変な人ってなんですか?


いや、そういう意味の変な人はもちろんいるけれども。


「あいつって変なやつだよなー!」


こういうときの変なやつってなんですか?


「私、変わってるって言われるの~。」


こういうときの変わってるってなんですか?


変ってなんですか?


「あいつ」も「私」も、変わってるようには見えないのですが。





まず、変わってるものが存在するためには、


基準となる「普通」というものが必要ですよね。


ってことは、変な人を議論する前に、


普通の人について考える必要がありますよね。



「普通ってなに?」


なんて議論は、天文学的な回数行われていると思います。




またもしかしたらむだなこと言ってるかな。


だって、「普通」なんてものに実体はないですもんね。


だって、今日の普通は明日の異常かもしれないし、


だって、今日の異常が明日の普通かもしれないんだもの。




得意の矛盾したことを言います。


私はわりと変な人と言われることがあります。


変と言われること自体は決していやではありません。


でもものすごくいやです。





さっきも言ったとおり、


普通が流動的である以上、


変も時々刻々と変化を続けているはずです。



普通というものは、


現状を理解すれば手に入れることができます。


しかし、変というものは、


現状を把握した上で、じゃあどうすれば現状に追従せずにすむのかを考えなえればなりません。



これはかなり難儀なことです。


わたしにはそんなむつかしいことできてませんし、できません。


興味は津々だけれども。


だから、そんなすごいことできないから、


だからプレッシャーになるから、


変な人と言われるのがいやです。





もう、なんだかわからないんです。



ただ、一つだけ確かなのは、


私が私だということです。


だから、見方を変えて、


普通=自己


にしてみます。




すると、


一気に話はシンプルに!!!




わたしは普通です。


あなたも普通です。


彼も普通です。




同時に、わたしは変です。


あなたも変です。


彼も変です。




しかし、


この解法には絶対に落とし穴があります。


わたしには哲学はわからないので、


落とし穴には落ちてないふりをしておきます。


もしかしたら落とし穴ないかもしれないけれども。





結局なにが言いたいかって、


先入観や偏見がだいきらいです。



わたしは新年になると、


ヤフーのお金がかかる占いにびっくりするくらいお金をかけます。


さっきもきっと1万くらい使ってやりました。


新年でうかれてるんです。




さて、占いをやる女子ってのは、


得てして恋をいているものなのでしょう。



そうです。


わたしのことです。


恋は盲目とはよくいったもので。



まあ、恋とは認めていないんだけれども。


ただ、恋とでも言わないとあまりにもむなしいから、


だからせめて名前だけはかわいいものをつけてやろうと思って、


恋と呼んでいます。


最近流行のやつですね。


そんな読み方すんの!?っていうやつですね。




さて、1万くらいかけて占った結果ですが、


笑っちゃった。



もう二度と出会えないくらい素敵な人なんですって。


あのひとがだれを選ぶかと聞かれれば自信をもって私なんですって。


こんな相性のいい二人はめずらしいんですって。



笑わせてくれるよね~。


ていうか、他の結果が見られないから、


「絶対に結ばれます」っていうことばの重みがわからない。


みんなに言ってんじゃないの?


みんなにいい顔してんじゃないの?


お前だけだとかいって他にもたくさんいるんじゃないの?


どうなの?




笑っちゃうよね~。


信じてないと信じていても、


やっぱり信じてるんだもの。


私だけじゃないに決まってるのに。




でも、やっぱりうれしいこと言われると信じちゃうのが恋する乙女なんですかね。


いますぐ結ばれることはないけれど、待てば絶対に結ばれます。


笑っちゃうよね~。




きみのことばは信じちゃいけないんだろうけど、


信じちゃいないんだけど、


でも信じちゃうんだよねー。





占いなんて、信じないんだから。




今日はときどきやってくるふしぎな感情について。

ときどきなんともいえない感情がやってきます。

感情と言っていいかすらわかりません。

うまい表現がまったく浮かびません。

こわいような

かなしいような

さみしいような

むなしいような

。

とりあえずマイナスの塊がやってきます。

きっとわたしだけじゃないとおもいます。

みんなあると信じています。

いまんとこいちばん近い表現はノスタルジーだとおもっています。

遠いけれども。


さてこのノスタルジー(仮)というマイナスの塊は小学生の頃からやってくるようになったのですが、

むかしはただただきもちわるくって、

どっかいけどっかいけ

と祈ることしかできませんでした。


ちょっと考えられるお年頃になって、

この塊は何なのか考え始めました。

ちっともわかりません。

だからいっそぶっとんでみました。



前世の蘇りだとおもいます。

たまに火事場がみえます。

村が燃えています。

だれもいません。

ただただ燃えています。


わたし(前世)は、

ここの村人かもしくはこの村に火をつけた武士です。


言い忘れてたけど、

わたしは輪廻転生ある派です。


きれいに転生できなかったのが、

ノスタルジー(仮)の原因というのが妄想の至ったところです。



だれかとしゃべっててもノスタルジー(仮)はやってきます。

たぶん前世の連れか何かでしょう。


じゃあきれいに転生できなかったのはなぜなんだろう。

絶対に、前世は蘇るべきではないもののはずです。

その前世が蘇るというのは、

そしてそれがマイナスの塊であるということは、

苦しかったのでしょうか。

もっと生きたかったのでしょうか。

悔しいのでしょうか。

もっと生きたかったのでしょうか。


わたしにはわたし(前世)のことはわかりません。

だからわたしは卒論に励みます。