5月6日は精神分析学者、フロイトが生まれた日(1856年)だが、作家のガストン・ルルーの誕生日でもある。
自分は小中学校のころは推理小説好きで、ルブラン、シムノン、ガードナーなどいろいろ読んだが、ルルーもそのひとりだった。ルルーといえば、多くの日本人にとっては『オペラ座の怪人』かもしれない。でも、自分にとってはなにより、密室殺人事件もの『黄色い部屋の謎』の作者だった。
ガストン・ルルーは、1868年、仏国のパリで生まれた。父親は土木関係の仕事をしていて、大変なお金持ちだった。
ガストンは、法律学の道に進んだが、ロースクールを卒業した21歳のころに父親が亡くなり、百万フランの遺産がころがりこんだ。ガストンはただちに派手な放蕩生活に入り、たった1年ほどで莫大な遺産をつかい切り、破産寸前になった。
仕事につく必要に迫られた彼は、法律関係の職にはつかず、新聞記事を書くジャーナリストとなった。
その後、新聞社の社員記者になり、文化欄を担当したり、特派員として海外をとびまわったりした。日露戦争やロシア革命の記事も書いたという。
有名なジャーナリストだった彼は、39歳のころ、突如ジャーナリストをやめて、小説を書きだした。そうして発表したのが『黄色い部屋の謎』で、それはまったくの密室のなかで、美しい娘がひとり、頭を割られた無残な姿で死んでいた。この謎に18歳の若き新聞記者が挑むという話で、好評を博した。
ルルーは、42歳のときには『オペラ座の怪人』を発表。こちらはパリのオペラ座が建設された当時にあった事件や幽霊のうわさ話を聞いて、突如インスピレーションのひらめいたルルーが一気に書き下ろした怪奇ロマン小説で、大評判となった。オペラ座の複雑な構造をした奈落に、謎の男が住んでいるというこの話は、作者が48歳のときドイツで、57歳のときには米国で映画化され、それ以後も何度も映画になり、舞台にもかかり、その都度世界各地でヒットを記録している。
1927年4月、ルルーは尿毒症のため、地中海に面した街ニースで没した。58歳だった。
『オペラ座の怪人』と聞くと、自分はなによりも先に、あの有名な、不吉な運命を予感させるテーマ音楽が耳によみがえる。
ルルーは、英国でいえばコナン・ドイル、米国でいえばアラン・ポーにあたるフランス推理小説の開祖的存在である。自分が読んだのは何十年も昔のことで、ほとんど忘れてしまっているのだけれど、ルルー作品はとにかく人物造形がすぐれている、との印象が残っている。
それにしても、莫大な遺産をあっという間につかい尽くしてしまうという豪胆さには驚く。シェイクスピアは家を買った借金を返すために書き、バルザックは終生借金しつづけて書いたけれど、創作にはそういう側面があるのかもしれない。谷崎潤一郎も、まず出版社に借金をして、それから書いた。村上龍は講談社から大金を借りて、その返済のために代表作『コインロッカー・ベイビーズ』を書いた。或る種のすぐれた創作は、経済的困難に背中を押されないと、成らないのかもしれない。
(2014年5月6日)
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