GO WEST!GO テルメズ!!② 〜諸行無常と風の音〜 | 世界の切れっ端

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〜ひっそりと生息中@TOKYO〜

飛行機でタシケントからテルメズに向かって南下すること1時間。

当時の仏教徒の末裔がひっそりと遺跡を守ってる・・・的なファンタジーが繰り広げられるのでは、と妄想力フル回転で仏教遺跡へ勇んで向かったものの、

 

結果から申し上げますと、

 

 

 

リンレイくんどころか、犬一匹しかおらんかった。

 

 

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まずは位置をおさらい。

かなり広域地図ですが、テルメズはこちら↓

 

ウズベキスタンの国土でも、最南端がテルメズ市。

 

テルメズからタシケントまで北上すること車で約10時間で、逆に南東へ9時間半ほど走ればアフガンの首都カブール。

ほんとウズベクの中でも端の端って感じだけど、市自体は州都としてそれなりに栄えてます。

 

アムダリア川を挟んで対岸はもうアフガニスタン。

アフガンのマザーリシャリフ市がもう目と鼻の先。

 

 

 

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ウズベキスタンで発見されている仏教遺跡は19ヶ所あるらしい。

その中でも、テルメズ市内からある程度近くて、車でサクッと行けるのは、ファヤズ・テパカラ・テパ

※「テパ」じゃなくて「テペ」と書かれることもあります

 

タクシーのおじちゃんを捕まえたところ、1日貸切でガイドもしてくれるというので、さっそくファヤズ・テパへ出発!

 

↓テルメズ市内から西へ進んだところ。

 

 

 

 

テルメズ市内からアムダリア川へ向かってしばらく向かうと、一面砂の向こうにゲートが見えてくる。

 

↓タクシーとガイド兼ドライバーのおじちゃん

 

 

↓ワンちゃまお出迎え。尻尾フリフリで可愛いよ。近くに民家が無いけど、寂しくないのかな?

 

↓遺跡の発掘と保護には、地元ウズベキスタン政府の他、UNESCOと日本政府が協力しています。

 

さて、門をくぐると向こう側に・・・

 

 

見えてくるのは目印のストゥーパ(仏塔)

 

 

↓部分的に復元されてこんな感じになっています。

特に周りにゲートなどは無いので、入りたい放題。でも壊しちゃ嫌なので出来るだけ遠くからパシャリ。

 

私たち以外に誰もいない。。

 

見事に風の音しか聞こえない。

 

 

その隣には、こんな遺跡が広がっています。間違って落ちたら大変だし、そもそも遺跡を崩しちゃいけないので、これも出来るだけ遠くから撮影。

 

↓テルメズ市内の博物館では、復元されたミニチュアの模型を見ることができます。昔はこんなだったのね。たくさん人が住んでいたんだろうなぁ。

 

 

***

 

ムスリムであるガイドのおっちゃんは、案内には慣れているけどさほど興味なし。

「次行くぞ!」と言って指をさしたのは、数百メートル先にあるカラ・テパ遺跡。

 

 

↓車でちょこっと移動してから、ずんずん歩いていくおじちゃん。

 

待って〜〜〜

こんなところに置いていかないで泣。

 

↓一部は雨風を避けられていましたが、あとは吹きっさらし。

 

あちこちにペットボトルや真新しいゴミも落ちている。市街から風で飛んでくるには遠すぎるので、観光客が捨てていったのかな。。

 

 

↓巨大な壁が地中に向かって掘られています。こちらも落ちないよう、崩さないよう、慎重にガイドのおっちゃんの後をついて歩いていく。

 

綺麗に掘られた内部。

 

外からでも、よーーーくみると赤い塗料が塗ってあったような跡がある!昔は色とりどりだったのかも。

およそ約2000年も前に生きていた人が、ここの僧院の繁栄を願って一生懸命塗料を塗りつけたんだろう。

 

 

でも残念なのは、その上から削って英語やらキリル文字やらが彫ってあるってこと。。どう見えも新しいので、きっと観光客の仕業だね。どうやったら遺跡を守れるんだろう。

 

 

↓おっちゃん曰く、このちょびっと窪んだ地面のところに僧侶が集まって、講義や読経をしてたらしい。

 

高名な老僧に教えを乞う修行中の若い僧侶たち。

その周りを走り回る一休さんみたいな可愛い小坊主さんたち。

当時は賑やかだったんだろうな。読経の声や笑い声など、想像したら喧騒が聞こえてきそう。

 

 

↓ギリシア風の柱跡も残っている。保存のために建てられた屋根付きレンガの建屋で保存されています。

バクトリア時代には、語るまでもなくギリシア人もいたので、このような遺跡が残っていても全く不思議ではない。

 

 

↓カラ・テパ遺跡からアムダリア川を臨む。向こうにうっすらと白く見えるのは「ウズベキスタン=アフガニスタン友好橋」。

もう対岸は別の国だ。

※アフガン国境付近は外務省から危険地域に指定されているので、近付かないで下さいね!

カラ・テパもローカルガイドを伴っての散策が推奨です。

 

 

↓ファヤズ・テパ、カラ・テパから出土したレリーフなど(Wikipediaからお借りしました)

 

 

 

 

作り手の想いが篭ってる遺物ばかり。

 

このカラ・テパ遺跡は紀元1世紀頃に基礎が出来上がり、その後3〜4世紀に隆盛を誇った後、5世紀頃には衰退した。日本に仏教が伝わったのは6世紀と言われいるので、その頃にはもうここは寂れてしまったいたことになる。

まさに諸行無常を表す姿を目の当たりにして、最後にここを去った僧はどんな気持ちだったんだろう。

アラブに侵入によりこの地がイスラーム下に入った8世紀以降、ここは異教徒の残り香として完全に人々の記憶から忘れ去られることとなった。

 

この地で発展した仏教の教義は決して無駄になることなく、現代でも別の場所で受け継がれているといいな。

 

21世紀夏、仏教徒が多くを占める極東の島から訪れた異邦人の私は、ただ先人の偉業に手を合わせるのみだ。

 

 

(続く)