「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」。7月6日は、俵万智の短歌により「サラダ記念日」。この日は、ダライ・ラマ14世生まれた日(1935年)だが、メキシコの女流画家、フリーダ・カーロの誕生日でもある。
自分はずっと以前、どこかの女性月刊誌の恋愛特集のページで、フリーダ・カーロのことを知った。記事のなかでは、彼女と画家のディエゴ・リベラの関係が取り上げられてあった。その後、彼女の絵を目にする機会があって、キャンバスに表現されたその強烈な個性に驚かされた。
マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロンは、1907年、メキシコのコヨアカンで生まれた。父親はユダヤ系ドイツ人の写真家だった。
6歳のとき、フリーダは小児麻痺にかかり、右足の発育が遅れ、左足に比べて細くなってしまった。このため、彼女はずっと長いスカートを愛用しつづけた。
15歳の年に、フリーダは、国立予科高等学校へ入学した。この学校在学中に、フリーダは、政治運動や絵画に傾倒するようになった。
18歳のとき、彼女は乗っていたバスが路面電車と衝突するという大事故に遭遇した。この事故で、彼女のからだは押しつぶされ、脊柱、鎖骨、肋骨が折れ、右足の骨が11カ所で砕け、鉄製の手すりが腹部に突き刺さり、彼女の子宮を貫くという重傷を負った。彼女は35回の外科手術を受け、後遺症による激痛に生涯つきまとわれることになった。
21歳のころ、フリーダは、巨漢の壁画画家、ディエゴ・リベラと知り合い恋に落ちた。二人は結婚。フリーダ22歳、リベラ43歳、21歳の歳の差婚だった。
リベラは漁色家で、結婚後も間なしに女性と関係をもちつづけ、フリーダの妹にまで手を出した。一方、フリーダはバイセクシュアルで、同性とも異性とも関係をもった。彼女はアメリカ人彫刻家のイサム・ノグチや、亡命した革命家のトロツキーとも関係があったという。フリーダは子を身ごもったこともあったが、流産した。
フリーダたちの夫婦仲は疎遠になっていき、フリーダが32歳のとき、二人は離婚した。
しかし、彼女の体調が悪化するに及んで、彼女はリベラに再婚を打診し、リベラはそれを受け入れた。かくして二人は、離婚した翌年にふたたび結婚した。
46歳のとき、フリーダは、壊疽が進んだ右足を切断。義足を使用するようになった。
フリーダは、1954年7月に没した。47歳だった。死因は肺炎だが、自殺説も存在する。
フリーダは、バスの交通事故が自分にもたらした影響を象徴的に描いた自画像を何枚も描いている。それは、ベッドに仰向けに寝た女性が、下半身を露出し、広げた足のあいだから、死んだ赤ん坊が出てきつつある絵だったり、鹿のからだをもつ彼女が全身に矢を浴び、手負いで駆けている絵だったり、あるいは、からだじゅうに釘を打ち込まれ、粉々に砕けた背骨がむきだしになっている自画像だったりする。
フリーダの絵画について、ピカソは絶賛し、こう言ったそうだ。
「彼女の絵は、ほかの者にはけっして描けない」
まったくその通りで、フリーダ・カーロは、まったくの個人的な事情を、超現実主義的な自画像にして芸術にまで昇華させた。いわば「自分へこだわり」が美術史上にそびえ立っているのである。
苦痛に満ちた人生だった。亡くなる数日前の日記に、彼女はこう記しているそうだ。
「退場が喜ばしいものであってほしいとわたしは願う。そして、わたしは二度ともどりたくない。フリーダ」
いま、苦痛なしに生きているのなら、それは大喜びし、感謝すべきなのだろう。
彼女の人生はすごすぎて、ことばもない。
(2013年7月6日)
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