1/25・日本語の魔術師、北原白秋 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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1月25日は、詩聖、北原白秋の誕生日。
「白秋」と聞くと、思わずうっとりしてしまう。自分は小さいころから北原白秋が大好きで、その詩や歌をずっと読んだり歌ったりしてきたからだ。
白秋の歌といえば、最初に思い浮かぶのは「雨降り」。ご存じだろうか、こんな歌である。
「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめでおむかえ うれしいな……」
あるいは、「ちゃっきり節」。
「唄はちやっきりぶし、男は次郎長、花はたちばな、夏はたちばな、茶のかをり。ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、きやァるが啼くから雨づらよ」
自分は静岡県出身で、実家がお茶屋のこともあって、もの心ついたときから、この民謡を口ずさんでいた。もともとは、静鉄(静岡鉄道)のために制作された歌である。

そして、白秋といえば、やはり詩。自分は、たとえば、白秋のこんな詩の調べに、しびれ、酔ってしまう。
「われは思ふ、末世の邪宗、切支丹(きりしたん)でうすの魔法。
黒船の加比丹(かひたん)を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭(にほひと)きあんじやべいいる、
南蛮の桟留縞(さんとめじま)を、はた阿刺吉(あらき)、珍酡(ちんた)の酒を。」(「邪宗門秘曲」『邪宗門』)

あるいは、つぎの詩など、何度読み返したかしれない。
「からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。」(「落葉松」『水墨集』)

北原白秋(本名、北原隆吉)は、1885年1月25日、福岡県の柳川で生まれた。
家は江戸時代からつづく海産物問屋の大店で、酒の醸造と米の精米をする地方有数の商家だった。
ほんとうは、白秋の上に長男がいたらしいが、生後間もなく死んだので、白秋は「トンカ・ジョン(良家の長男の意)」と呼ばれ、長男として育てられた。
子どものころから文学好きで、16歳のときに雅号を「白秋」と決めている。
同じく16歳のとき、町の62戸が消失したという大火事に巻き込まれ、白秋の家の酒倉が全焼するという災難に見舞われる。酒だけに、火ははげしく延々と燃えた。北原家では、借金をして、新たに酒倉を再建したが、このときの借財が重くのしかかり、北原家はしだいに傾いてゆく。
白秋は19歳のとき上京。早稲田大学の予科に入り、学報や同人誌などに詩を投稿し、いよいよ詩人としての活動を開始した。
24歳のとき、処女詩集『邪宗門』を出版。官能的、耽美的なこの象徴詩によって文学界に衝撃が走った。
同じ年、柳川の実家が破産。家族は白秋を頼って上京し、一家の家計が、若い白秋の双肩に重くのしかかることになる。
26歳のとき、第二詩集『思ひ出』出版。この詩集は、日本文学史上、もっとも成功した詩集ともいわれ、白秋の名声は一気に高まった。
27歳のとき、同情から人妻と恋愛関係となり、相手の夫から姦通罪で訴えられ、白秋は2週間拘置所に入った。
絶望した白秋は、28歳のとき、自殺をするために神奈川県の三浦三崎へいき、2週間滞在するが、結局自殺は果たせず、生きることに。白秋はこのときの心境についてこう述べている。
「どんなに突きつめても死ねなかつた、死ぬにはあまりに空が温く日光があまりに又眩しかつた」(「ザンボア後記」『新潮日本文学アルバム北原白秋』新潮社)
このどん底の状況から、白秋の復活がはじまる。彼は書きはじめた。
以後、歌集『桐の花』、詩集『白金之独楽』、歌集『雲母集』、詩集『水墨集』、詩集『海豹と雲』などを出版。
並行して数多くの童謡を書き、関西学院大学、大正大学、同志社大学、駒澤大学ほか多数の大学、学校の校歌を作詩した。
52歳のとき、糖尿病と腎臓病の合併症による眼底出血により視力喪失。以後は口述筆記で詩歌を詠んだ。
1942年11月、糖尿病、腎臓病の悪化により死去。57歳だった。

自分は、紀貫之とか、在原業平とか、萩原朔太郎とか、西脇順三郎とか、田村隆一とか、好きな日本の詩人はたくさんいるけれど、そうした詩人のなかで、好き嫌いはさておき、誰が詩人としてえらいかということを、ときどき考えたりする。
すると、つぎの4人の名前が頭のなかに浮かぶ。
藤原定家。
松尾芭蕉。
北原白秋。
宮沢賢治。

松尾芭蕉と宮沢賢治は、その精神性の深さ、広さにおいて、やっぱり飛び抜けている気がする。
藤原定家と、北原白秋は、ことばの使い手として、日本語の魔術師として、最高の達成を収めた人という気がする。
人によって異論はあるだろうけれど、自分はこのように思う。

北原白秋よりひとつ年下の文豪、谷崎潤一郎は、彼の死にあたってこう書いている。
「さうかうするうち、氏が盲目になつたと云ふ悲報が入つたが、実は私は、氏が誰よりもさう云ふ打撃に奮起する底の人であり、それが却つて氏に新天地を打開する機縁を与へることを知つて、あまり氏のために悲観はしなかつた。或る意味では、天が氏に新しい武器を授けたやうにさへ感じた。私は今、生前にもう一度会つて置きたかつたなどと云ふことは考へてゐない。ただ、もう十年、氏を盲目の世界に生かして置いたら、どんな境地まで進展したであらうかと思つて、それを限りなく惜しむのみである」(「白秋氏と私」『谷崎潤一郎全集 第二十二巻』中央公論社)
いいことをいうなぁ、と思いません?
こういうことをいわれる白秋もえらいけれど、いう谷崎もえらいなあ、と自分は思います。

自分は、九州の柳川にある白秋の生家を、いつか訪ねたいものだというのが、子どものころからの長年の夢で、何年か前にようやくそれがかなった。訪ねてみて、まったく、夢心地だった。
自分は、詩集の『邪宗門』と『思ひ出』を、復刻版でもっている。
紙からインクから装丁から、なにからなににいたるまで、初版本とまったく同じに作った本で、どちらもとても美しい。
とくに『邪宗門』のほうは、フランスとじで、本文の紙が裁断されていず、ページのつながった部分がわざと残してある。
時間に余裕があるとき、この詩集のページを、ペーパーナイフで切りながら、開いては、白秋の詩を読む、というのが、自分の至福の時間である。
そうして、読んでいると、ときどき、どうしてだろうと疑問に思う。
紙の上に刷ってある、ただ、インクの線が並んでいるだけなのに、どうしてこんなに見ていると、いい気持ちになるのか、と、詩というものが、ほんとうに不思議な気がしてくる。
ああ、そして、願わくば、自分も「底の人」になりたいものだ、と思う。
(2013年1月25日)


著書
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