4/5・打倒東京、吉田拓郎 | papirow(ぱぴろう)のブログ

papirow(ぱぴろう)のブログ

Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

4月5日は、独国の指揮者、カラヤンが生まれた日(1908年)だが、日本のシンガーソングライター、吉田拓郎の誕生日でもある。
自分がはじめて聴いた吉田拓郎の歌は「結婚しようよ」だったと思う。拓郎が、マイナーレーベルからメジャーレーベルに移って最初に出したシングル曲である。自分はまだ子どもだったが、まわりの友だちも鼻唄で歌っていたから、ものすごくヒットしていたのだろう。でも、子どもだった自分は、
「フォークかぁ。甘ったるい曲だなあ」
と、思っただけだった。そのころの自分は、大好きな麻丘めぐみの「芽ばえ」とか、アグネス・チャン「ひなげしの花」を聴くのに忙しかったのである。

吉田拓郎は、1946年、鹿児島県大口市で誕生した。両親は朝鮮半島からの引き揚げ組で、父親は公務員だった。
拓郎が9歳の年に両親が別居し、拓郎は姉とともに、母親に連れられて広島へ引っ越した。
小さいころ、からだが弱かったために音楽に興味をもったという拓郎は、思春期にいたって音楽をやると女にもてそうだとみて、高校時代からバンドを組み、音楽にのめりこんだ。
広島商科大学に入学してからは、バンド活動と並行してソロでも活動し、フォークソングのコンテストに出場したり、芸能プロダクションに売り込みに行ったりしたが、なかなかプロ・デビューはかなわなかった。
20歳の年に上京。音楽コンテストに出場したり、自主制作レコードを作ったりした後、24歳のときに、インディーズレーベルの社員となり、レコードデビュー。
1971年8月、岐阜県で開催された「第3回全日本フォークジャンボリー」に出演し、25歳の拓郎は、機械の故障により、マイクなし、スピーカーなしの状態で、2時間にわたって「人間なんて」を歌いつづけ、ファンを熱狂させた。これが話題となり、彼は一躍フォーク界の新しいヒーローとなった。
翌1972年に、メジャーであるCBSソニーに移籍し、「結婚しようよ」 がヒット。つぎに出した「旅の宿」でチャート1位を獲得。以後、コンサート、レコーディングなど音楽活動を中心に、ラジオDJ、作曲家としても活躍。作曲した森進一の「襟裳岬」が日本レコード大賞を受賞したのは、拓郎が28歳のときだった。
57歳のとき、肺ガンの診断を受け、手術。これを機にタバコをやめたが、コンサート活動は復活した。

さて、子どものころの自分は、女性アイドル歌手を追った後、洋楽ばかり聴くようになっていったので、吉田拓郎をはじめとした日本のフォークはまったく聴かなかった。
現在では、自分も拓郎のCDを持っているけれど、拓郎を聴くようになったのは、ごく近年のことである。

吉田拓郎は、上京した地方出身者たちの心の支えとなったヒーローだった。
以前、吉田拓郎がテレビのトーク番組に出演したのを見たことがある。その番組のなかで、
「上京した若いときの目標はなんでしたか」
と問われた拓郎は、即座にこう答えた。
「打倒東京」
きっぱりと言い切ったところがすがすがしかった。
自分にはそういう感覚はないのだけれど、知り合いの地方出身者の吉田拓郎ファンに聞くと、
「拓郎ががんばっているから、自分もがんばる」
みたいな気持ちに、彼の曲を聴くとなるのだそうだ。地方出身者にかぎらず、「元気です」「人生を語らず」「明日に向って走れ」「大阪行きは何番ホーム」といった拓郎の曲を聴いて、自分を奮い立たせ、困難を乗り越えた人、挫折から立ち直った人は多いらしい。
逆に言えば、そういったファンたちの力が集まって、吉田拓郎をスターにしたのだとも言える。

ただし、年季の入った往年のファンたちの、
「拓郎には、自分たちファンの希望の星として、いくつになっても、明日に向かって走りつづけてほしい」
という声に対しては、拓郎自身も近年では困惑ぎみのようで、以前、テレビでこういう意味の内容をコメントしていた。
「自分は、ただ、おいしいものを食べたい、いい服を着たいというところでやってきたので、そういう期待に応えることはできない」
それを聞いていて自分は「ジョン・レノンとそっくりだ」と思った。
ジョン・レノンがまだ生きていたころ、ジョンの曲を聴いて、勝手に信者になったような気持ちになり、ジョンの屋敷に忍び込んできたファンがいたが、そのファンに向かって、ジョンはこういう意味のことを言っていた。
「歌と現実とを混同してはいけない。ぼくは、歌のなかで、ことばで遊んでいる。ボブ・ディランもそうだ。みんな、ことばで遊んでいるだけなんだ」

若いころの吉田拓郎には、ほかの人にはない、特別なオーラがあったと思う。何万人もが詰めかける屋外のコンサート会場で、夜通し歌いつづけたころを振り返って、拓郎はかつてこういう意味のことをコメントしていた。
「あのころは、どんなにたくさんの人が押し寄せてきても、ギター一本で立ち向かえる、そういう自信があった」
自分も、ギターではないけれど、そういう気持ちをもっていた一時期があって、彼の言わんとするところがよくわかる。なにかひとつ自信があると、人は強くなれるし、輝けるのだと思う。
(2013年4月5日)



●おすすめの電子書籍!

『4月生まれについて』(ぱぴろう)
吉田拓郎、忌野清志郎、ミラン・クンデラ、ダ・ヴィンチ、ブッダ、カント、ウィトゲンシュタイン、ランボルギーニなど4月誕生の30人の人物論。短縮版のブログの元となった、より長く、味わい深いオリジナル原稿版。4月生まれの存在意義に迫る。


www.papirow.com