クラシックにうとい自分だが、近ごろはドビュッシーばかり聴いている。。
クロード=アシル・ドビュッシーは、1862年、仏国パリで生まれた。父親は元海軍兵で陶器店の経営者だった。
8歳のころから伯母にピアノを習っていたクロードは、わずか10歳でパリ音楽院に合格。このとき、音楽院は受験生157名中、合格者33名という難関だった。
音楽院でピアノ、和声学、作曲などを学び、ピアノ演奏で数々の賞を受賞し、19歳のとき前奏曲「亜麻色の髪の乙女」を書いた。23歳から25歳のころまでイタリアのローマへ留学した。
依頼された作曲、楽譜出版による原稿料、音楽の家庭教師、ピアノ演奏などで生計を立てたが、つねに生活は貧窮し、高利貸からよくお金を借りた。とはいえ、とくに節約をするわけではなかった。
40歳のとき、ベルギーの詩人モーリス・メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」をオペラ化し、成功。以後はピアノ演奏と並行して指揮者としても活躍したが、生涯を通じて経済的な不安が念頭を去ったためしはなかった。
ドビュッシーは、ワーグナー、ストラヴィンスキーを尊敬していた。彼はまた、エリック・サティのピアノ独奏曲「ジムノペティ」をオーケストラ用に編曲して、みずから指揮して喝采を浴びたりした。
ピアノ曲「月の光」、
管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」、
夜想曲「雲」「祭」「シレーヌ」、
交響詩「海」、
舞台用楽曲「聖セバスティアンの殉教」、
歌曲「マラルメの3つの詩」、
バレエ音楽「遊戯」などを書いた後、第一次世界大戦末期の1918年3月に、大腸ガンのため没した。55歳だった。
ドビュッシーは社交的な男ではなかったようだが、女性にはもてた。出会った女性にすぐにふらふらと寄っていき恋愛関係におちいるので、彼の心変わりを知った女性がピストルで自殺未遂を起こす事件を2度引き起こしている。ドビュッシーは、自分を結婚に不向きで、結婚は芸術的な自由をはばむと避けていたらしいが、それでも45歳でできちゃった再婚をした後は、ようやく腰を落ち着けた。
自分は、モーツァルトやベートーヴェンからクラシックに入った。そしてようやくドビュッシーの10枚セットを買い込んで聴きだし、そのすてきな音楽にうっとりひたるようになった。
ドビュッシーを聴いた後でモーツァルトやベートーヴェンを聴くと、目の前にがっしりとした大理石の巨大な建築物がそびえているような気がしてくる。
ベートーヴェンのような、第一主題のメロディーが提示され、それが展開され、つぎに第二主題が提示されて展開があり、今度は第一主題と第二主題がからみあっていく、というような決まりごとから解放された自由を、ドビュッシーの音楽に感じる。
どこが主題でどこが主題でないのかわからないような、打ち寄せ、移ろう波の動きを音楽で表現したような、とりとめのなさが自由で、のびやかで、心地よい。
ドビュッシーは、すわってぼんやりと、空の雲が刻々と家たらを変えて流れていくのを見ているのが好きだったそうだ。自分もときどきそれを思い出しては、ぼんやりと雲をながめるようにしている。ドビュッシーの音楽は、現代人が失くした大切ななにかを思い出させてくれる気がする。
(2014年8月22日)
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