5月5日は、端午の節句。この日は作家、中島敦が生まれた日(1909年)だが、言語学者、金田一京助博士の誕生日でもある。横溝正史が書いた名探偵・金田一耕助の名のもとである。
自分は小学校のころから、長いあいだ金田一京助博士が編纂した小さな国語辞典を使っていた。表紙をめくった見開きに、関東と関西のことばのイントネーションのちがいを表した図が並んでいて「西」とか「箸」とかいうことばの発音の上げ下げが図式で示されてあった。本文のことばも、一般的な表記でなく、実際に発音されている音に沿った表音主義で並んでいたと思う。ほかの国語辞典とはまったく異なって個性的で、自分はとても気に入っていた。
金田一京助博士は、1882年、岩手の盛岡で生まれた。旅館を経営する家の長男だった。
二高(いまの東北大学)をへて、東京大学の言語科を卒業した25歳の金田一はアイヌ語を調査するために単身、南樺太を旅した。
26歳の年から中学教師として働きながら、同郷の友人、石川啄木を居候させ就職を世話したり、アイヌ民族の人々を家に滞在させてアイヌ語や、アイヌの叙事詩であるユーカラを取材、記録、研究した。
40歳で国學院大学、46歳で東京大学の教授となった。NHK放送用語委員、国語審議会の委員を務めた後、晩年は認知症となり、1971年11月に没した。89歳だった。
これは、国語の教科書にも載っていた話だけれど、金田一京助博士がアイヌ語研究を志したのは、大学時代の先生がこういう内容を言ったのがきっかけらしい。
「アイヌは日本にしか住んでいない。アイヌ語研究は日本の学者の責任である」
自分は金田一京助博士や、彼の息子、春彦の書いた本を、けっこう読んできた。京助博士の自伝や、春彦の『父京助を語る』(教育出版)なども読んだ。
自分が愛用していた国語辞典の「金田一京助・編」だが、息子によると、あれは名前を貸しただけで、京助博士は辞書作りにはまったく参加していなかったらしい。自分は編者の名前にひかれて買ったわけではないけれど、内情を知りなんだかびしかった。出版界というのは、これだから悲しい。金田一京助博士ほどの人でもこうなのだから、いわんやほかの学者たちをやで、世の中には立派な著者名が刷ってあるけれど、実際にはべつの人が書いているという本がごまんとあることを自分はよく知っている。かくいう自分も編集者として過去にそういう本をたくさん作ってきていて、慙愧の念に耐えない。いまでも「誰でもいいから適当に書かせて、名前は誰々先生にしようか」などとやっている編集者はごろごろしている。
それにしても辞書の表紙にうそのことばが刷ってあるというのは象徴的だと思う。
これも同じ本のなかで息子が書いていたけれど、京助博士があちこちに入れ墨をしたアイヌの人たちを家に泊まらせたり、石川啄木を居候させたりしたのを、家族はずいぶん嫌っていたらしい。とくに石川啄木の悠々とした居候ぶりを忌ま忌ましく感じていたようだ。でも、後に石川啄木が国民的歌人として有名になり、彼の不遇時代を助けたことで、彼ら家族がどれだけ多くの恩恵をこうむったか知れない、とも書いてあった。
家計をあまりかえりみない父親を反面教師として、息子の春彦は辞書の編者などをたくさん引き受けて、なるたけお金になることに精を出した、そういう側面もあったらしい。
金田一春彦の『日本語』(岩波新書)などを読んで、自分は息子のほうにもずいぶんお世話になっているのだけれど、やはり父親の京助博士と並べると、どうしても息子は、商売上手だった学者と、小さく見えてしまう。
京助博士を有名にしたのは、もちろんアイヌ語の研究だけれど、でもその立派さは、博士の人生意気に感ずの精神や、他人に示した人情の温かさなど、博士の人間性から発せられていると思う。
(2014年5月5日)
●おすすめの電子書籍!
『出版の日本語幻想』(金原義明)
編集者が書いた日本語の本。編集現場、日本語の特質を浮き彫りにする出版界遍歴物語。「一級編集者日本語検定」付録。
●あなたの原稿の電子書籍化、おまかせください。
http://www.meikyosha.com