10月29日は、実業家の「ホリエモン」こと堀江貴文が生まれた日(1972年)だが、ハレー彗星の出現を予言した天文学者、エドモンド・ハレーの誕生日でもある。
ハレー彗星の話は、小学校の低学年のころからいろいろ聞いていた。ずっと昔、ハレー彗星が近づいてきたとき、一時的に地球の空気が吸い取られ、またもどるといううわさが広まり、その空気がない時間帯をやりすごすため、タイヤのチューブが売れた(チューブ内の空気を吸って生き延びるという魂胆らしい)とか、『ハックルベリイ・フィンの冒険』を書いたマーク・トウェインは、ハレー彗星が来た年に生まれ、「自分はハレー彗星が来たときに死ぬ」と言っていたが、その通りになった、とか。
エドモンド・ハレーは、1656年、英国イングランドのロンドンで生まれた。父親は石けんを製造していて、裕福な家庭だった。
エドモンドは、セント・ポール・スクールをへて、17歳の年にオックスフォード大学に入学した。大学在学中に彼は、太陽系惑星と黒点に関する論文を書いた。
19歳のころ、グリニッジ天文台の天文学者の助手になった。
20歳になる年から、後にナポレオンの流刑地として有名になる南大西洋のセントヘレナ島に滞在して天体観測をおこない、帰国後にその南半球で観測した三百以上の恒星のある天球図を発表した。この功績により、ハレーは王立学会のフェローに選ばれた。
ハレーは天文学だけでなく、物理学、気象学、数学、統計学など、幅広い分野でめざましい足跡を残した。死亡統計から割り出した終身年金の論文を書き、大西洋を航海、観測して地磁気の海図を作り、海底調査用の潜水器具を発明した。
49歳のころ、彼は彗星の周期に関する論文を発表した。これは過去の観測記録を綿密に検討した結果、ハレーが26歳だった1682年に天空に現れたほうき星は、1456年、1531年、1607年に現れたほうき星と同じもので、周期が約76年であるため、つぎは1758年に現れるであろう、と予言したものだった。
64歳の年に、ハレーグリニッジ天文台長となった。そうして生涯にわたって天文観測を続けた後、1742年1月に没した。85歳だった。
そして、彼が没した16年後、ハレーの予言した通り、空に彗星が現れた。
1986年にハレー彗星が接近したとき、自分はそれを見るためにオーストラリアへ行くことを真剣に検討した。日本からでは、ハレー彗星は水平線の下に隠れてしまい、見られないからだ。で、結局、八丈島まで行って、泊まった旅館のご主人の双眼鏡を借りて、夜明け前の水平線ぎりぎりに見えるほうき星を、ようやく見ることができた。つぎにハレー彗星がやってくるのは、2061年の夏だそうで、それを見ることは、おそらく自分にはかなわないだろう。
自分の死後に起こることを、確信をもって言い当てて死ねる、というのは、すごいことだと思う。神さまみたいである。
(2013年10月29日)
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