4/17・世界初の女性首相、バンダラナイケ | papirow(ぱぴろう)のブログ

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4月17日は、米国金融界の大財閥を作り上げたJ・P・モルガンが生まれた日(1837年)だが、スリランカの女性首相、シリマヴォ・バンダラナイケの誕生日でもある。
彼女は、世界ではじめて首相になった女性である。
自分は、スリランカのことはずっとよく知らないできた。インドの南端の近くのインド洋上に浮かんでいる島国だということと、昔はセイロンと呼ばれれていた国で、紅茶の産地であることくらいしか知らなかった。

シリマヴォ・バンダラナイケ(旧姓ラトワッテ)は、1916年、スリランカの名門一族ラトワッテ家に生まれた。
シリマヴォは、コロンボの聖ブリギット修道院で教育を受けたが、彼女はシンハラ人で、仏教徒だった。
ちなみに、スリランカ人の75パーセントは、彼女と同じシンハラ人で、タミル人が15パーセントほどいる。シンハラ人はシンハラ語を話し、タミル人はタミル語を話す。
そして宗教は、国民の70パーセントが仏教徒で、ほかにヒンドゥー教徒が約13パーセント、イスラム教徒とキリスト教徒も10パーセントくらいずついる。
だから、シンハラ語を話すシンハラ人の仏教徒であるシリマヴォは、スリランカの多数派、ということになる。

24歳のとき、彼女は国会議員のソロモン・バンダラナイケと結婚し、バンダラナイケ姓となった。
1956年の選挙で、夫ソロモンが党首だったスリランカ自由党が勝利し、夫が首相に。妻のシリマヴォは首相夫人になった。40歳だった。
ソロモン・バンダラナイケ首相は、社会主義的、民族主義的政策の推進論者で、公共交通の国有化を推し進め、シンハラ語を公用語とし、仏教を国教にしようとした。
これに対し、少数派のタミル人側がはげしく反発。各地で暴動が起き、死傷者が出る事態となった。事態を収拾するため、ソロモン政権は妥協案として、地方行政にタミル語の使用を認める法案を可決させた。
すると、この法案が、今度は身内であるシンハラ人側の反感を買い、1959年、ソロモン首相が、仏教僧侶によって暗殺されるという事件が起きた。妻シリマヴォが43歳のときだった。彼女は夫の遺志を継ぎ、政治の世界に飛び込むことになった。
1960年の選挙で、44歳のシリマヴォは、スリランカ自由党を率いて勝利し、首相の座についた。ここに世界初の女性首相、シリマヴォ・バンダラナイケ首相が誕生した。
首相に就任した彼女は、夫の政策を受け継ぐと宣言したが、そのとき感極まって涙を流し、「泣く未亡人」と呼ばれた。
「泣く未亡人」は宣言通り、ローマ・カトリック教会が運営していた学校や、米国系や英国系の会社などを国有化した。すると、米英は怒り、両国からのスリランカへの資金援助は打ち切られた。それで、彼女の政権は、中国やソビエト連邦寄りの政府となった。
国内状況は不穏で、軍の一部によるクーデター未遂などがあった後、シリマヴォは1965年の選挙で敗北し、首相の座を降りた。
1970年、54歳のとき、シリマヴォはふたたび選挙で勝利し、首相に返り咲いた。
2度目の首相時代も、国内は不穏で、1971年には左翼青年らによる暴動が勃発した。政府は、かろうじて首都にいる少数の政府軍に守られて無事だったが、地方では暴動がおさまらなかった。シリマヴォは外交手腕を発揮し、インドとパキスタンの軍事援助を受けて、ようやく暴動は鎮圧された。
この経験は、シリマヴォ・バンダラナイケを変えた。彼女は「泣かない未亡人」になった。
1972年、56歳のとき、彼女は新憲法を制定して、「セイロン」の国名を「スリランカ」に改めた。「スリランカ」はシンハラ語で「聖なるセイロン島」といった意味である。また、新憲法下では、仏教は特別な位置に置かれ、国は仏教を保護する義務がある旨が憲法に明記された。
これに反発したタミル人側は、分離独立を訴えた。タミル人たちのうち、若者を中心とした一派は、タミル・イーラム解放の虎(LTTE)を結成し、独立運動を開始した(やがて、LTTEは国内で活発にテロ活動をはじめ、スリランカはLTTEと政府側との内戦へと突入していき、内戦状態は2009年まで続くことになる)。
バンダラナイケ政権は国内の有力紙を国営化して政府広報紙とし、政府に批判的な新聞の発行を禁止するなど、封じ込め政策をとった。
強硬策をとりつづけるシリマヴォ・バンダラナイケ政権だったが、政治の腐敗や国内経済の悪化が進み、しだいに国民の支持を失っていった。その結果、1977年、シリマヴォが61歳のとき、選挙で敗北し、彼女は首相の座を降りた。
このときの政権交代を果たした新政権は、市場経済を導入し、スリランカ経済の自由化がはじまった。ときを同じくして、スリランカは大統領制へと移行した。
一方、首相の椅子を降りたシリマヴォ自身は、首相時代に権力を濫用した罪に問われ、7年間の公職追放処分を受けた。
公職追放処分が解けた後、彼女は政治に復帰した。彼女の娘のチャンドリカ・クマーラトゥンガが大統領に就任し、その娘の政権の下で、母シリマヴォは3度目の首相の座についたのだった。
2000年10月、シリマヴォ・バンダラナイケはコロンボで没した。84歳だった。

シリマヴォ・バンダラナイケ政権は、外交手腕はまずまず、国内政治は混乱を招いたので、いまいちだった、という評価になるだろうか。
もちろん、外野からものを言うのはかんたんで、一国の政治のかじとりは、容易なことではないのだけれど。

とにもかくにも、シリマヴォ・バンダラナイケは、世界史に新しい1ページを書き加えた偉大な女性である。
彼女に続き、その後、世界各国に女性首相が誕生した。インディラ・ガンディー印度首相、マーガレット・サッチャー英首相、アンゲラ・メルケル独首相、インラック・シナワトラ、タイ国首相……。こうやって並べてみると、みんな存在感が強い。女性の首相は、案外いいのでは? 日本の女性首相が登場するのは、いつだろう(いまでしょ、なんて)。
(2013年4月17日)



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