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Papytat~東京農工大学生協読書部~

東京農工大学生協読書部の活動をプロパガンダするブログです

リレー(お題)小説  テーマ:食卓


 
 誰にでも心地のよい場所、お気に入りの場所というものがあるだろう。
 私にとっての“お気に入り”は、なんといっても家族が揃って食事をする食卓だ。

 
 私が初めて食卓に招かれたのは、私が生まれてしばらくしてからだった。
 登美子さんは自分の食事が終わると、まだ乳飲み子だった私をひざの上に乗せて哺乳瓶からミルクを与えてくれた。早くに母親のぬくもりを失った私にとって、まるごと私を包んでくれる登美子さんの手はたった一つの拠り所であった。
 ぼんやりとした記憶しか残っていないが、あの頃は同じように幼かった桜ちゃん(といっても彼女は自分で自分ことができる程度には成長していたが)といつも登美子さんの取り合いをしていた。といっても対抗意識を燃やしていたのは桜ちゃんだけで、私には自我というものが芽生えもしていなかったのだが。


 私が生まれてから数ヶ月が経ち、何の問題もなく銀色の皿から自力で餌を食べられるようになった頃、私の居場所はまさに食卓にあった。といっても食事を囲むテーブルの傍ではなく、ちょうどよい日陰のあるリビングの隅である。
 私は食事――とくに夕食の時間――が好きだった。家族で食卓を囲み、登美子さんの手料理(私はドッグフードであった)を食べながらたわいもない話をする。人間の言葉を話せない私は会話に参加することはできなかったが、賑やかで温かで優しい雰囲気のなかに自分がいること、それだけで幸せであった。
 あの頃は桜ちゃんと毎日のように遊んでいた。休日になると必ずと言っていいほど大きな公園に遠出して、一緒に思いっきり走り回った。私はボールを追いかけるのが好きだったが、桜ちゃんはフリスビー遊びが好きであまりボールを投げてはくれなかったな。しかし私が無垢な瞳でボールを見つめ、それ
から桜ちゃんを見上げてじぃっとしていると、

「仕方ないなぁ。一回だけだよ」

なんて相好を崩しながらボールを放ってくれるのだった。別に意識してやっていたわけではないのだが、私は案外幼い頃から世渡りが上手だったのかもしれない。
 また、私は近所でも有名な名犬であった。トイレやハウスといった基本的なしつけを難なくマスターし、お手やお座りといった芸も比較的短期間のトレーニングで覚えた。
桜ちゃんは自宅に友だちを招くたび私に芸を披露させ、私のことを自慢げに話してくれた。それが嬉しくて、私はもっと誉めてもらうために他にも様々な芸を覚えた。決して芸が成功したときにもらえるビーフジャーキー目当てでやっていたわけではない。


 私が食卓から離れたのは、体がリビングのケージに納まりきらなくなった頃だった。
 健司さん(登美子さんの夫で、桜ちゃんの父親)が手作りした犬小屋はペンキの臭いが強烈で所々に隙間もあり慣れるまでに時間がかかったが、それほど居心地が悪いわけではなかった。
 しかし私は寂しかった。いつもなら直接耳に飛び込んでくるはずの家族の談笑も、新しい犬小屋ではガラス越しに聞くことしかできない。愛しい家族の姿は遮光カーテンに遮られて影しか見えず、私は独りで食べる食事がこんなにマズイものかと驚いた。
 それでも私は幸せでいられた。昼間には登美子さんがかまってくれるし、朝と夜の散歩は桜ちゃんがやってくれた。休日は健司さんが散歩に連れて行ってくれたし、半年に一度は家族と一緒に旅行へいくこともできた。あの食卓に自分がいることはできなくなってしまったが、自分もまた、彼らと同じ家族であると感じられていた。


 食卓が私の好きな食卓でなくなったのは、私がすっかり大人になってからだった。
ある日を境に、食卓から声が消えた。それまで必ず夕食までには帰ってきていた桜ちゃんは、ほとんど毎日、すっかり夜になってからでないと帰ってこないようになった。それどころか、朝になっても帰ってこない日もあった。健司さんも仕事が忙しくなったようで、帰ってくるのは日付が変わる少し前になった。
 その頃から、登美子さんはたびたび私を食卓へと招いた。一度食卓を離れた私にとってそれは嬉しいはずの出来事だったのだが、登美子さんが私に何かを話しかけるたびに、私は悲しい気持ちになった。彼女はいつも一人で食事をしていた。登美子さんだけではない。桜ちゃんも健司さんも、いつも一人で食事をしていた。同じ家に住んでいるはずなのに家族はバラバラだった。
「なんだか、寂しくなっちゃったわね」
 登美子さんはことあるごとに、こう私に囁いた。
「仕方ないんだけどね」
 何が仕方ないのか、犬である私には理解できようもなかったが、諦めなければならないということだけわかった。


 それから幾度も季節が巡った。
 私は老いた。瞳は白く濁り、耳も随分と遠くなった。体力も落ちた。最近では走ることはおろか、満足に歩くことすら難しい。すぐに息があがるので、一日三回だった散歩が今は一日一回に減り、距離もうんと短くなった。以前はなんとも思っていなかった夏の暑さも、今では想像以上に堪える。
 死が近づいていることを、私は漫然と理解していた。死後、私という存在がどのようになるのかなど、信じる神もいない私には見当もつかないが、愛しい家族との別れが来ることだけはわかっていた。
しかし、私は今とても幸せだ。なぜなら、毎日、愛しい家族と食卓を囲むことができるからだ。濁った瞳では顔を見分けることもできないが、声や匂いでわかる。楽しそうに食事をし、会話をし、時間を共にする。その中に自分もいると感じるだけで、私の心は温かい気持ちで満たされるのだ。
「今日も暑いねー」
 夕方。リビングでだらしなく伏せっていた私の頭を、すっかり大人になった桜ちゃんがわしわしと撫でてくれる。
 仕事についてからさらに忙しくなった桜ちゃんは、それでも夕食の時間にはしっかりと帰ってくるようになった。健司さんも、平日の帰宅は相変わらず遅いが、休日は自らの手料理を振る舞うようになった。日曜大工の腕はからっきしだったが料理の腕はいいらしく、「毎週末ご馳走ばっかりで太っちゃう」なんて桜ちゃんが楽しそうに話していた。
 昔のように皆がいつも揃って――というわけにはいかないが、それでも食卓は私の好きな食卓へと戻った。時間は私の体を容赦無く蝕んでいくが、同時に賑やかな食卓も運んできてくれた。そう考えれば案外老いるということも悪くはないと、最近では思う。


「ほら、夕飯できたわよ」
 登美子さんの声と、食器の置かれる音。漂う香ばしい匂い。桜ちゃんの手が私から離れ、足音が洗面所のほうへ行く。そしてすぐに戻ってくるとそのまま食卓へ。椅子の引かれる音が三つして、私は動かない足のかわりに耳をぴんと立てた。
「はい、じゃあ皆さん揃って…」
 健司さんの音頭で三人が一斉に手を合わせる。
『いただきます』
 今日も食卓に、幸せの合図が響き渡る。
 
Youtubeでポルノグラフィティの関連動画に何故か一個ポケスペ動画があったのが
 運 の 尽 き だったひらまりです。
みんなポケスペ好き過ぎだ!!

そんなわけでブログ記事の執筆が4日遅れた←わけなんですが
今回は「文章の地力」についてぶいぶい言いたい放題したいと思います。

さて、笹川美和さんというシンガーをご存知ですか?
草野仁さんの某クイズ番組主題歌だったこともありますが、
知る人は少ないのではないでしょか。

この方が初めて作詞作曲した「向日葵」という唄。
小学6年生(!)で作ったと。だから難しい言葉は一切ありません。

わたしの個人的視点なのですが、
「小説」や「詩」のうち、「文章」の地力という視点において、
朗読(同音異義語やルビなどに頼らない手法)にしたとき魅力が半減してしまうものは、
テクニックで価値を水増しした文章だと考えています。つまり地力が乏しい。

同音異義 ex「逢いに行きたい」と「愛に生きたい」 
      「最後」と「最期」
ルビ ex 「回転盤」に「ルーレット」 「酒場」に「バー」
表現手法 ex 漢字化「夜露死苦」
       ひらがな化「あなたをころしてあげるわ」
       カタカナ化「オレハキミヲスキダッタラシイ」

などなど。知っている作品から思いつくものをあげてみました。
言葉に「視覚」を用いたテクニックを使うのは、
クリエイターとしては当たり前なのですが、ちょっとずるい手法でもあります。

(そしてわたしも此処でフォントやカラーを変える姑息な手段を使っています)
だって「言葉」と「文字」は別ですものね。

確かにこのテクニックを使ったほうが評価は高くなります。
(そして残念ながら、このテクが「林檎病」「サンホラ病」などを生むとわたしは考えます)
一切このテクを使わない笹川さんの詩は、ぶっちゃけインパクトに欠けるかもしれません。
けれど、「地力で戦える言葉」に「テクニック多用文章」が勝っても、凄いことでしょうか?
チャリンコや車を使えば、わたしたちだって金メダリストのボルト選手に勝てますよね

道具を使うことを否定はしません。立派なテクニックですから。
しかし、「文章」としてでなく「言葉」で勝負できる詩・小説こそ、
ほんとうに凄いものだとわたしは考えます。


そして笹川さんは歌姫としても物凄く素敵な声をしてらっしゃいます。
まじめに癒されたい人は是非聴いてみてください。
(「蜂蜜」「金木犀」「耳をすませば」など)

追記
笹川さんの出身は新潟県紫雲寺だそうです。
いいですねぇ! 沖縄じゃなくても歌姫が生まれるってことは!
コンニチハ。先日海で全身大火傷を負ったナカムラです。

みんなも紫外線対策はしっかりやろうね!!(←手遅れ)


しばらく間があいてしまいましたが、大学最後であろうレポートも、
文字通り ゴミ溜め(←誇張なし) となっていた部屋の掃除も終わり、
わくわく読書生活が帰ってきました。

でも、レポートに追いまくられてる時の方が、ページが進むんだよねえ…



「スワロウテイル人工少女販売処」 藤真千歳

なんだかエロゲみたいなタイトルだな

以前読んだ「星の舞台からみてる」と同じく、ラノベレーベルで書いてた作家の本格SF。
男女が隔離された特区を舞台に、異端のアンドロイド・揚羽の苛烈な運命が描かれます。


作品自体は、かなり荒削りと言っていいと思います。全体を通して、リズムが悪い
設定にも少々首をひねりたくなる点もありますし。

(↑に関連したつぶやき。一部SFにありがちな、「現象」に対して何でもかんでも「意志」を仮定・想定する設定は、どうも好きになれません。それはある意味「救い」であり「良心」なんですけど、そんな物うっちゃってしまった方が、悲惨で愉快で紳士で真摯な作品が書けると思うというかそういう作品がワタシは好み)

けど、同時に全てのページから、作者のヤル気が伝わってきます。
時折挿入されるラノベ風トークやルビは正直キライじゃありませんし、
むしろ言葉遊びも設定の一つとしてしっかり動いてる。
なにより、設定・ストーリーを組み合わせ駆動させて作品全体をグリンと回す、
SFならではのドライブ感が「スワロウテイル…」には宿っています。


揚羽が「任務」に没頭する理由、歴史のない都市に宿る物語、アンドロイドと人間と人間のすれ違いと対立、作品を貫く海のイメージ。この作者なら、より清冽で鮮やかな「絵」を期待できそうです!ぜひどうぞ。


しばらくラノベに手を伸ばしていないので、あんまりエラそうなことは言えないのですが。
最近のラノベレーベルは、一般のイメージとは真逆の保守的なジャンルになってると思います。かつて、ラノベはジャンルを自分のやり方で再構築するためのツールだったはずなのですが、今では道具が全自動化されてる気があって面白みがない。
だからこそ、乱暴にでも物語をドライブできるこの作者には、これからどんどん変わっていってほしいですね。


ラノベの変わって欲しいところ。んー、そうだなあ。
まず「物わかりのいいキャラ」皆殺しにするとこから始めて欲しいかな!
(↑下衆の発言)