5月3日・ビング・クロスビーの隠し遺産 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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5月3日、憲法記念日のこの日は、『君主論』の著者マキャヴェリが生まれた日(1469年)だが、「ホワイト・クリスマス」を歌ったビング・クロスビーの誕生日でもある。

ハリー・リリース・クロスビーは、1903年、米国西海岸のワシントン州タコマで生まれた。父親は英国イングランド系の簿記係で、母親はアイルランド系だった。7人きょうだいの上から4番目だったハリーは小さいころから、当時のマンガのキャラクターをとって「ビング」のあだ名で呼ばれていた。
音楽、演劇好きだったビングは、大学時代にジャズ・バンドを組み、23歳のときに楽団に歌手として入り、20代の後半にソロ歌手としてデビュー。1930年代にラジオの普及とともに、クロスビーの人気は広まった。オペラ歌手とはちがう、マイクで集めた声を増幅してスピーカーから出すというマイクロフォン・システムを生かし、クロスビーは抑えた音量でなめらかに歌う歌唱法「クルーナー・スタイル」を確立した。やわらかく温かみのある彼のバリトンに、不況期にあった世界の人々の心を温めた。ラジオ番組「ビング・クロスビー・ショー」で人気を博した彼は、その後、映画に進出し、世界的な人気を博した。
1977年10月、英国での公演を終えた後、スペインでゴルフ・プレイ中に心臓発作を起こし、没した。74歳だった。

1930年代、ビング・クロスビーは世界でもっとも人気のある歌手だった。その後1940年代にフランク・シナトラ、1950年代にエルヴィス・プレスリー、1960年代ビートルズ、そして1970年代にはデヴィッド・ボウイが出たが、クロスビーは亡くなるまで世界中の歌手が仰ぎみる尊敬の的だった。
自分は彼が晩年に出演したクリスマスのテレビ番組を見たことがある。イヴにクロスビーが家の居間でひとりぼっちでいると、ドアのチャイムが鳴り、不意の来客が現れる。
「すみません、近所に住んでいるデヴィッド・ボウイというものですが」
と、ボウイが入ってきて、二人でクリスマス・ソングをデュエットするのだった。クロスビーが歌う「リトル・ドラマー・ボーイ」の上に、ボウイは「ピース・オン・アース」をかぶせて歌い、それがみごとなハーモニーをかもしだして、すてきだった。

クロスビーがスターになった時代は、大恐慌のまっただ中で、そんな時代に、彼はぬくもりのある歌声で歌い、ヒューマニズムあふれる役柄を映画で演じつづけた。映画「我が道を往く」「ホワイト・クリスマス」の心温まる味わいは忘れがたい。彼は、貧しい一般大衆に「幸せはお金じゃない。人間はハートだよ」というメッセージを発していたと思う。

ビング・クロスビーは世界的なスターだから、もちろん莫大な資産があっただろうけれど、興味深いことに彼はそれを「隠し信託(blind trust)」という、遺産相続者にわからない形で代理人に委託して亡くなった。
「自分の子たちは、65歳の誕生日がくるまで、この遺産を知らされず相続もできない」
という相続条件が付いていた。
クロスビーは生涯に二度結婚していて、27歳で女優と最初の結婚をした。49歳のとき、妻と死別した後、独身にもどり、グレース・ケリーなどとつきあった後、54歳でべつの女優と再婚している。彼が最初の妻とあいだにもうけた4人の子どもたちは、長男が62歳で肺がんで没し、次男と四男がそれぞれ56歳と51歳で拳銃自殺した。65歳に達し、遺産を相続できたのは69歳まで生きた三男だけだったようだ。
クロスビーは子どもらのことを思って隠し信託にしたのだろうし、それはまちがっていなかったと思うけれど、感慨深いものがある。
(2014年5月3日)



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