4/6・将棋指し、谷川浩司の底 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

4月6日は、夭逝の天才画家、ラファエロが生まれた日(1483年。別の日生まれの説も有)だが、将棋棋士、谷川浩司の誕生日でもある。
小学生のころ、自分はときどき友だちと将棋をした。負けるとすごく悔しい気持ちになったし、勝つと悔しいであろう相手の心中が察せられていやな気持ちになった。そばで見ているべつの友だちに、傍目八目でつぎの指し手をアドバイスされると、それがいい手だと思っても、意地になってその手以外の手を指してくずれ、負けたりした。それで、自分の性格は、将棋に向いていないと思うようになり、あまり指さなくなった。
それでも、いちおう将棋に興味はあって、いまどういう棋士が強いのかはときどき気にしていた。
谷川浩司は、自分と年齢が近いこともあって、同世代のヒーローとして、心のなかでいつも声援を送ってきた。谷川の毛筆で「危所遊(危所に遊ぶ)」と書かれた扇子も持っている。
谷川浩司は、若くして名人になった将棋のエリートだけれど、その真価は、彼が勝てなくなって、無冠となり、
「もう谷川の時代は終わった」
とささやかれた、その後にあると思う。

谷川浩司は、1962年、兵庫県神戸市で生まれた。実家は、浄土真宗の寺である。
浩司が5歳のころ、兄との兄弟げんかがおさまるようにと、親が将棋盤と駒を買い与え、彼は将棋をはじめた。以来、将棋に目のない子どもとなり、小学校2年生のときには、神戸の地下街で開催された将棋祭りに参加し、招待棋士の内藤國雄(当時八段)と対戦して、勝ったことがあるという(もちろんこれはハンディ戦で、内藤八段は、飛車、角の二枚落ちで、しかも同時に40人を相手にするという四十局同時指しだった)。
将棋の世界では、プロを目指す子どもは、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である奨励会というものに入会して、腕をみがくのだが、谷川は小学校5年生のときから奨励会で将棋を指した。
中学2年のとき、四段になり、プロ入り。
21歳のとき、初タイトルの「名人」を獲得。
35歳のときに5期目の名人となり、十七世名人の資格を得た。
終盤に一気にスピード感をもって相手の玉を詰めていく「光速流」と言われる棋風で知られる。
2012年、50歳で日本将棋連盟会長に就任した。

1996年2月に、王将のタイトルをもっていた谷川は、8歳年下の挑戦者、羽生善治との七番勝負に四連敗で敗れ、王将の位を羽生に明け渡した。羽生はこれによって、名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将と、七つある棋士のタイトルをすべて保持することになり、谷川は無冠となった。それまで色紙にサインを求められると「王将 谷川浩司」と書いていたのが、以後、ただの「谷川浩司」と書くことになった。谷川が34歳になるすこし前のことだった。

タイトルをすべて失った谷川は、自分を反省し、わが身を振り返った。そのとき、いちばん悔やまれたのは、勝負に負けたことよりも、自分の将棋を見失っていたことだったという。強敵である羽生の将棋ばかりを考え、自分の将棋を考えられなくなっていた、と。
こういう、自分の運気が悪い流れにはまっているときというのは、よい方向へ舵をとりたいとは考えるものの、なかなかそうかんたんにはいかないものだ。
そんなどん底のとき、谷川は、一枚の手紙を受けとった。
それは、毛筆書の依頼だった。
無冠になったばかりの谷川のところに、長野県の中学校の校長から、額装して学校に飾るために「飛翔」という文字を書いてもらえないかという依頼の手紙がきたという。谷川が書いた「飛翔」の文字を、学校に飾りたい、と。
勝った羽生への依頼ならわかるが、負けた谷川になぜ? その校長の意図はこうだった。
現代の子どもは、一度つまずくと、折れて立ち直れないもののように思いがちである。挫折した経験を、転じてプラスにして、ふたたび立ち上がっていく経験を、子どもたちに示したい。そこで、いま無冠となった、谷川が書いた「飛翔」の文字こそ、これからふたたびタイトルを獲得していくであろう谷川の姿と重なり、子どもたちに強い説得力をもって響くであろう、とそう考える、と。
谷川は、そのときのことについてこう書いている。
「失ってみて、初めて見えてくるものがある。
失うまでは、そこに『ある』のが当たり前と思っているのだが、当たり前なことなど何一つありはしないのだ。(中略)
いただいた手紙により、私自身が好んで書いてきた『飛翔』という言葉の持つ意味をあらためて考え、自分の目指すところをもう一度確認することができ、復活に向けてのエネルギーを与えられた気がする」(谷川浩司『復活』角川文庫)

無冠となった同じ年の11月、谷川は、竜王戦の挑戦権を得て、竜王である羽生と対局。谷川は四勝一敗で勝ち、みごと竜王に返り咲いた。
翌年、35歳になった谷川は、名人戦の挑戦資格を得、名人である羽生に挑戦した。対局の結果、谷川は四勝二敗で勝ち、名人に返り咲いた。同時に、通算五期目の名人就任により、十七世名人の資格を得た。

調子のいいとき、羽振りのいいときは、誰でもいい顔をしていられる。まわりの人もちやほやしてくれる。
でも、落ち目になったとき、どん底にいるとき、平然としているのはむずかしい。苦しいときは、みんな知らんぷりだったり。でも、そういうときこそ、「底の人」かどうかが問われるときである。
そういうことを、谷川浩司の復活劇を見ていて、あらためて感じさせられた。
(2013年4月6日)



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