これは言ってはいけない系の話だが、昔知的障碍者が女児を性的解消の毒牙にかける印象についての事実無根の差別議題云々があったが、厳密には事実に該当するレトリックがある。
まず何らかの事情で知性が劣る場合、同年代ではなくレベルが近しい女児男児と話が合うようになってしまう話がある。
これは親や兄弟の様に慕われている場合と、同じレベルで話せる心地の良い相手との違いがあるので慎重に顧慮すべき問題なのだが、こういった形で自然的にコミュニケーションを取る相手の年齢が著しく落ちる事になる(知的に頭打ちになる、というか普遍認知の形相に従う(成熟)20~30代以上から漸くコミュニケーション対象が多様化する)。
知的に劣る場合、成熟する為の道具や材料が欠如している為に子供の認知のまま据え置きとなる。
そうなると本来同年代というか成年にすべきコミュニケーションの全てが下の年齢でのみ噛み合うようになる為、こうして性的な関係性も自分の知的年齢に合わせたものに自然的になる。
根幹の議題では「意図して未成年に毒牙に掛けるか否か」では当然そんな根拠事実は一切ないが、構造・自然的な場合においてはその限りではなくなるということ。
知的に問題があると、友人の様な対等かつ密接な関係性が未成年との方が取りやすいという話
と
性的関係に至る前の手順が適切なコミュニケーション
である。
の二つを否定しない限り、性的な対象が児童に行くのは自然的と言える。
技術として未成年と対等なコミュニケーションを取って信頼関係を築く優れた人間や聖職者が沢山いるし、逆にヤクザのようにそれを逆手に取って悪用してる人もいるかもしれない。
しかしその人がどこに分類するかなんてそうやすやすとわかる話ではないので、結果としてこの話をしても差別的な攻撃性の助長以外何も得はないのである。
強いて言えば踏まえた上で、児童に監視や未来予測に利用したり、知的障碍者が同じレベルだけど成年とコミュニケーションを取れる機会、集会所を(監獄と言われるかもしれんが)用意してあげる必要はあるのではないだろうか。
因みに再三も言うがフェチズムや本能(社会的ではなく、繁殖に対する適正年齢云々)はこれに関わってこないので、ロリコン=知的に問題があるの図式は成り立たない。
知的に劣る場合、認知や社会性を成熟させるすべがない、若しくは著しく遅い。
すると児童としか対等に関係性を作りにくい。
基本児童としか関係を作れない以上、児童としか性的交渉を望めない。
という話自体は成立してしまう。
逆にロリコンかどうかの相関関係はなく、強い悪意を持って行う場合は知的に満足している人間の可能性が高い。
そう考えると釣り合いが取れるから、結局知的に問題があるから児童に毒牙を掛ける事が多いとは言えない。
この理論だと、
明確な悪意を持たず、自然的に交際、性交渉や強姦に及ぶ可能性は知的に問題がある場合が優勢になるし
明確な悪意を持って快楽を満たそうとする人間には知的に一切問題が無い場合が優勢になる。
でも本質は「児童が毒牙に掛けられるか否か」なのでそれらを一括りにして出る結果は飽くまで15:15になるし、前者は当人が構造のカラクリの自覚が出来ない以上自然発生的である以上プラトニックと言い張れるので、事件性云々の話の場合は寧ろ健常者の方が児童を毒牙に掛けていると言える。
要するにどこから見るかによって万華鏡やトポロジーの様に様相が変わる。