7月5日は、英国のファッションデザイナー、ポール・スミスが生まれた日(1946年)だが、仏国の詩人、ジャン・コクトーの誕生日でもある。
自分がはじめて読んだジャン・コクトーの詩は、小学校か中学校の国語の教科書に載っていた「耳」という詩だったと思う。
「私の耳は貝の殻
海の響きをなつかしむ」(堀口大学訳「ポエジーより」『ジャン・コクトー全集第一巻』東京創元社)
以来、コクトーは自分のアイドルであり、自分の心の聖域である。
ジャン・コクトーは、1889年、仏国パリ郊外の別荘地、メゾン=ラフィットで生まれた。父親は47歳で、ジャンの母親と結婚した33歳のころから働かずに暮らす金利生活者だった。ジャンは、裕福な環境のなかで両親に偏愛されて育った。
8歳のとき、父親がピストル自殺。動機について真相は不明らしい。
彼は授業をさぼってはスケート場や遊技場にでかけていた不良学生だったが、大学入学をあきらめて、読書三昧の生活を送った結果、20歳のときには、詩集『アラディンのランプ』を出版した若き天才詩人として、パリ社交界の寵児となっていた。
24歳になる年、コクトーは、ロシア・バレエ団の『春の祭典』を見て衝撃を受け、それまでの自分と決別することを決意。デッサンや詩や譜面や散文で構成された、まったく新しい小説『ポトマック』の執筆にとりかかった。翌年、それを完成すると、コクトーはそれ以前に自分に発表した三冊の詩集をすべて絶版にし、著者目録からも削除した。
そこから「脱皮した詩人」コクトーの活躍がはじまる。
彼はバレエ「パラード」の脚本を書き、第一次大戦に強引に参加して奇跡的に生還し、小説『大胯びらき』『山師トマ』『恐るべき子供たち』を書き、映画「詩人の血」「永劫回帰」「美女と野獣」「オルフェ」「オルフェの遺言」を撮った。
コクトーは自分の作品を「小説の詩」「評論の詩」「絵画の詩」「映画の詩」「絵画の詩」などと分類した。彼にとっては、すべては詩だった。
1963年10月、没。74歳だった。
自分はコクトーの大ファンで、全集はもちろん、『占領下日記』やそのほか全集に入っていない翻訳本やデッサン集などもそろえていて、フランス語の原書もすこし持っている。映画はもちろん映画館でも観たし、DVDでもそろえている。すべてがすばらしい。
まだコクトー未経験の方には、小説だったら『大胯びらき』か『恐るべき子供たち』を、映画だったら「オルフェ」か「オルフェの遺言」を見ることをおすすめしたい。このフランス詩人のポエジー(詩情)が、きっと伝わると思う。
コクトーは47歳のとき、来日している。日本を案内したのは詩人の堀口大学で、堀口がコクトーの素顔を書き残していて、とても興味深い。コクトーはひじょうに神経質で恥ずかしがりで、日本のペンクラブの歓迎会で、生まれてはじめてテーブルスピーチをしたそうだが、そのときコクトーは話をしているあいだずっと下を向いていて、一度も顔を上げなかったという。万能に見えるコクトーだけれど、20から8を引くの計算も、指を折って数えないとできないくらい、数学に苦手らしい。
「あんまり賢くなるな
貧乏するのが落ちだから!
のろまな人間の皮をかぶって、
君はどこへ行こうと流罪の身だよ。」(澁澤沢龍彦訳「ポトマック」『ジャン・コクトー全集第三巻』東京創元社)
自分は、悩んだときなど、このジャン・コクトーのことばを思い出す。
(2013年7月5日)
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ジャン・コクトー、カフカ、ロックフェラー、ヘルマン・ヘッセ、バーナード・ショー、フリーダ・カーロ、プルースト、ジャクリーン・ケネディ、黒沢清、谷崎潤一郎など7月誕生の31人の人物論。ブログの元になった、より詳しく深いオリジナル原稿版。7月生まれの存在意義とは。
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