4月16日は、仏国の詩人、アナトール・フランスが生まれた日(1844年)だが、映画界の天才、チャールズ・チャップリンの誕生日でもある。
山高帽にちょびヒゲ、サイズのきつい上着、だぶだぶのズボンにステッキ、という独特のチャップリン・スタイル。
自分は、チャップリンの映画は、子どものころからよく観た。たぶん、はじめて観た彼の作品は、代表作とされる「黄金狂時代」だったと思う。貧乏な主人公の男が、ゴールドラッシュにわくアラスカの雪山へ行って、金鉱を見つけて一発当てようとする話で、チャップリンが制作、脚本、監督、主演と、ひとり4役をこなした映画である。あの作品では、吹雪のなか、チャップリンがいる山小屋がすべっていき、崖から落ちそうになるというマンガのようなエピソードや、観る者の気分をさっと変えてみせる鮮やかなラストもみごとだと思ったけれど、なにより、食べるものがなく、ひもじいチャップリンが、自分の靴をごちそうのようにうまそうに食べる、あの有名なシーンには衝撃を受けた。その発想に舌を巻いたし、世の中には、こんな天才芸を持った人がいるのか、と思った。
「チャーリー」の愛称で呼ばれるチャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニアは、1889年、英国ロンドンで生まれた。父親は寄席芸人で、母親も舞台女優だった。チャールズが生まれて1年後に、両親は離婚し、彼は異父兄とともに母親に引き取られた。母親は当時、スター女優で、子ども二人を育てられるくらいの収入はあった。しかし、母親がのどを悪くし、声が割れて、ステージで歌が歌えなくなると、事態は急激に悪化した。彼女の声は治らず、舞台に立てなくなり、貯えは底をついた。
チャールズが7歳のとき、母は苦渋の決断を下し、母子三人は貧民院に入った。
9歳のとき、母親は精神病を発症し、精神病院に入院した。彼ら兄弟は、裁判所の命令によって、アルコール中毒だった父親のもとに引き取られた。
母親は、その後、回復して、彼らはふたたび母子3人で暮らした。
チャールズが12歳のとき、父親が没し、母親はまた精神病を発症し入退院を繰り返すようになった。彼女の精神病の原因は栄養障害にあるとされる(彼女はその後、チャールズが39歳のとき、映画「サーカス」の撮影中に没した)。
学業を放棄したチャップリンは、新聞の売り子、印刷工、おもちゃ職人など、さまざま職業に就いて糊口をしのぎながら、俳優を目指した。12歳のとき、年齢を14歳といつわって俳優斡旋序に登録し、地方巡業する劇団の役を得た。チャップリンは、コミカルな役を演じて喝采を浴びた。それからも劇団を移りながら、さまざまな役出大当たりをとり、スター俳優となっていった。
劇団俳優としてフランス、カナダ、米国と巡業するうち、ハリウッドの映画プロデューサーにスカウトされ、24歳のとき、コメディの映画スタジオに入社した。
数多くのコメディ映画に出演し、チャップリンはまたたく間に人気俳優となった。映画会社を移籍するごとに、ギャラも急上昇していき、29歳のときには、100万ドルを超える年間契約を結ぶ大スターにまでのし上がった。
同じころ、チャップリンは、フェアバンクス、グリフィス監督らとともに、配給会社ユナイテッド・アーティスツを設立した。
以後、多くはみずから制作、監督、主演するという形で、「キッド」「給料日」「黄金狂時代」「サーカス」「街の灯」などの無声映画の名作を作った。
トーキー映画時代に入ると、「モダン・タイムス」「独裁者」「殺人狂時代」など、社会風刺、反ファシズム、反戦争の色合いの強い映画を撮り、1952年、赤狩り旋風が吹き荒れていた米国から、国外追放命令を受けた。彼は、以後スイスで暮らした。
1972年、83歳のとき、アカデミー賞授賞式に出席するため、20年ぶりに米国へ入国した。
1977年12月25日、クリスマスの朝、スイスの自宅で没。88歳だった。
チャップリンの映画というと、どれも歴史的な傑作ばかりで、いまさら自分がなにごとかを言う必要を感じない。いまでも目を閉じれば、たちまち数々の名場面が浮かんでくる。「キッド」「モダン・タイムス」「独裁者」……。
そして、チャップリンがスタントなしで綱渡りに挑んだという「サーカス」。あの、めずらしい、胸をしめつけられるようなラストシーン。
だいたい、チャップリンという人は、映画を観てくれた人に対して、観た後に、いい気持ちになって映画館を出てもらえるよう、いつも終わり方を後味よくサービスする。さんざん笑わせつづけて幕としたり、ハッピーエンドにしたり、それとなく幸せな未来を暗示して終わりにしたり。しかし、この「サーカス」だけはちがう。もちろん、撮影時のトラブルや離婚騒動など、いろいろな理由があるのだろうけれど、やはり撮影中に、母親が亡くなったことも影響しているのかもしれない。さすがのチャップリンも、このときばかりは、とてもハッピーエンドにする気力が起きなかったのではないか、そんな気がする。
若いころ、自分はチャップリンの自伝を読んだことがある。その内容の細かなところは、もう忘れてしまっているのだけれど、ただ、自伝のなかで、チャップリンが母親をいかに愛していたか、また、母親がチャップリンたち兄弟にいかに愛情を注いだか、貧しい暮らしのなかでも、母親が彼ら兄弟に誇りをもたせ、励ましたことについて、チャップリンがいかに感謝しているか、などついては、くっきりとした鮮やかな印象となって残っていて、いまだに思いだすと、つい涙を誘われる。「サーカス」の筋とは直接関係のない話なのだけれど、チャップリン映画のなかでは比較的評判が高くない「サーカス」を観ると、そうしたことどもが連想されて、心が動くのである。
(2013年4月16日)
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