いまふり返ってみると、小松左京は日本にはめずらしい、世界的なスケールをもった大きな作家だったと、あらためて気づかされる。
アメリカ人として生まれていたら、スティーブン・キングなどよりさらに巨大なベストセラー作家になっていたのではないか、と思う。
小松左京(本名、小松実)は、1931年1月28日、大阪で生まれた。
14歳で敗戦を迎えた小松少年は、その後、京都大学の文学部でイタリア文学を専攻。
大学時代には、マンガを描いて雑誌に投稿し掲載されていたという。
マスコミ志望だったが、就職試験に失敗したため、雑誌の記者や、新聞のレビュー記事、漫才の台本など、さまざまなジャンルの文章を書いて生計を立てた。
SF雑誌の小説コンテストに応募し、それをきっかけにSF小説家としてデビュー。
以後、『日本アパッチ族』『果しなき流れの果に』『日本沈没』『復活の日』『エスパイ』『首都消失』など、話題作、ベストセラーをつぎつぎと発表した。
1970年、39歳のとき、大阪で開かれた万国博覧会において、テーマ館のサブ・プロデューサーを務め、また同年、アーサー・C・クラークほか、海外の著名なSF作家を日本へ招き、「国際SFシンポジウム」を主宰した。
49歳のときには、日本SF作家クラブ会長として「日本SF大賞」の創設に尽力。
2011年7月、肺炎により没。80歳だった。
日本SF作家クラブには、その昔、こういう会則があったと聞いた。
「星新一より背が高い者、筒井康隆よりハンサムな者、小松左京より太っている者は、入会不可」
すこしちがったかもしれないが、いずれにせよジョークで、こうやって日本のSF作家の御三家をたたえたのである。
日本の文学界は伝統的にSF作家には冷たいようで、この3人のビッグネームでさえ、ついに芥川賞も直木賞も受賞していない。
膨大な数の著作があるけれど、小松左京の代表作といえばまず、大ベストセラーとなり、テレビ化、映画化された傑作『日本沈没』。
自分も、当時の『日本沈没』ブームをよく覚えている。誰もがこの書名を知っていた。
日本全国がこの作品といっしょに踊っている感じだった。
それから、長編では『日本アパッチ族』『果しなき流れの果に』『復活の日』などは名作である。
それから短編だと『ゴルディアスの結び目』『霧が晴れた時』『くだんのはは』なども世評が高い。
それにしても、もの知りで、想像力が豊かで、体力と気力が充実した人物だった。
姿が大きい。
天下の京都大学をでていながら、就職できなかったという逸話も(もちろん時代背景もあるけれど)、うなずける気がする。
クラゲの光るタンパク質の発見でノーベル化学賞を受賞した下村脩(もむらおさむ)も、就職の会社面接で、
「きみはサラリーマンには向いていない」
といわれ、大変なショックを受け落胆し、それでしかたなく大学の研究室に残ることになったというが、個性の強くない、ごくふつうの人間を受け入れたいと考える一般企業では、こうしたえらい人たちは、人間的に大きすぎることがすぐにわかってしまい、入社以前の段階で自動的にはじかれてしまうのだ。
だから、就職難の昨今、就職できない者こそ、みどころがある、ということにもなる。
若い小松左京にとっては、就職活動の失敗はつらかったろうけれども、やはり、社会のため、そして本人の巨大な才能を生かすためにも、彼は就職できなくてよかった、という気がする。
まったく、日本人にはめずらしい、スケールの大きな作家だったと思う。
ちょっと自分も一所懸命になって、小松作品を読んでみたいと思います。
(2013年1月28日)
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『こちらごみ収集現場 いちころにころ?』
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