5月17日は、アイルランドの音楽家、エンヤが生まれた日(1961年)だが、作曲家、エリック・サティの誕生日でもある。
自分はジャン・コクトーを読んでいて、サティのことを知り、聴くようになった。
エリック・サティは、1866年、仏国の英仏海峡に面した街オンフルールで生まれた。父親は海運業を営んでいた。母親は英国生まれのスコットランド人だった。
エリックが4歳のころ、父親は事業をたたみ、一家はパリへ引っ越した。父親はパリで役所の翻訳仕事をした。エリックが6歳のとき、母親が没し、エリックは弟とともに、オンフルールの祖父のもとに預けられた。そして6年後にパリの父親のもとへもどった。
13歳でパリ音楽院に入学したエリックは、20歳のとき音楽院を退学し、酒場のピアノ弾きになった。
22歳のとき、ピアノ曲「3つのジムノペディ」を作曲。
24歳のとき、秘密結社「薔薇十字団」の創始者と出会い、入団。ピアノ曲「薔薇十字教団の最初の思想」「バラ十字教団のファンファーレ」などを作曲した。
29歳のころピアノ曲「ヴェクサシオン」を作曲。
48歳のころ、ふたまわり年下のジャン・コクトーと知り合い、彼らは画家のパブロ・ピカソを加えて、脚本コクトー、美術・衣裳ピカソ、音楽サティというトリオを組み、前衛バレエ劇「パラード」を作った。上演すると、非難ごうごうだった。
ラヴェル、ドビュッシーに強い影響を与えたサティは「貧しき者の夢想」「(犬のための)ぶよぶよした前奏曲」「自動記述法」「気むずかしい気取り屋の3つの高雅なワルツ」「官僚的なソナチネ」「不愉快な概要」など、変わった題名の曲を多く発表した後、1925年7月、肝硬変のため、入院先のパリの病院で没した。59歳だった。
サティは演奏会用の楽曲を作る一方で、家具の音楽、ということを提唱した人でもあった。家具のように、日常にふつうに存在していて邪魔にならない音楽ということで、これは後にブライアン・イーノが作りだした環境音楽に通じると思う。
サティの「ヴェクサシオン」は「嫌がらせ」「しゃくの種」という意味で、1分程度の部分を840回繰り返すという指示が付いていて、世界一長い曲とされる。
こういう曲がめったにコンサートホールで演奏されないのは当たり前で、はじめて「ヴェクサシオン」が演奏されたのは、サティが没して約40年後、沈黙の音楽「4分33秒」の作曲家ジョン・ケージによってだった。演奏に18時間40分かかったという。
でも、ジョン・ケージは演奏すると約639年かかる「ASLSP(As SLow aS Possible)」を発表していて、さらに、ショパンのマズルカのなかにも永遠に繰り返す楽曲があって、永久に終わらない曲もあるというから、上には上があるものだ(サティも、永遠に繰り返す曲を書いている)。
コクトーによると、サティはこう言ったそうだ。
「肝腎なのはレジオン・ドヌール勲章を拒絶することではないんだよ。なんとしても勲章など受けるような仕事をしないでいることが必要なんだ。」(曽根元吉訳「サティ万歳」『ジャン・コクトー全集第四巻』東京創元社)
この思想は、現代の資本主義社会の思想ともっとも遠いところにある、現代人が黙して傾聴するべき命題だと思うけれど、どうだろう。
自分はサティが好きで、いろいろ聴いてきた。「家具の音楽」を志向した彼の音楽はどの家にもしっくりと収まるので、サティを嫌う人はおそらくいないだろうけれど、どれを聴こうかしらという人には「あなたがほしい……(Je te veux)」など、おすすめします。
(2014年5月17日)
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