映画犬について僕が知っている二、三の事柄★ -6ページ目

★ 雑誌「文學界」:蓮實重彦によるジョン・フォード論 / 映画犬

最近の「文學界」では蓮實重彦氏によるジョン・フォード論が連載されてます。
蓮實氏と言えば、日本の映画批評のみならず映画界をずっうと長い間支配してきた方ですが(黒沢清は彼の傘下と言われるし、青山真治もそうらしいですね)、何よりもその個性的な文体が有名です。

「…ジョン・フォードは、美しさとして美しく映画に抗うとする瞬間に、その抗う美しさの輪郭が曖昧にあたりに漂いでてしまうのだ。」
(『映像の詩学』所収、「ジョン・フォード、または翻る白さの変容」ちくま学芸文庫)

昔はこんな文体をしていたのですが、彼ももうすぐ齢70というところへ来て、だいぶ読み易い文章を書いています。
カメラの動きとか、スクリーンに見えるものを写実的な言語で書いてます。
例えば、同誌三月号の冒頭はこんな感じです。

「雲一つない澄み切った空の拡がりを乾いた岩肌が水平に断ち切っている画面に、一頭の馬が左手がらかけあがってくる。」



映像を文字言語で表現するのは本当に難しい、と思います。
いや、表現できるもんじゃぁないです。
ちょっと前は表現できると思ってた、いや、思うことをしなかったので、臆病にならずにかけたのですが、表現不可能性という前提からちょっと歩を進めたかな、と思ったくらいで、スランプ真っ最中なんですよ。
蓮實さんもおそらく前記のような文体を選択していたころは、映像を言葉で表現できるって思ってたかもしれない。
思ってなかったかもしれないけれど、今の文体の方が以前のものよりも映像が浮かび上がってきます。
彼が今になって文体を変えたことは、何かしらの意味があるんじゃないかな、と思います。

最近は映画批評っても、映画をほめたり貶したりするだけで、それ自体としておもしろい批評ってないんですよね。
蓮實さんの文章は嫌いだったけど、先月・今月と「文學界」を読んでみて、彼を少し好きになった気がします。

本日の狂授殿 第1回

「今日は高血圧の薬を飲んできたんですけどね、医者からは『酒は当分控えろ』と言われているんですけどね、それは無理な話ですよ、絶対やめられないんですけどね」
本日の狂授殿の血圧は150くらい。
期末試験の採点やら論文審査やらのストレスで血流が激しいそうで、今朝やむなく薬を飲んできたそうだ。
薬を飲めば、血圧が下がり、血圧が下がれば酒を飲める。
彼は、そう思っている。
狂授殿から酒を抜いたら、一時間半の授業で同じことを二度も三度も繰り返す癖が治りそうなものだが、そうはいかない。
本当にお酒が好きである。
ウィスキーや焼酎よりも、「やっぱりビールとウォッカですね」。

僕が狂授殿を知ったのは三年前だ。
まだ大学三年生になりたての頃で、今や映画研究というフィールドに多少の平安を得ているが、その頃は美術史と哲学に興味を持っているくらいの、少しインテリを気取っていた学生だった。
「ギリシャ神話と西洋美術」という外大での通年の講義を聴講生として聞きにいったのが、彼との最初の出会いである。
だだっ広い、階段式の講義室、そうだなぁ、英語ではLecture Theatreと呼ぶだろう大教室だったのを覚えている。
ギリシャ神話の物語を題材とした西洋美術とりわけルネサンス芸術を、お手製のパネルを使って、ヨーロッパの芸術文化を知る、という授業だった。
夏の暑い日で、今と変わらずに、彼はウェットティッシュを額に押し当てながら講義をしていた。
やはり光る額が印象的だった。

…第2回に続く

ゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』(フランス/1966年)DVD



久しぶりにJLGです。

この映画はほとんどがJLGや主人公の娼婦らのモノローグであり、冒頭でブレヒトの「セリフはすべて引用するように喋れ」という言葉が引用されているように、ゴダール的アフォリズムに横溢している。
だからこの映画の内容について語った所で少しも語り尽くせない。
観れば、わかる。
それに尽きる。

ゴダールの持ち味はやはり、観る者を撥ね付けるような映像の形式にある。
観ていて少しも面白くないけれど、「面白い」。
映画を作ることを、物語ることと勘違いしているひとに必見。

評価 ★★★☆☆ (3)

リンクレーター『ビフォア・サンセット』



恵比寿でやってる『ビフォア・サンセット』を観たい。
うちの映画館で何十回も予告編観たけれど、何十回も観たいと思った。
チケットが手に入ったら観よう。

でも。
『ビフォア・サンライズ』って9年前の映画の続編らしいね。
もしかして主演もイーサンとホークとジュリーとデルピー?
明日渋谷ツタヤで借りて観よう。

トリュフォー『隣の女』(フランス/1981年)DVD

監督:フランソワ・トリュフォー
主演:ジェラール・ドパルデュー、ファニー・アルダン

舞台はグルノーブル郊外。
二人の子どもをもうけた幸せな夫婦。
若い時代に愛した女とその旦那が隣の家に引っ越してくる。
偶然の再会に青春を思い出す主人公の二人。
ホテルで逢瀬を重ねるが、それが不倫の愛であるがゆえに、そして若き頃のつらい思い出が大きすぎるがゆえに、やがて関係に食い違いが再び生じる...

昨日観た『恍惚』の三人の主人公のうち二人が1981年のこの映画に出て、しかも「一緒にいるのは苦しすぎる。けれどあなたなしでは生きられない」という恋愛をしてるんだから、大きな違いだよね。

不倫ドラマの佳作です。

評価 ★★★☆☆ (3)

『恍惚』 Nathalie... @文化村ル・シネマ

映像は全ての情報を与えるが故に、映像による表象可能性が表現の限界を招くため、常にそれは限界と伴にある。
言葉は個々人に固有のラング=言語体を前提としているが故に、伝達可能性において懐疑的であらざるをえない。
映像と言語は映画という媒体で重なり合わさるものだが、意外と映像への依存が大きいために、一方の言語は軽視されているようだ。

『恍惚』(フランス/2003年、監督:アンヌ・フォンテーヌ)は言葉の可能性を提起しているように思う。
ポルノグラフィックな映像が溢れ出ているのが現在の状況であるが、この映画にそれらはあまり見当たらない。
むしろ恍惚を誘うのはエマニュエル・べアールの声の肌理であり、ファニー・アルダンのそれである。
そしてその内容である。

本当に良い映画でした。
どうやら、フランス映画も復活の兆しが見え始めてきたようです。

評価 ★★★★☆ (べアールのいやらしさの4)

猛勉強!

今日は午後1時に登校してみそラーメンを学食する。
それから本日午前1時まで間ちらほらと休憩を挟みながら猛勉強。
やったらめったら勉強すると目がちかちかしてくんのさ。
出版社さんから頂いた研究室の種子島産麦焼酎がうんとこさ旨くてね。
それにさ、勉強がどっこいしょ捗るのさ。

でもね、明日の5限後まで少しも睡眠とれそうにないのが、ぶち苛つくってことよ。

ニキ・カーロ『クジラの島の少女』(ニュージーランド/2002年)

@むさしのシネクラブ

マオリ族の族長の孫であるパイケアが跡取りになりたくてもなれずに、最後にやっとなれるっていうハナシ、単純に言えば。
マオリ族ってNZの人口15%を占める少数部族で、鼻と鼻をすりあわせて挨拶を交わす、ポリネシア系の人達です。
クジラに乗ってその地にやってきた伝説からクジラを神として崇拝しています。
この映画はその伝説と重ね合わせて語られて行きます。

マイナー文学があるとすればマイナー映画もあるはずで、この映画はそうあるべきだと思う。
マオリ族の「文体」でこの映画を撮って欲しかった。
決してハリウッドの撮り方をして欲しくなかった。
マオリ族の文化を商品的に資本主義的に映すのなら、そうしない方がマシだと思う。

そういえば、トニー・ガリトフのロマ映画なんかと比較することができるな。
彼はやっぱりマイナー映画の作り手だと思う。

評価 ★★☆☆☆ (3)

イデア

イデアを懐に現実に身を寄せる
彼はポケットの中で煙草の吸い殻にそれを汚し
確認のために諸手を入れて弄るが
幾手を渡ってきたのか知れぬ紙幣の細菌が
なおもイデアを汚す
洗面所のハンドソープは皹のもと
乾燥はそれを助長する

遠近感

近さとはある種の遠さである
遠さとはある種の近さである
近いものに欲望を感じるか?
欲望への志向は遠さを伴ってはいやしないか?

"Proche" est loin de "familier".
Il s'en distancera parfois.
La desir, c'est trop proche de toi.