自分は画家サルバドール・ダリの本を読んでいて、彼の友人だったロルカを知った。
ガルシア・ロルカは、1898年、スペインのアンダルシア地方、フエンテ・バケーロスで生まれた。本名は、フェデリーコ・デル・サグラード・コラソン・デ・ヘスス・ガルシーア・ロルカ。父親は裕福な農場主で、母親は元小学校教師だった。ガルシアは、長男で、舌に弟と妹が2人ずついた。
生後2カ月のとき、ガルシアは小児麻痺をわずらい、その後遺症のため、生涯を通じて
行に障害があった。
少年のころは音楽家志望だったロルカは、18歳のころから文学への傾倒を強め、詩や散文を書くようになった。
21歳のとき、マドリードの学生館で暮らし、法律学を学びだした。そこでダリや、映画監督のルイス・ブニュエルなどと友情を結んだ。
学生館でロルカは、詩を書いてはギターを弾きながら歌にのせてそれを歌い、戯曲を書いてはそれが劇場で上演され、しだいに有名になっていった。
23歳のとき、詩集『詩の本』を出版。
29歳のときには、歴史劇『マリアナ・ピエーダ』が上演され、その舞台装置はダリが担当した。
30歳で詩集『ジプシー歌集』を発表。
31歳のとき、米国ニューヨークへ渡り、コロンビア大学に短期留学。
32歳のとき、スペインへもどった。が、当時、スペインの政情は急速に不穏になり、ロルカが38歳の年に、スペインでは左翼系の人民戦線内閣が成立し、教会財産を没収し、ブルジョワを弾圧する政策を実施した。
これに反対する保守派の応援を得た軍隊が蜂起した。同時に、アフリカのモロッコで挙兵したフランコ軍が、地中海を渡って侵攻して加勢。スペインは内戦状態におちいった。
ロルカは、左翼系の知識人と見なされ、フランコ率いる軍側からつけねらわれだした。そうして、1936年8月、かくまってもらっていた友人宅で逮捕され、身柄を拘束された。軍側によって連れだされ、縛られ、歩かされていたとき、後ろから射殺された。38歳だった。
ロルカの死の報を聞いたとき、ダリは、
「オレーッ」
と叫び、絶句したという。
「何故わたしに身をまかせたのか、褐色の光よ!
愛に満ちた お前の百合のセックスと
お前の胸の鼓動とを
何故わたしにくれたのか?
わたしのさびしげな顔つきが その理由なのではなかったろうか?
(おお ぶざまなわたじき歩き方!)
もしや、 歌にやつれたわたしの生命を
憐れんででもくれたのだろうか?」(小海永一訳「夏の恋歌」『世界現代詩文庫21 ロルカ詩集』土曜美術社)
フランコ統治下のスペインでは、ロルカの詩集は発禁本だった。
ロルカは、なんだかフランスの小説家ラディゲに似ている。その詩は瑞々しく情緒的なのだけれど、或る硬質なものを自分は感じる。それにしても、戦争というのは、民族の誇りである詩人を無慈悲に殺してしまう。つくづくひどい話だ、と思う。日本もまたそういう時代が近づいてきている。
(2014年6月5日)
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