ママチャリやら頂き女子やらキャリーバッグ被害者面女やら最近の世論とかの事とか書く | ニートの掃き溜め

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社会不適合者のすくつ

まあこれもSNSの声見てると、まあ…民主主義に対する恐怖を感じるというか。無知蒙昧を強く感じさせる。

はっきりいってピンキリで言えば俺はかなり馬鹿な部類に位置するんだが、それを遥かに凌駕する頭の悪さなので震撼せざるを得ない。

各々が自分の自己同一性に関わる行動経済的行動等(平たく言えば自己欺瞞の事)に基づき、目的論的論法で確信し、それを他人にひり出したウンコをパイの様に刷り込みあっているので地獄絵図というか。

 

要するに言論に中立性や論理が崩壊している。これは別に現代だからとかではないのだけど、インターネットと言う媒体が助長したりはっきりとそのグロテスクな部分を可視化させる為、見るに堪えない。

 

一般的に論理的な話みたいな物を訓練出来てないのが問題なのだろうか。

ある日本の論理学者は「生得的に備わる能力で論理学を学んでも論理'的'に話せる人間は限られる」みたいな話をしていたので、難しい話なのだが。

 

例えば5W1HやPREP等論述に関わる学問と言うかノウハウ、概念は存在するはずだ。

そこで話をするに辺り、論点、争点、目的、本質、過程、手段、まなざし、メタ等、話の属性を正しく理解し、切り分けて話す能力が無い為に自己都合にそった話しかできなくなっている訳だ。

逆に自己都合に合わない話が出てきたら「それはお前の都合の良い話だろう」という無意識下で自分自身が自己都合的な解釈をしているという下心を理解しているのではないかと言う浅はかさまで垣間見える始末だ。

 

ここまでの準備にいい加減、何の話をしているのだお前はとなるので、さっさと本題に入るが例えば。

 

・頂き女子りりちゃんは詐欺行為を働いた。

「頂き女子りりちゃんは魅力がある詐欺師というだけで、騙されたおじが悪い」

 

・ママチャリおばさんは道交法違反を働いた上に被害者に嫌がらせを行った

「ママチャリおばさんが映ったドラレコを拡散した奴の方が悪い」

 

とかこういう程度の話が無数の差異はあれど溢れかえっている訳だ。

この話は二項対立の話ではないので当然悪くない派とか逆も然りだ。

 

・頂き女子りりちゃんは詐欺行為を働いた。

「アファーマティブアクションにより世の中を舐めている女により重罪を与えるべきである」

 

・ママチャリおばさんは道交法違反を働いた上に被害者に嫌がらせを行った

「悪い奴は拡散してリンチをするべきである」

 

善悪とか抜きに全体の論者の程度が低すぎる上に、程度が低いから“より自分の欲求を満たせる言説を選択する”という原始人みたいな連中しかいないので、そういった野蛮な言説を放つ人間がより持ち上げられてしまうというスパイラルがある。

また、イーロンの青バッチのせいでわざと思ってもいない反感を買いそうな言説をひねり出す文化も増えているが、自演とかではなくマジで乗っかってしまう人間とそれに反感を抱いて拡散する事で、よりマジで乗っかってしまう頭の悪い人間に宣伝するというウンコみたいなループ、現象も発生している

マジで黙ってブロックしておけ。せめてブログとかでリンク無しで垂れ流せ。

 

先の例などに対する突っ込みを今更するのもアレなので、この話だけに関わらない話をする。

戻すと、自己欺瞞と方法論の話だ。

 

基本的には馬鹿の悪癖は自己欺瞞に集約されているのだが、まともに話の切り分けができれば少しは抑えられるはずだ。

 

 

例えばまず「頂き女子りりちゃんは魅力がある詐欺師というだけで、騙されたおじが悪いよなぁ」と思ったとしよう。

これは「~であって欲しいな」という希望的観測から生まれる命題で、この願望を合理的に実現させるために目的論的に思考を開始する。(これを堅苦しい哲学、文語的表現から外すと結論ありきで話す。などと言う)

それを回避する為に段取りが必要だ。まあ多少問題はあるがわかりやすく三段論法にしよう。

 

全ての犯罪者は悪人である。(成立)

頂き女子りりちゃんは犯罪者である。

頂き女子りりちゃんは悪人である。

 

次。

全ての魅力のある犯罪者は悪人ではない。

これは基本的に聞いた事の無い言説なので、この前提を公理として成り立たせないといけないんだけど、当然都合が悪いからなかった事にする訳だな(自己欺瞞)。何なら指摘されてもスルーする訳だ。

 

魅力のある犯罪者は悪人ではない。(不成立)

頂き女子りりちゃんは魅力のある犯罪者である。

頂き女子りりちゃんは善人である(正確には悪人ではない。だがアホは二項対立させる癖がある為わざとらしくこの書き方とする。また次の試論にも関わってくる話である為覚えておくこと)。

 

次。

 

騙されるおじは悪人である。

 

ん?もうよくわからねえぞ。

これは誤った背理法か。

 

りりちゃんとおじがいる。

どちらか一方が悪人である。

前述の証明からりりちゃんが善人である事が証明されたのでおじは悪人である。

 

こういうプロセスだろうか。

 

恐らく目的論的には

加害者(りりちゃん)と被害者(おじ)の二項を逆転させる事で、本来辻褄の合わない自分の願望を成立することが出来る。

という発想(自己欺瞞)からスタートしている。

そこで最初の前提を捏造した三段論法でりりちゃんを善人に仕立て上げて、おじを悪人に仕立て上げて二項を逆転すると、りりちゃんを擁護するという目的が誤った三段論法とそこから還元的に導く背理法によってより強固に成立する訳だ。

 

本来三段論法だけでも不備さえ無ければ良し悪しは成り立つに関わらず、わざわざ無意識的に還元的な方法を取ろうとする辺り、三段論法が成り立たない事を直感的に理解してそうなのが笑えるポイントの一つか。

 

 

と、まあ一個の事例を言語的に解析するだけでも恐ろしく時間が掛かるのでもう今日はやらないが。

 

 

今回文字に起こしたが、そんなことするまでもなく。

 

・魅力のある犯罪者は悪人ではない。

・りりちゃんとおじのどちらか一方が悪人である。

 

が証明無しに成り立たない事はまともな教養があれば一瞬で見抜けるはずである。

強烈な自己欺瞞で見て見ぬふりしている可能性も存在するかもしれないが、いずれにしても論理プロセスについてか自分に備わった論理に叛逆するバグの様な心理構造どちらかでも理解を持っていれば最低限不備があるという事実自体には気付くはずである

不備があると分かっていればせめてもう少しまともな詭弁を講じる

 

 

じゃあ詭弁が巧妙になるのがいいのかと言えば当然そうだとは言わないが、少なくとも詭弁を巧妙にしないと人が騙されないのなら、必要量の推定能力を持っていると言えるわけだ。

今現在その水準が最悪である事が問題だと言っている。

 

巧妙な物はまだ真の近似値を取れるかもしれないが、正反対の言説を唱えても騙されて支持されるようであれば、当然正しさからより大きく外れる為問題になるって事

 

 

因みにここまで見て「その水準が最悪である事が問題」という事についてそれって本当に正しいと言えるか?と思えたなら及第点だと思う。

最後に書いた巧妙な物は真の近似値を取れる。という前提は特に成り立っていないが今理屈を書くにはちょっとモチベーションが足りない。

これはまさしく俺の「馬鹿の言説が支持されるなら世の中悪くなる」という願望に過ぎない。

 

ただし、最後のその俺の懸念に関しての是非はともかく「成り立たない言説を盲目的に信じてしまうような思慮の浅さが目立つ」という話はこの記事の中核話でしっかり成り立っているので、俺の感想である「見てて不快、世の中悪くなりそう」以外にもこの点から考えられる懸念はクソ程にあると思う。