タシケントの地下鉄② | 世界の切れっ端

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〜ひっそりと生息中@TOKYO〜

前回はこちら

夜歩くにはいい季節になったので、久々の地下鉄パトロールに出発!

 

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今回もタシケントを東西に走るチロンゾール線(↓赤いライン)に乗ってみます。

 

 

前から気になってた駅があるんだ。。

 

 

その名もPakhtakor(パフタコール)駅

 

↓注意:駅のホームです

 

電車を降りた瞬間、美術館かよ・・・と思わず息を飲むほど見事なタイル!

 

 

パフタ」はウズベク語で「綿」のこと。

パフタコール」で「綿摘み」の意味。

ソ連時代、大規模な綿花栽培はウズベクの経済を大きく支えることなった。

 

そのおかげか、これは綿花をモチーフにしているのかな?

キリル文字での駅名と、モザイク模様が組み合わさったタイル。

ソ連とイスラームが融合していた時代の独特な雰囲気。

 

その一方、ウズベキスタンの綿花といえば、児童労働で悪名高かく、ウズベク産綿花の輸入ボイコットが世界中で行われていた

状況の改善が認知されたお陰で、今年ようやくそのボイコットキャンペーンがめでたく終了

これからはウズベク産綿花の輸出を伸ばしていこうぜ!

 

・・・と言いたいところだけど、水を大量に使う綿花栽培を、水が無い砂漠の国で行うのはなかなか厳しい。

ソ連時代、綿花栽培のために大量にアラル海から水を引いたことで、アラル海はほぼ消滅。

20世紀最大の環境破壊」という負の遺産が残ってしまった。

 

駅名に採用されるくらい、貴重な財政源だった綿花。

地下鉄のホームを歩くだけでも、かつての繁栄が偲ばれる。

 

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さて、パフタコール駅の階段を登ると、そこは北西から南東に走るウズベキスタン線(青いラインの線)に乗り換えができる。

 

乗り換えするため、ホーム階段をテクテク上っていくと。。

 

 

人の顔の壁画が見えて来ます。

(↓この青い丸いやつです)

 

 

この人は、ウズベキスタンでは必ず一度は耳にする、アリシェール・ナヴォイ大先生。

15世紀の生まれで、当時この地で話されていたチャがタイ語の文学を確立した詩人(詳しくはこちら)。

この人の名前を戴いたナヴォイ劇場は、第二次世界大戦時に日本人捕虜が美しく仕上げたことでも有名。そう、あの劇場の名前の元となった人です。

 

なんで先生が地下鉄に出てくるかって、それもそのはず。

 

ここは、

Alisher Navoi(アリシェール・ナヴォイ)駅

 

もう駅にもなっちゃてんだから、先生の尊敬っぷりが伝わってくるね!!

ウズベク人からどれほど敬愛されているかは、装飾の荘厳さで伝わってくる。。

 

↓注意:駅のホームです

 

いやもう、どんなけ綺麗やねんて。。

 

ホームにはナヴォイ大先生による叙事詩の五部作(「篤信家の驚嘆」「ファルハードとシーリーン」「ライラーとマジュヌーン」「七つの遊星」「イスカンダルの城壁」)を表すレリーフが美しく並ぶ。

 

↓例えばこれは「ライラーとマジュヌーン

 

古くから中東に伝わる物語で、たくさんの詩人に詠まれている。代表作はニザーミーが有名。

ナヴォイ先生も詠んでたんですね〜。

エリック・クラプトンの「いとしのレイラ」もこの物語から着想を得ているとかなんとか。

 

ソ連時代に作られたこの駅。

ロシア語が広く公用語として使われていた当時、ウズベク人としてのアイデンティティを忘れず、後世に残していきたいという気持ちが静かに伝わってくる。

 

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さて、そこから電車に乗って南東に下ること2駅。。

 

本日の目的地はここ!

Kosmonavtlar(コスモナヴトラル)駅

 

ウズベク語で「宇宙飛行士」を意味するこの駅。

 

ワクワクしながらホームに向かって階段を下りて行くと、、

 

↓この丸い陶器は一体・・・何?

 

 

↓天体の軌道を表している・・・?

 

さらに階段を下りて、ホームにとうちゃ・・・

 

 

おおおおおお・・・・!

 

なんだか不思議な空間。

暗くて静かで、でも寂しくなくて、なんだかとっても落ち着く。

宇宙ってこんな感じなのかしら。

 

壁面には、有名なユーリー・ガガーリンはじめ、ソ連時代に名を馳せた有名な宇宙飛行士がずらりと並ぶ。

 

↓右端は、最年少女性飛行士のワレンチナ・テレシコワ。

 

ウラジスラフ・ヴォルコフ。

残念ながらミッション中の事故で亡くなってしまったけれど、タシケントの地下鉄では彼の活躍が今もこうして讃えられている。

 

 

怪しまれそうなくらい、ホームをウロウロして満喫。

さて、帰ろうかと階段を上がろうと思ったら、ターバン姿が目に入った。

 

↓こ、これは・・・

 

ウルグベク先生では!?

 

14〜15世紀のティムール朝第4代君主のウルグベク先生。

先生というか王様。王様なのに天文学者・数学者・文人だった彼が、ティムール朝の首都・サマルカンドに建てた天文台は、ずーっと徳川埋蔵金並みに存在が噂されていただけだったが、ついに1908年、ソ連の考古学者によって発見される。

 

何がすごいかって、この天文台で計算した1年の長さ(恒星年) は、現在の科学力で計算した長さと約2秒しか違わない365日6時間10分8秒と計算するほど非常に精確なもの。

当時のヨーロッパはまだ天動説が主流で、ガリレオやコペルニクスが「いや、もしかしたら地球の方が動いちゃってるかも」と言って世間をざわつかせていた時に、この偉業ですよ。

(ちなみにイスラーム世界ではヨーロッパから何百年も前から天動説が常識だった)

 

私、ウルグベク先生、大好きなんですよ。

だって、一番大きな紙幣を飾ってるんですもの。

↓10ドルくらい

 

↓裏は例の天文台を復元したもの。発掘された円弧の半径が36mもある巨大六分儀も描かれている。

 

 

生涯通じて「あ〜〜〜!一度でいいから、宇宙に行ってみてぇええええ!!」と切望していただろうウルグベク先生。

空の向こうに何があるんだろう?と、ずっと少年のような夢を追っていたんでしょうね。

600年経ち、ばっちり宇宙飛行士に列せられていますよ。

 

話は戻りまして、駅の話。

 

この駅が建設された当時は、アメリカとソ連が宇宙開発で激しく競っていた時代。

月の表面を自動操縦で走行するロボットなど、当時の最先端宇宙工学を駆使した装置などの60%はウズベキスタンで製造されていたらしく、今でも「あの時のウズベキスタンは科学力も世界トップレベルだったのに・・・」と懐かしむ人も少なくないらしい。

 

「いやいや、わしの時から最先端やったんやぞ!」と言わんばかりのドヤ顔のウルグベク先生。

今のウズベキスタンを叱咤激励しているみたい。

 

***

 

9月1日はウズベキスタンの独立記念日。

「ソ連時代の生活はめちゃくちゃだったけど、でも良かったよなぁ」という声も少なからず聞こえてくる。

 

ポスト・ソ連の若い人たちは、地下鉄の駅から何を感じるているんだろう。