3/21・バッハの精神性 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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3月21日は、国際人種差別撤廃デーだが、この日はまた、西洋音楽の父、バッハの誕生日でもある。
自分は中学生のころから英米のロックミュージックばかり聴いていたので、ずっとクラシック音楽にはうとかった。いまでこそ西洋音楽もすこしは聴くようになったけれど、若いころはまったく聴かなかった。そのころは、より強いビート、より新しい音楽をさがすのに忙しかった。
そんなころ、テレビのコマーシャルに使われていた音楽で、気になる楽曲があった。曲の冒頭、弦楽器が同じ一音を弾き、それを引っぱって引っぱって曲に入っていくのだけれど、それがすーっと心にしみ入るようで、とても甘美なのだった。シンプルで上品、同時にとても官能的という、不思議な味わいのある曲で、昔からいく度も聴いた覚えがある有名なクラシックにちがいないのだが、その名前がなかなかわからなかった。それで、知り合いに、
「こういうメロディーなんだけど、なんていう曲かな」
と、口ずさんで尋ねてみた。すると、彼は、おや、そんなことも知らないのか、といった顔をして、こう言ったのだった。
「バッハのG線上のアリアだよ」

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、1685年(ユリウス暦による)、現在のドイツのアイゼナハで誕生した。ヨハンは8番目の子で、彼が誕生したとき、長兄はすでに14歳になっていた。
父親は町の音楽監督で、その兄弟も、教会のオルガン弾き、宮廷音楽家、宮廷作曲家など、みんな音楽関係の仕事に就いているという音楽一家だった。ヨハンは父親に、バイオリンや音楽の基礎理論を教わった。
ヨハンが9歳のころ、母、父が相次いで亡くなり、彼はオルガン弾きをしていた長兄のもとに身を寄せ、音楽の勉強を続けた。
バッハのキーボードプレイヤーとして才能は、しだいに地域に知られるところとなり、18歳のとき、アルンシュタットの聖ボニファティウス教会のオルガン弾きに就任。それから、オルガン奏者として、いく度か転職をした後、32歳のころにケーテンの宮廷音楽家となり、演奏と作曲に従事した。その後、ライプツィヒの音楽監督、ザクセンの宮廷作曲家に就任。
64歳のころ、目の白内障が悪化し、バッハは手術を受けた。しかし、手術は失敗し、目の見えなくなったバッハは床にふし、後遺症に悩まされた。1750年7月に没。65歳だった。

バッハは、バロック音楽を集大成した人で、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンら後世の大作曲家たちに絶大な影響を与えた。
自分はキリスト教徒ではないけれど、バッハの曲を聴いていると、バッハの信仰心のあつさを感じ、胸を打たれることがある。
「G線上のアリア」もそうだけれど、「主よ、人の望みである喜びよ」とか、あるいは「マタイ受難曲」とか。
バッハは信仰心のあついクリスチャンで、作曲をするときも、五線譜に音符を書き記しながら神に祈っていたという。バッハの曲を聴いていると、そういう感じがわかる瞬間が、ある。
高く、深い、精神性が、胸の深いところに伝わってくる。
「G線上のアリア」など、バッハのある種の曲は、なめらかな主旋律が展開されている底のほうで、低い低音が、ゆっくりとした、しかし、たしかな足どりで動いてくる。あの低音部についてバッハはこう言っている。
「通奏低音は音楽の最も完全な基礎であり、通奏低音の究極の目的はあらゆる言葉と同様、神の栄光と魂の再生である」
すごい、と思う。
(3013年3月21日)


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