5月18日は、映画のフランク・キャプラ監督の誕生日でもある。自分はキャプラ作品の心温まる作風がけっこう好きである。代表作は「或る夜の出来事」「オペラハット」「我が家の楽園」。この3作はすべてアカデミー監督賞受賞作だというからすごい。
フランク・キャプラは、1897年、イタリアのシチリア島で生まれた。誕生時の名はフランシスコ・ロサリオ・キャプラ。生家は果樹園を経営していて、フランクは7人きょうだいのいちばん末っ子だった。生活が苦しく、彼が5歳のとき一家は米国へ渡った。移民船がニューヨークに近づいたころ、あたりは暗かった。船が自由の女神像の前を通りかかると、父親は女神が掲げたたいまつの光を見上げ、フランクに言ったという。
「あれは自由の灯だ。よく覚えておくんだよ。自由だ。(That's the light of freedom! Remember that. Freedom.)」
米国に入国した一家は、大陸を横断して、西海岸のロサンゼルスに住みついた。父親はオレンジ畑で働き、フランクも子どものときから新聞売りをして家計を助けた。父親の希望で、フランクは工業のカレッジに進んだ。酒場のバンジョー弾きなどさまざまなアルバイトをしながら苦学してカレッジを卒業した。
卒業後間もない21歳のとき、徴兵され陸軍に入った。彼が従軍中に、父親が没した。
インフルエンザにかかり除隊したフランクは、23歳のとき、米国に帰化し、フランク・ラッセル・キャプラとなった。
除隊後は、家に帰った。すると、きょうだいのなかで唯一カレッジを出ていて、かつ、唯一定職についていないのがフランクだった。
彼は家を出て、サンフランシスコへ行き、農場で働いたり、映画のエキストラをしたり、ポーカーゲームをしたり、本のセールスをしたりして生活費を稼いだ。
そうして生活に窮しかけたとき、新聞でサンフランシスコに新しい映画の撮影所がオープンするという記事を見かけた。キャプラは撮影所に電話をかけ、ハリウッドからやってきた者だが、と自分を売り込んだ。キャプラの映画経歴などないに等しかったが、撮影所側は彼に興味を示し、フィルム1巻のドキュメント映画を撮るよう彼に依頼した。キャプラは素人のキャストでそれを2日間で撮り上げた。
それを出発点に、キャプラは映画の助監督、脚本家をへて、映画監督となった。
「或る夜の出来事」「オペラハット」「我が家の楽園」「スミス都へ行く」「素晴らしき哉、人生!」など、アメリカン・ドリームとヒューマニズムを盛った良心的な作品を撮る、ハリウッドを代表する監督となった。
1991年9月、心不全のため、カリフォルニア州で没した。94歳だった。
キャプラの作品では、クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールが主演した恋愛コメディ「或る夜の出来事」がいちばんよく知られているかもしれない。アカデミー賞の主要部門を独占したこの映画は、コルベールがヒッチハイクするクルマを止めるために、スカートの裾を上げて脚を見せるシーンで、とても有名である。
キャプラ作品によく登場する女優ジーン・アーサーが自分は好きで、キャプラ作品はけっこう観ている。「オペラハット」「我が家の楽園」「スミス都へ行く」などで、庶民派アイドルといった役どころを演じている。ジーン・アーサーは、西部劇の「シェーン」の、あの少年の母親役だといったほうがわかりが早いかもしれない。
新大陸に希望を夢見て渡ってきたイタリア系移民の子どもは、自由の女神に迎えられ、ふと見かけた新聞記事にチャンスをつかみ、成功をつかんだ。キャプラの撮った映画より、キャプラ自身の人生のほうが、よりドラマティックだと思う。
(2014年5月18日)
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