映画犬について僕が知っている二、三の事柄★ -4ページ目

ティム・バートン『ビッグ・フィッシュ』(米/2003年)DVD




タイトル: ビッグ・フィッシュ コレクターズ・エディション

語ることの快楽、事実を凌駕する虚構=真実。

こういう映画、結構好きだな。

評価 ★★★★☆ (4)

ジャン・ピエール・ジュネ『ロング・エンゲージメント』(フランス/2004年)

@吉祥寺セントラル



戦争をテーマにしているわけではないけれど、いずれにせよ戦争を描くことは難しい。
戦争を舞台にした映画はそれ以上のテーマがあったとしても舞台描写に失敗して台無しになるって落ちがおおい。
この映画は、「良質な」映画だと思うが、そのケがあるようだ。

ラスト・シーンは照れくさくて眉唾ものです。
あれはなくて良かった。

評価 ★★★☆☆ (3)

黒沢清『回路』(日本/2000年)DVD





タイトル: 回路

面白い映画だと思うが、黒沢清のこの映画は駄作だと思う。

評価 ★★★☆☆ (3)

批評とは何か

批評とは何か?批評は言葉である。言葉はスタティックなものである。動的な映画に対して、言葉はその動性を奪うことになりやしないかとヒヤヒヤしている。批評は芸術を救うものでなければならない。名作を貶めることがあってはならないのだ。
どうすればいいのか。ストーリー展開を追ってはならない。あらすじを再現したところで、それこそ映画の本質を奪うものだ。映画の本質は物語ではないからだ。物語=映像という記号の連動によってようやく表現されているものだ。
批評言語は、詩学に近い。映像が散文詩に近いように、映像を分析する言語はやはり詩なのである。

河瀬直美『沙羅双樹』(日本/2000年)DVD




タイトル: 沙羅双樹

生きると死ぬとは裏返しの動詞であるが、それを確認するのは容易ではない。
その確認作業の映画。
仏教的輪廻の思想が漂っている。
映画中、和尚を囲んで輪状の数珠を延々と回す儀式は、すべての現象は接続し、循環することのメタファーである。

評価 ★★★★★ (5)

黒沢清『カリスマ』(日本/2000年)DVD




タイトル: カリスマ

カリスマのいない時代。
ゲバラも毛沢東もヒトラーも織田信長もいない。
そんな時代には、ただ永遠回帰をするしかない。
善悪の価値判断してもそれは虚偽であることを早々認めて表層において戯れを繰り返すことしかできない。
それを快楽にするしかない。

そんな思想を黒沢監督が映画にしました。
ちきしょう。

評価 ★★★★☆ (4)

黒沢清『ニンゲン合格』(日本/1999年)VHS




タイトル: ニンゲン合格

存在を確認しなければいけない時代。
主人公ユタカは過去を再現することによってその存在を確認することを試みる。
その確認を終えたとき、「失われた10年」が差し迫った形でユタカに現前するのだ。
その10年はあまりにも喪失が多すぎた。
ユタカを押し潰す大量の冷蔵庫は10年間の残骸である。
黒沢監督はのちに、『アカルイミライ』で廃品の電化製品に一寸の希望を託しているが、『ニンゲン合格』はやはり20世紀の映画なのである。

廃品はリサイクルされるものではないのだ。

評価 ★★★★★ (5)

青山真治『Helpless』(日本/1996年)DVD

この映画において対象に距離を置いたカメラは、中立的というよりも虚無的である(日本映画のある種の傾向)。



タイトル: Helpless

失われた片腕のミイラを康男が大事に守ることは、組長の死を信じずに、頑にその存在を信じることと重なる。
組長の死を信じざるを得なくなったとき、己の片腕もまた、不要になったのである。
信じるものの不在は虚無だが、この映画が健二に一寸の希望を付与しているのは、父の不在という虚無を受容し、それに生きることにしたからである。

評価 ★★★★☆ (4)

大林宣彦『青春デンデケデケデケ』(日本/1992年)DVD

青春を表象する試みは失敗することが多い。
この映画はそんな例のひとつ。
監督自身が「ノスタルジックにならないように描いた。」って言っているけど、やっぱり失敗なのさ。
だって、あなたもう伯父さんでしょ。




タイトル: 青春デンデケデケデケ


評価 ★★☆☆☆ (2)

パトリス・シェロー『ソン・フレール』(仏/2004年)@ユーロスペース

映画における女性の肌は見慣れたものだ。しかし、僕はこの映画を観て初めて映画の男性の肌と体を意識した。もちろん、同性愛とかいうハナシじゃない(この映画は同性愛についてのハナシではあるが)。女性はみられる対象で今まであり続けたが、ここにきて男性がみられる対象になっている、少なくともそうさせている。手術準備の剃毛が看護婦によって延々と続けられる。あるいは海水浴をするために裸になる男達。この映画では限界線を越えて男の肌=裸が開示されるわけだ。



時代は変わりつつあるのか。それとも、意識的に変えているのか。明らかにここ最近の映画では、女性だけでなく男性もまた視られる対象として描かれている。

テーマ・技術ともに素晴らしいが、映画が多少なりともエンターテイメント性を備えたものであるべきなら、この映画はやや劣る。

評価 ★★★☆☆ (3)