7/7・マルク・シャガールの愛と自由 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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7月7日は七夕。この日は、作曲家のグスタフ・マーラー(1860年)、ザ・ビートルズのリンゴ・スター(1940年)が生まれた日だが、画家、マルク・シャガールの誕生日でもある。
自分がはじめてシャガールの絵を見たのは、中学生のころだった。やぎと人が見つめ合っている横顔が大きく描かれた絵で、小さく家並みが描いてあるのだけれど、よく見るとときどき家が逆さまだったりする。人も逆さだったり。「へんてこりんな絵だなぁ」と思ったが、その印象の強さといったらなかった。それは、後で思えば、シャガールの代表作のひとつ「私と村」だった。

マルク・シャガールは、1887年、当時帝政ロシアだったヴィテプスクのユダヤ人の家庭に生まれた。父親は魚屋で働き、母親は自宅で雑貨商をしていた。
19歳のとき、美術学校に入学。それから学校を何度か変えて、絵を学びつづけ、23歳のとき、仏国パリに出た。「私と村」はこのパリ時代、24歳のときの作品である。キュービズムの影響を受けたシャガールは、すでにパリで彼独特の、自由な色彩と画面構成による幻想的な画風を確立していた。
27歳のとき、シャガールはベルリン、ロシアへ旅行に出た。パリへもどるつもりだったが、第一次大戦がはじまり、もどれなくなった。それで、彼は故郷へ帰った。
28歳のとき、ベラと結婚。妻のベラはシャガールのモデルとなって、彼の作品によく登場するようになった。
第二次大戦がはじまると、シャガールは米国へ亡命。妻ベラは大戦中に米国で病死した。
戦後、シャガールはフランスへもどり、フランス国籍を取得して仏国に住んだ。
73歳のとき、当時仏国の文化大臣だった作家のアンドレ・マルローが、シャガールにパリ・オペラ座の天井画を依頼。シャガールはこれを77歳のときに完成させた。
86歳のとき、ニースに「マルク・シャガール美術館」が開館。
1985年3月、南仏のサン・ポールで没。97歳だった。

自分はシャガールの画集やポストカードをたくさんもっていて、自伝も読んだことがある。近くでシャガール展があると聞くと、いてもたってもいられず出かけていく。「私と村」の実物は、ニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)にあって、ニューヨークへ行くたびにその絵の前に長いこと立つ。

ほかの誰の絵にも似ていない、超現実的な独特の世界、それがシャガールの絵である。
強い個性というのは、しばしば、とげとげしさを伴っているものだけれど、個性のかたまりといっていいシャガールの絵にはとげとげしさがなく、温かくやさしい。
彼の絵のなかでは、巨大なニワトリがパリの家々の上に立って、エッフェル塔と話していたり、恋人たちが宙を飛んでからだをひねってキスしていたりしていて、人もヤギも馬車も自由に空を舞い、家々は寄り添い、みんなが愛にくるまれている。その世界端的に言うならば「愛と自由」である。

シャガールの絵は、分析しても仕方がない。とにかく、その絵を見つめて、絵の世界にひたり、その愛に包まれ、うっとりと楽しむ、そういう芸術である。
聞けば、シャガールは日本でもっとも人気の高い画家のひとりだという。
「なあんだ、みんな知っていて、みんな好きだったのか」
(2013年7月7日)



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シャガール、ジャン・コクトー、カフカ、ロックフェラー、ヘルマン・ヘッセ、バーナード・ショー、フリーダ・カーロ、プルースト、ジャクリーン・ケネディ、黒沢清、谷崎潤一郎など7月誕生の31人の人物論。ブログの元になった、より詳しく深いオリジナル原稿版。7月生まれの存在意義とは。

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