人は『当たり前』に損をする
あなたの『当たり前』はなんですか?
家があること?
毎朝目が覚めること?
仕事があること?
ご飯が食べられること?
身体が動くこと?
よく眠れること?
それ、当たり前と思ってたら損します。
よく『パートナーと別れて大切さを知った』とか
『病気になって健康の大切さを知った』とか
『親孝行したい時に親はない』とか。
『今あるもの』を『当たり前』と思うと意識しないとありがたさがわからない。
その気持ちが『損するループ』を作ります。
当たり前の反意語が感謝
『ありがとう』ってどんな時に感じます?
嬉しいことしてもらったとき?
なんか助けてもらったとき?
でも、ヒトって欲張りだから最初は『ありがとう』『嬉しい』って思っててもそのうち『当たり前』になってしまって、さらには『もっと』って思っちゃいます。
もうそうなると不幸へまっしぐら。
今、目の前にあるものを正しく見れてないといろんなものがうまく回りません。
これって複業するのに絶対に忘れちゃいけないこと。
『ありがとう』を大切にできないと『ありがとう』を与えられない。
『ありがとう』って思ってもらえるサービスを提供できなきゃ『ありがとうの形』の『お金』ももらえません。
…お札はただの紙切れですけど。
でも、そこにいろんな思いがあるから価値があるわけです。
誰もに与えられた24時間
誰もに等しく与えられた時間。
だらだらしてても自分磨きに費やしても同じ24時間。
だらだらした24時間を積み重ねるとその先には大した未来はない。
でも少しでも自分磨きに使えばその分その先にはちょっとしたキラキラやわくわくが待ってる。
私はそんなに勤勉なタイプではないのですが💦
昼間は雇われで仕事して、夜は好きなことを仕事にしてます。
『どんな時間の使い方してるの?』と言われますが、別に寝てないわけでもないし、遊びや趣味を削ってるわけでもない。
無理のないように、継続できる形でにリメイクして、与えられた24時間の使い方を決めてるだけなんです。
当たり前にこそ隠れた価値に気づく
パラレルワーカーとして無理なく仕事をし続けるには『当たり前』という感覚を壊し続けることにあるかもしれません。
例えば主婦がパラレルワーカーになるなら。
『こんなに働いて家事もしてるのになんで家族は助けてくれないの?』じゃなくて『子どもたちはもっと甘えたいかもしれない。パートナーももっと話を聞いてほしいのかもしれない。でも、好きなことやらせてくれてありがとう』なぁんて思ってみたり。
そんな気持ち持ってるだけで、家族にかける言葉が違ったりして家族の協力度も上がったりします。
そういう自分の子供マインドの準備をしてるかどうかで仕事の継続のしやすさが違ったりします。
『素敵なメニューを』『たくさんの集客を』『様々なスキルを』とやることは多いです。
でも、根っこの部分がブレないと多少のことではへこたれずに継続できます。
いきなりうまくいくことは続かない。
1発屋目指したい人やギャンブラーな考え方には合わない思考ですが。
『人生の選択肢を増やすためのパラレルワーカー』目指すなら根っこの部分の設定は結構大事です。