11月18日・カール・ヴェーバー「魔弾の射手」 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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11月18日は、調査実務家のジョージ・ギャラップが生まれた日(1901年)だが、オペラ「魔弾の射手」を書いた作曲家ヴェーバーの誕生日でもある。

カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバーは、1786年、現在のドイツのオイティーンで生まれた。父親は元軍人で、歌劇の監督をし、自分で劇団を旗揚げした。カールは、3人きょうだいのいちばん上で、モーツァルトの妻コンスタンツェの従弟である。名前に貴族の家柄を示す「フォン」があるが、ヴェーバー家の場合はそのふりをしているだけで、実際には貴族ではなかった。
ヴェーバーは小さいころから父親の巡業について各地を旅しながら育った。そんな環境のなかで音楽に親しみ、やがてハイドンの弟に師事するなど、本格的に音楽を勉強しだし、13歳のときに、はじめてのオペラを作曲した。
18歳の年にヴロツワフの楽団の楽長、27歳のときにプラハ歌劇場の芸術監督に就任。傾きかけていた劇場を建て直し、31歳でザクセンの宮廷楽長となった。
ドレスデン歌劇場でドイツ・オペラを上演しながら、みずからピアニストとしてヨーロッパを公演旅行してまわり喝采を浴びた。
35歳のとき、オペラ「魔弾の射手」を発表。初演から大好評を博した。
39歳のとき、結核の身をおして英国ロンドンへ渡り、自分の書いた英語のオペラ「オベロン」の初演を指揮した後、病状が悪化し、1826年6月、ロンドンで没した。39歳だった。

ヴェーバーのことを、自分は学校のころ、英語読みで「ウェーバー」と教わった。もともとクラシックにうとい自分は、オペラとなるといよいよ聴かないのだけれど、ヴェーバーの「魔弾の射手」だけはすこし聴く。静かにはじまる序曲や、ポップな感じの狩人の歌など、すてきだと思う。音楽はいいけれど、このオペラの筋立てには疑問があった。

「魔弾の射手」は、ボヘミアの森に住む狩人が、侯爵主催の射撃大会に出場する話である。大会直前になって、射撃の名手の狩人は急に不調となり、練習でも弾が的にぜんぜん当たらない。大会の優勝には、森林保護官という彼の就職と、保護官の娘である恋人との結婚の二つがかかっていて、そのプレッシャーのせいかもしれない。焦った狩人は悪魔と取り引きをして、7発の弾のうち6発は射手の思い通りに命中し、7発目の弾は悪魔の思い通りに命中するという魔弾を手に入れ、大会に臨む。

ヴェーバーの「魔弾の射手」は、観客にいい気持ちで帰ってもらうように、悪者が倒れ、狩人は恋人とめでたく結ばれる、というハッピーエンドが用意されているのだけれど、自分は以前から、このお気楽な筋立てにどうなのかなあ、と疑問を感じていた。
最近資料を読んで、どうやらこの話のもととなったドイツに古くから伝わる民話では、悲劇的な結末だったと知った。狩人の恋人は魔弾に当たって死に、彼女の両親も亡くなり、狩人は気が狂ってしまうというのが、もとの民話の筋立てらしい。理由はどうあれ、悪魔の弾に手を出した者が、そうかんたんにハッピーエンドを迎えてはなあなどと、偏屈屋の自分は納得したのでした。
(2014年11月18日)


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