの顎を殴り飛ばした。
「グ、この……」
「終わりだ」
 アクィラモンの頭が上を向き、無防備な腹をヴルムモンに晒す。がら空きの標的に狙いを定め、自身の腹で生成した熱を口から一気に解き放つ。
「クリムゾンバースト」
 吐き出される紅蓮の炎がアクィラモンの体毛を焼き払い、その身体を押し流す。アクィラモンにはそれに抗う手段は無く、これ以上の戦闘を続けるだけの体力も持ち合わせていなかった。
「浄化弾」
 最後に巧が浄化の弾丸を撃ち込み、戦闘は終了。落下するアクィラモンの巨体をヴルムモンが背に乗せて仲間の元へと戻る。
「ぐえぶ!? ちょっ、挟まってる! 挟まってる!」
 陸地に辿り着くまでの間、巧はヴルムモンとアクィラモンの身体にサンドイッチされていた。




 目を覚ましたアクィラモンは無事正気に戻ったようで、巧達の手で少なからず傷を負ったにも関わらず、心から感謝の念を述べてくれた。それに気恥ずかしさを感じると同時に申し訳なさも拭えなかったため、全員妙な表情になってしまった。
 アクィラモンを打ち破った立役者であるヴルムモンだが、陸地に辿り着いた直後に力尽きたのか、気を失うついでに元々の成長期の姿へと戻ってしまっていた。また彼らに対する謎が深まったが、それもこれから少しずつ明らかにしていけばいい。
「はぁ、一時はどうなるかと思った」
 正直なところ、今の巧にはリオモン達が抱える謎に割けるだけの精神の余裕は無かった。ほんの一つでも重ならなければ即死に繋がる偶然を生き延びたのだ。案外思っていたより自分は運があるのではないかと思えてくるが、それを招いたのは間違いなく自分の不運が絡んでいるとも言えるので、結局はプラマイゼロに落ち着く。それでもむしろマイナスという結果に至らなかっただけ充分ましな部類だろう。
「ちょっといーい、巧?」
「どした、葉月?」
 大雑把な計算を終えたタイミングで不意に葉月に声を掛けられた。いろんなことが起こり過ぎて検討がつかないので、巧はあえてニュートラルな気持ちで受け答えする。気持ちの持ちようがどうあっても避けられないものはあったりするもの。今回はそれに該当すると直観したことも理由である。
「私の顔に虫入りの水をぶちまけた件に関してなんだけどー」
「ひっ」
 ただ、ニュートラルな気持ちで受け答えたために、ノーガードの精神に恐怖が一気に押し寄せてきた。報復のためにどんな責め苦を受けることになるのか。嫌な想像が数パターン思考を巡り、それに伴って自分の顔が一気に青ざめていくことを自覚した。
「今回は不問にしてあげる」
「あ、ぁ……へ?」
 血の気が引いていく頭で、葉月が口にした予想外の言葉を理解することはあまりに無理があった。脳内で音を反芻させ、少しずつ意味ある言葉に咀嚼すること一分。ようやく言葉を理解できた巧の前には、その言葉を葉月が口にした理由という難問が待ち構えていた。
「な、なんでですのん?」
「それはそのー……もう、許していいって思ったから、許してあげるの! それとも何? 不運が重なり過ぎてマゾに目覚めたとか?」
「いえ、結構です。ありがたき幸せ」
 結局、巧がその答えを知ることは無く、ただただ女王様の気まぐれをありがたく拝受することしかできなかった。
「くあ……あぁ、よく寝た」
「おう、おはよう」
 そんな一幕から五分後、リオモンも静かに目を覚ます。今回は目立った外傷は無かったらしく、戦いの前と変わらない様子を見せていることに巧は胸を撫でおろした。
「無事そうで何よりだ。無事ついでにもう少し働いてもらうよ」
「へ」
 一方で、リオモンはそんな姿を見せたことを後に心底後悔する羽目になることをなんとなく予感していた。
「あと何往復だ? 酷使し過ぎだろ」
 十分後、リオモンは再びヴルムモンへと進化して、仲間を背に乗せて崖と川辺を往復していた。飛行能力を得たことに目を付け、目印の川に降下する手段として利用しようと充は考えたのだ。
 謝礼代わりにアクィラモンが半分負担してくれたものの、それでも先の戦闘時の何倍もの重さを背負っている。ただでさえ寝起きの状態でいきなり再び進化させられ、肉体労働を強いられるという苦行なのにこれはあんまりだ。
 最後の最後で貧乏くじを引かされたのは自分で、それは誰かに影響を受けたせいではないかと思えてきた。そして、これからも貧乏くじを引くことになるのだろうなと、ヴルムモンの心はいやな予感を覚えずにはいられなかった。




 ※2017/3/11 加筆修正